第72話 決戦! 美食クラブ 前編


 翌日、すなわち決戦当日――

 サン・セバスチャンで有数の高級ホテルのエントランス前に黒の高級車が停まり、運転手の男が「着きやしたぜ」と到着を告げる。

 後部座席に陣取るように座るドン・サンチェスは上着の内ポケットから懐中時計を取り出す。

 約束の時刻――正午まであと数分だ。

 時刻を確認したのちに、ぱちんと蓋を閉めて戻すと葉巻を咥える。

 

「ついに対決のときだな」


 にやりと笑みを浮かべるドンを向かいに座る愛人のエステルはきっと睨みつける。


「あんたという人は……!」

「そう睨むな。さっさと行くぞ」


 ボーイが緊張の面持ちでドアを開け、そこからのそりとサン・セバスチャンを牛耳る男が降り、次にエステル、最後に部下の小男が降りる。


「これはこれはドン・サンチェス様! ようこそのお越しで!」


 支配人が相変わらず血色の良い顔で出迎えた。


「あのふたりはどうだ?」

「あのふたりと申しますと……ああ、日本人の少年と女の子のことでしたら、昨夜戻ってきてからずっとこもりきりで一歩も外には出ていません」


 ほぅとドンが葉巻を咥え、禁煙であるロビーの天井に向けて煙を吹かす。


「よし、お前も来い。立ち会い人が必要だしな」

「わ、私がですか? し、しかし仕事が」

「俺のやり方に文句でもあんのか? ま、仕事が無くなってもいいんならそれでも構わんがね」

「めめめ、滅相もございません! 喜んでお供させていただきます!」


 支配人はぷるぷると血色の良い頬が揺れるほど首を振る。

 目の前にいる人物はホテルどころか、サン・セバスチャンを支配する男なのだ。

 汗をハンカチで拭きながらどうぞこちらへとエレベーターホールへ案内する。

 一行を乗せた筐体きょうたいは最下層に到着し、支配人が扉を抑えて先に行かせる。

 アール・デコ調の廊下を進み、扉の前まで来るとふたたび懐中時計を取り出す。

 ちょうど正午だ。目の前の扉をドンが勢いよく開ける。

 

「約束どおり来たぞ!」


 ドンが作らせた美食クラブにはコックコートに身を包んだふたりが立っていた。

 ふたりともコートは油で汚れ、一睡もしていないのか顔に疲労感がありありと出ていたが、その目はしっかりとドンを見据えていた。


「なかなか似合ってるじゃねぇか。おい」

 

 にやにや笑いながら葉巻を咥える。


「それで、俺が満足できる料理とやらは出来たんだろうな?」


 通訳を務める小男が話す。


 「はい、出来ました」と安藤が答え、ラケルが両腕を組んでふんすっと胸を反らす。まるでどこからでもかかってこいと言わんばかりに。


「ほぉ……言うじゃねぇか」


 確かに厨房からは良い匂いがしてくる。

 紫煙をくゆらせながらどかりと椅子に腰を下ろすなり、「さっさと料理を出せ」とぶっきらぼうに言う。

 エステルが申し訳なさそうな表情を浮かべながら、次に小男がにやにやと笑みを浮かべながらドンを挟むようにして腰かける。


「ひとつ確認ですが、本当にあなたを満足させられたら彼女の居場所を教えてくれるんですね?」

「正確には彼女の居場所を知っていそうな人物、だ。俺を信じろ。バスク人の誇りにかけてな。それと」


 そっちこそハンパなものを出したら荷物をまとめて国に帰るんだぞと念を押し、ふーっと煙を吹かす。


「…………わかりました。これから出すのはまずはピンチョス、次にタパス、メインディッシュはパエリア。最後にデザートを……」

御託ごたくはいい。さっさとしろ」

「……はい」


 安藤は料理を出すべく厨房へと戻る。


「おい」

「はっ、はい! なんでしょう?」

 

 それまで扉の傍らに立っていた支配人が揉み手をしながらドンの前へと。


「さっきも言ったが、お前は立会人だ。その目で見届けろ」

「ドンの御命令とあらば!」


 今度は頬が上下にぷるぷると揺れるほど頷く。

 よしとドンが頷くと、ラケルがこちらを見ていることに気づいた。

 彼女がぴっと葉巻を指さす。


「Mesedez, ez erretzea hemen!(ここではタバコはご遠慮を!)」

 「おい、失礼だぞ!」と怒鳴る部下をよせとたしなめる。


「これは失礼した」


 葉巻を灰皿に押し付けるようにして火を消し、帽子を脱ぐと傍らに置いた。


「さぁ美食の時間だ。思う存分俺を楽しませろ」

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