第62話 Encuentro -邂逅(かいこう)-


 カタルーニャ鉄道の旧式の角ばった車両は地平線から顔を覗かせてきた太陽の光を浴びながらレールを走る。

 早い時間の列車のためか、乗客はまばらだ。

 そのなかに窓から差す陽光に手をかざしてひさしを作ると、安藤は読んでいたガイドブックに目を落とす。

 その時、スピーカーから車内アナウンスが流れた。


『Aviat arribareu a l’estació Monistrol de Montserrat(まもなくモニストロル・デ・モンセラット駅に到着いたします)』

 

 アナウンスはカタルーニャ語だが、モンセラットという単語と扉の上にある電子版で流れた英語による案内表示でわかった。

 陽光がいきなり遮られたので窓の外に目をやると険しい山々が列車を見下ろすかのようにそびえ立っている。

 座席のシートに頭を預け、まぶたを指で揉む。

 昨夜バルをすぐに出て列車に乗り、乗り換え地で始発の列車が来るまで駅構内で一夜を過ごしたのだから、ほとんど寝ていない。

 安藤は昨夜の出来事に記憶を馳せる。


「あなたが日本から来た方ですか……?」


 およそバルにはそぐわない来訪者、修道服スカプラリオに身を包んだうら若きシスター、アンナは目をみはった。


「は、はい。あの、なにかご用でしょうか……?」


 安藤は目の前の赤毛の三つ編みを垂らしたシスターにそう尋ねる。初対面のはずだが、どこかで会ったろうかと思案していると、いきなり手を掴まれた。


「やっと……やっとお会いできました!」


 目に涙を浮かべながら握った手をぶんぶんと振る。


「教会でフランチェスカお姉様エルマーナを探している日本人がいると聞いて、もしかしたらお姉様の身になにがあったんじゃないかとわたし、わたし心配で……!」

「あ、あのっ? フランチェスカさんのことを知っているんですか!?」

「はいっ! あ、申し遅れましたが、わたしアンナと言います。フランチェスカお姉様とは神学校の同期なんです」とにこりと微笑む。

 思いがけない僥倖に安藤は思わず顔を輝かせる。

 そこへマルガが「ちょいとおふたりさん。積もる話なら上の部屋を使っていいからね」と気を利かせてくれた。


 †††


「どうぞ、ミルクでいいですか?」

「お気遣いありがとうございます」


 カサ・マルガの二階にあがったふたりはダイニングテーブルで向かい合うように座り、安藤はアンナがミルクを飲み終えるのを待っていた。

 こくっこくっと飲み干し、ふぅっとひと息ついてからふたたび礼を言う。


「ありがとうございます。おかげで生き返りました……なにしろ教会はおろか、どこのバルに行っても教えてくださらなかったので……」

 

 無理もない。いまサン・セバスチャンにあるバルや教会はドン・サンチェスによって箝口令が敷かれているのだから。


「でも、親切な方がこっそり教えてくださったんです。ホームレスの方でしたが」

「ホームレス……あ、もしかしてエンリケさんかな?」


 元コックのホームレスの顔が浮かんだ。あの人なら教えてくれるだろう。


「あの、それでご用件はなんでしょうか? 失礼ですが、あなたとは初対面だと思うのですが……あ、俺は安藤って言います。フランチェスカさんからはアンジローって呼ばれてますけど」

「アンジローと言うんですね。その前にお姉様とはどのような関係なのか教えていただけませんか?」


 安藤は彼女との出会いからこれまでの経緯をかいつまんで話し、そしていま彼女を探すためにここサン・セバスチャンに来たところまで話すと、アンナは目をぱちくりさせた。


「バカですよね。少ない手がかりで彼女を探しに行くなんて」

「いえいえっ、ううん! そんなことないです! ステキだと思います!」


 ぶんぶんと左右に首を振るので三つ編みもつられて揺れ、毛先が鼻を掠めそうになる。


「そ、それでアンナさんは彼女がどこにいるかを知っているんですか?」


 するとアンナの顔が曇ってしゅんとなる。


「残念ながら、わたしもお姉様の居場所はわからないのです……」

「そうですか……」


 やはりそう上手くはいかないか……。


「あ、でも」


 がばっと頭を上げたので、今度は三つ編みが上へと揺れた。


「アンジローさんは、誓願式のことはご存知でしょうか?」

「はい。その儀式を受けて初めてシスターになるんですよね?」


 誓願式は今月の第四日曜日。そしてそれは同時に安藤の滞在期限の日でもある。


「はいっ。以前、神学校にいた時にお姉様が話してくれたことがあります。その誓願式の前に行なわなければいけない儀式があると……」


 そこまで言って人差し指を顎に当てて懸命に思い出そうとする。


「確か、きよめの儀式と言っていたような……誓願式の五日前に行なうとも言ってました」

「五日前?」


 スマホを取り出して日付を確認する。誓願式から逆算すると……


「今日じゃないすか!」


 思わず立ち上がる。


「はいっ。お姉様は教会でその儀式を行なうと言ってましたわ」

「そ、それでその教会はどこなんですか!?」


 逸る気持ちで早口になる。その問いにアンナはまた顎に指を当てて考え込む。


「名前は聞いたはずなのですが、ええと……」


 ぶつぶつと口にして、少ししてから思い出したのか、顔をあげる。


「たしか、モンという名前が付いてたような……」

「モン? それって山のことですよね?」


 ちょっと待ってくださいとアンナを残して屋根裏部屋へと続く階段をのぼり、ベッドの脇に置いたバッグを取って階下に降りる。

 そしてガイドブックを取り出し、巻末のページにある索引をぱらぱらとめくった。

 ま行から始まる観光地を指でつつとなぞっていく。


「ええと、モンジェイックという場所があります」

「そこじゃないはずです。そこに教会はないですから」

「じゃあモンジェイック城も除外してよさそうですね」


 さらに指を下へ下へと這わせていき、一番下に突き当たる。そこにある名前は――――


「モンセラット」


「そうでしたわ! モンセラットです! 間違いなくお姉様はそこにいます!」

 

 アンナが目を輝かせてしきりにうんうんと頷く。こんなに自分のことのように喜んでくれるシスターに安藤は不思議に思い、尋ねてみることにした。


「その、アンナさんはどうしてここまでしてくれるんですか? 初対面の俺なんかに」


 するとアンナは胸の前で手をきゅっと握り、わずかに頬を赤らめながら話してくれた。

 なんでも彼女がイタリアの教会に赴任した際に、閉鎖の危機に遭っていた教会を救ってくれたのだ。


「恥ずかしい話ですが、わたし子どものころから何やってもダメで……そこをお姉様が救ってくれたのです。今では後輩が出来て、聖歌隊の指導もお願いされるようになったんです……ですから」


 そこまで言うとまっすぐに安藤を見つめる。


「ですから、今度はわたしがお姉様を救う番です!」

「で、でもそこにいるからと言って、彼女がまだそこにいるとは……」


 するとアンナが拝借しますねとガイドブックを手に取り、ぱらぱらとページをめくる。

 やがて目当てのページを探し当てると、安藤にも見せた。

 路線図のページだ。


「サン・セバスチャン駅がここです」と最寄り駅を指差し、そこからつつと下へと。


「今の時間でしたら、スペイン広場駅まではぎりぎりで行けるはずです。明朝になったらこの路線に乗り換えてください。あとは登山鉄道クレマジェラでモンセラットまで一直線です」


 安藤は腕時計を見る。彼女の言うとおり、すぐに行けば間に合うだろう。


「アンジローさん」

「え、あ、はい」


 安藤の手を優しく握る。


「お姉様はこう言ってましたわ。『奇跡とは、自分からつかみに行って自分で起こすものだ』と」

「アンナさん……」


 にこりと微笑む。


「すぐに行ってください。時は待ってはくれませんわ」


 安藤の手からアンナの手が離れ、彼女は目を閉じて胸の前で両手を組む。


「あなたが無事フランチェスカお姉様と会えるよう祈っています」


 がたりと椅子から立ち上がる音がしたので、目を開けると安藤が立ち上がっていた。


「ありがとうございます! フランチェスカさんに会いに行ってきます!」


 ガイドブックをバッグにしまい、アンナを残して階下へと下りる。


「……お姉様、これで恩返し出来ましたわ」


 ふたたび両手を組んで祈りの言葉を唱える。


 


 やがて列車は駅のホームに到着し、乗降口から観光客がぞろぞろと吐き出されていく。

 車両から降りた安藤は上を見上げる。屋根がないので周りの風景がよく見える。

 ホームの端には登山鉄道の入口が見えた。そしてその遥か上にはのこぎりという名に相応しい奇岩の山――――モンセラットが。

 彼女がいるであろうそこに向かうべく、安藤は登山鉄道の入口へと足を向けた。

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