第69話 マルガの提案


「おかえり! 調子はどうだい?」


 カサ・マルガの二階に帰ってきたとき、店主であるマルガはそう言った。


「それが、まだ満足のいく料理が作れてなくて……」

「そうかい……まぁ焦ることはないよ。焦ったらそれこそドンの思うつぼだからね」


 頭を掻きながら現状を報告すると、そう言って慰めてくれた。


「お昼ご飯まだだろ? なにか食べてくかい?」

「はい、あれ? ぺぺさんは?」


 テーブルについてマルガの亭主の姿を探すが、見当たらない。


「あのひとは休日はいつも呑み仲間とバル巡りに行ってるよ」と棚から食器を取り出しながら。


「それにしても驚いたよ。昨夜、あんたとラケルがドンの美食クラブで対決することになったって聞いたときは」

「すみません、無我夢中だったので……」


 ぽんと肩を叩かれた。見るとラケルが気にするなと言うように首を横に振る。

 

「あんたはすぐ調子に乗るんだから!」

「あうっ」


 ぺしっと軽く叩かれた頭を押さえながら、マルガを恨めしげに見る。


「まったく……それで、料理のアイデアは浮かびそうなのかい?」

「思いつく限りのことはやってみたんですが、どれもありきたりすぎると先輩に言われました」

「そうなのかい?」


 先輩であるラケルを見るとこくこくと頷く。


「そりゃあ難儀なんぎだねぇ。なにしろバスク料理は短期間でどうにかなるってもんじゃないし、あんたはここに来てまだ日も浅いし……」


 するとラケルが自らを指差しながらバスク語で言う。


「Horregatik nago!」

「…………だから調子に乗るんじゃないよ!」

 

 ぺしっとふたたび叩く。


「あの、なんて言ったんですか?」

「『そのためにあたしがいるのさ!』って言ったんだよ。言っとくけど、料理専門学校に通ってるあんたもあたしの目から見ればまだまだだからね」

「ッ!?」


 叩かれた頭を押さえながらラケルが目を丸くする。

 マルガが腕を組んでふーっと溜息をつく。


「今のあんたたちじゃ、二人そろって一人前どころか、やっと半人前ってところだよ。バスク料理は甘くないんだからね」

「はい……」


 しょんぼりとする安藤の傍らでラケルはむうっと頬を膨らませる。


「そこで提案だけどさ、ここでお昼ごはんを摂るんじゃなくて、いっそのことバル巡りしないかい?」

「え、バル巡りですか?」

「良いアイデアというのは、机にかじりついて考えるよりも外に出て歩いたほうが浮かびやすいもんさ。それに」

 

 ここらへんにはいろんなバルがあるからねと付け加える。


「いろんなところに行って、いろんな料理を味わうのも勉強のひとつだよ。どうだい?」

「行きます! ぜひ案内をお願いします!」


 タイムリミットが迫っているいま、否応はない。


「そうこなくっちゃね! ラケル、あんたも来るだろ?」


 彼女はリスのように頬を膨らませたまま、そっぽを向く。

 マルガがふたたび溜息を。


「しょうがないねぇ……お前はここで留守番だよ。さ、アンジロー行くよ」

「あ、はい……」


 マルガと安藤のふたりが立ち上がり、階下へ向かおうとした時――――


 安藤の手を握るものがあった。

 案の定、ラケルだ。後輩である安藤の手を引っ張る。まるでついてこいと言わんばかりに。


「Ni ere joango naiz!(あたしも行く!)」


 マルガから通訳をしてもらわなくとも、安藤はその言葉の意味がわかったように思う。

 安藤とマルガ、そしてラケルの三人は昼下りのバル巡りへと繰り出す。


 ドン・サンチェスとの対決は明日の正午。そして、誓願式のタイムリミットまであと二日――。

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