第66話 ドン・サンチェス再登場!


 8月31日通りでは、軒を連ねるバルから常連客や観光客がざわめくなか、ドン・サンチェスはカサ・マルガの斜め向かいにあるバルからのそりと出てきた。

 高級スーツの上着の内ポケットから葉巻を取り出し、吸い口を噛みちぎってぺっと吐き出す。そこへすかさず傍らに立つ部下がライターで火を。

 二度三度と吹かすと美味そうに煙をふーっと夜空に向けて吐き出す。


「お、お待ちを……! お待ちください! ドン・サンチェス!」


 サン・セバスチャンを裏で牛耳る男の前にコックコートに身を包んだ若いコックが飛び出す。


「なにかお気に召さないことがあったのかはわかりませんが、配慮に欠けたことをしてしまったことはお詫びします。ですから、店を畳むことだけはなにとぞ……!」


 地面に膝をつき、神に懇願するかのように両手を組む。

 そこへドン・サンチェスがただでさえ大きい顔をぬぅっと前に出したので、若いコックは思わず尻込みした。


「お前、なにか勘違いしてねぇか?」

「と言いますと……?」

 

 鼻からふーっと煙を吐き出し、紫煙をくゆらせる。


「俺が気に入らねぇのはな、お前の作った料理だ」

「りょ、料理ですか? 味付けがお気に召さなかったのでしょうか?」


 その受け答えがますますドン・サンチェスを苛立たせたようだ。葉巻を咥えた顔が険しくなる。


「いいか、俺は生粋のバスク人だ。だからバスク語しか話さねぇ。当然、料理もバスク料理しか口にしねぇ」


 ごくりと目の前で若いコックの固唾を飲む音。


「エスニックだかなんだか知らねぇが、そんなどこの国のものとも知れねぇのとコラボした料理なんざ、バスク料理じゃねぇ!」

「ど、どうかお許しを……! やっと開店したばかりなんです!」

「もういい。帰るぞ」


 懇願を無視し、ドン・サンチェスはふたたび葉巻を吹かすと部下たちに命じる。


「おい、お前ら。後片付けを頼むぞ。キッチリとにな」


 部下たちが「へい」とこくりと頷いたかと思うとバルの中へと引き返す。

 そしてコックの見ている前でカウンターに並べられた料理をことごとく床へとぶちまけ始めた。

 コックの制止も空しく皿やグラスも次々と割られ、店内は惨憺さんたんたる有様となった。

 周囲の野次馬や客だけでなく、バルの従業員も見て見ぬふりを決め込んでいる。

 当然だ。この街を支配しているのは他ならぬドン・サンチェスなのだから。

 ましてや彼に逆らおうとする者など……

 

「ひどすぎる……!」

「ああ?」

 

 口から葉巻を離し、面倒そうにぐるりと首を向けるとそこには安藤が立っていた。

 わなわなとこぶしを震わせ、きっとこちらを睨みつけている。


「これはこれは……誰かと思えば、いつぞやの騎士サルドゥナ気取りの日本人ハポニアーラじゃねぇか」


 この小僧、まだこの街にいやがったのか……。


「どうしてこんなことをするんですか!?」


 ざわざわと周囲がざわめく。あちこちで「あいつ正気か?」や「やめとけ、殺されるぞ」とひそひそ声。

 カサ・マルガの女店主マルガも心配そうに見つめている。彼女の傍らに立つラケルはリスのように頬を膨らませていた。

 ドン・サンチェスはこきりと首を鳴らし、「おい、そこのお前」と部下の小男を葉巻を持った指で呼ぶ。


「へい、なんでやしょう?」


 ピンチョスをつまんでいたのか、指に付いたソースを舌で舐めとる。


「通訳しろって言ってるんだ。バカ!」


 もうひとりの部下が小男の頭をはたく。


「すいやせん!」

 

 はたかれてずれた帽子を直し、ドンの傍らに立って通訳を務める。

 安藤がふたたび何故こんなことをするのかと問う。通訳を聞き終えたドン・サンチェスはやれやれと首を振り、ふーっと煙を吐き出す。


「なにかと思えばそんなくだらん質問を。いいか、ここは俺の街だ。ここでは俺が法律だ」


 葉巻の先を安藤に向ける。


「俺が気に入らねぇやつを片付けたまでよ」


 葉巻をとんとんと指で弾いて灰を落とす。灰は地面で打ちひしがれているコックの頭に落ちた。

 安藤が「やめろ!」と制止するところへ黒服の部下たちが阻む。

 ドンがよせと命じるとすぐに引き下がった。

 

「すまんな。うちの連中は血の気が多くてね」

「あなたという人は……! どこまで人を馬鹿にするんですか!」


 コックの傍らにしゃがみこんで、頭に付いた灰を落としてやる。


「大丈夫ですか?」


 だが、コックは茫然自失といった体だ。

 ドンはそんなふたりをにやにやと笑みを浮かべながら見下ろす。


「ふん、あんな料理なんか作るからだ。バスク料理以外の料理はみな邪道よ」


 葉巻を咥えようとしたところへ、安藤がいきなり立ち上がった。


「あなたという人間は……最低だ!」


 部下の小男が今の言葉を通訳しようか迷っていると、ドンが体を押しのけて安藤の前へと出る。

 どうやら通訳の必要はなかったようだ。こめかみがぴくぴくと震えている。


「良い度胸だ……小僧。俺に楯ついたやつはお前が初めてだ」

「彼に謝ってください。そして店を潰さないでください」


 ドン・サンチェスはふーっと煙を大きく吸い込み、安藤の顔へと吹きかけるが、二度目は喰らうまいと顔を背ける。

 その時、ドンは彼がエプロンをしていることに初めて気付いた。


「お前、料理をするのか? ひ弱な若造のくせに」

「アンジローをバカにするな! 彼は腕のいいコックなんだ!」

 

 バスク語があたりに響く。全員が声のしたほうを見る。

 ラケルだ。今にも殴りかからんばかりに腕を振っている。マルガが後ろから抑えていなければ、ドンのところへ飛び出していたことだろう。


「威勢のいいお嬢ちゃんだ。気に入った」


 にやりと醜悪な笑みを浮かべ、バルの看板を見上げる。


「カサ・マルガか……伝統的なバスク料理を出す店だ」


 くるりと安藤のほうへと向きなおる。


「いいだろう。その勇気に免じて、店を畳むことは許してやる」


 コックが「本当ですか!」と顔を上げ、ドン・サンチェスが「男に二言はねぇ」と返す。


「ただし!」


 びしっと安藤を指差す。


「条件がある。お前の作った料理で俺の舌をうならせてみろ。むろん料理はバスク料理でな」


 ドンの提案した条件にまた周囲がざわめく。


「そんな、ドン! この子はここに来てまだ日が浅いんですよ。バスク料理を作るなんて無茶な……!」

「二日後だ! 場所は俺のクラブでおこなう。それまでに料理の腕を磨いておくんだな」


 マルガの言葉を遮って指を二本立てる。そして安藤のほうを向く。


「もし、気に入らない料理を作ったら……そのまま国に帰ってもらうぞ」

「そんな! まだフランチェスカさんにちゃんと会えてないのに……!」


 通訳を聞き終え、ドンが「ほぉ」とにやりと口元を歪める。


「こうしよう。お前が見事に料理を完成させたあかつきには彼女の居場所を知っていそうな人物を紹介してやる」

「え」

「怖気づいたのか? イヤなら別にそれでも構わないぞ」

 

 ドンがにやにやとわらうなか、安藤は立ち尽くしたままだ。

 

 彼女の居場所を知っている人物……?


 目の前の男、ドンは確かにそう言った。


「ほ、本当ですか?」

「俺は生粋のバスク人だ。バスクの男に二言はねぇ。俺を信じろ」


 安藤はきゅっと奥歯を噛みしめる。

 たった二日でドンを満足させるような料理を作るなど無茶もいいところだ。

 むろん、無理難題を押し付けて帰らせるためだろう。

 だが、彼女の手がかりを失ったいま、安藤にはこれしか手は残されていないような気がした。

 心臓の鼓動が大きくなる。それこそ周りにも聞こえるのではないかと思うくらいに。

 今まさに自分は人生の岐路に立たされていると実感する。

 正直言って怖い。失敗すればフランチェスカに会えないままスペインを去ることになるのだ。

 それなのに――――


「やります。やらせてください!」


 そんな言葉が口をついて出た。自分でも驚くほどに。

 目の前でドンがにぃっと口の端を歪める。


「いい心がけだ。言質げんちを取ったぞ。ここにいる全員が証人だ」


 葉巻を地面に捨て、ぐしゃりと革靴で踏み潰す。そして帽子を胸に当てる。


「いいか、よく聞け! ドン・サンチェスはここに宣言する! 二日後、俺はこの若造の料理を食し! 料理の査定は嘘偽りなく! また、公平に行なうことをここに誓う!」


 バスク人の誇りにかけて! を最後にびりびりとあたりに響く声で宣誓を終えた。

 周囲がざわめくなか、ドンは帽子を被り直し、安藤についてこいと言い放つ。


「今から決戦の場へ案内してやる」

 

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