第61話 Oscuridad -闇-


 階段を降りるとそこは狭い岩肌の通路が。

 天然の洞窟をそのまま利用しているらしく、天井が低いので屈まないと頭をぶつけそうだ。

 カンテラで奥の闇を照らしながら慎重に前へと進む。

 きよめの儀については幼少の頃から話には聞いていたが、実際目の当たりにするのは初めてだ。

 やがて通路の幅が広くなってきた。それと同時に天井も高くなったので、フランチェスカはほっと息をつく。

 前方を照らすべく、カンテラを前に掲げた時――壁にあるものが露わになった。

 それはおびただしい数の、人間の頭蓋骨で天井から地面まで重なり合うように並んでいる。

 カンテラの明かりを受け、虚ろな眼窩がんかで見習いシスターを見つめる。


「悪趣味ね……まるでカタコンベ地下墓所だわ」


 カンテラを奥に向けると、通路が見えてきた。夥しい頭蓋骨に見つめられながら奥へと進む。

 途中、蜘蛛の巣が頭にかかったので手で払う。


 けがれを祓う儀式なのに、これじゃ逆に汚れるじゃない!


 ぶつぶつと愚痴をこぼしながらも慎重に進んでいく。

 幸い通路には頭蓋骨はないので気にせずに進めるが、それで息苦しさがなくなるわけでもなし。


「と、今度は上りなのね」


 これまた岩を削って造られた石段を一段ずつ上がっていく。

 果たしてこの奥にある礼拝堂にはいったい何があるのだろうかと思いをめぐらす。


「いったいこの教会にある黒いマリア像となんの関係があるのかしら?」

 

 そしてガウディ。あなたはいったい何を見たの?

 グレゴリオ院長によればスペインで著名な建築家、アントニ・ガウディはインスピレーションを得るためにこの先にある礼拝堂に篭もったのちにサグラダ・ファミリアの建築に取り掛かったと言うが……。


 そういえば、以前にもこんなことがあったなと思い出す。


 そうだわ。あれはマカオだったっけ……。


 マカオの聖フランシスコ・ザビエル教会に務めに行った際に、地元の少年とともにザビエルが発見したという財宝を探しに洞窟に入ったのだ。

 

 あの時、発見したのは恐竜の骨だったわね。まさか、今回も骨だったりして……。


 そんなことを考えていると目の前にアーチ状の入口が見えてきた。

 

 礼拝堂の入口かしら……?


 狭い入口を抜けると、さっきまでの狭い通路とは打って変わって広い空間に出た。

 天井も高く、見上げると穴が空いているのかわずかに星が見えた。

 カンテラで辺りを見回すと、黒い岩肌の壁が周囲を取り囲んでいることがわかる。

 さらに壁沿いに進むと窪みが現れ、その窪みのなかに横たわっているものを見て思わず足を止め、ひゅっと息を飲みそうになる。

 長年の経過によって肌は乾燥してまるで木の皮のようになり、鼻腔や眼窩は腐り落ちてうろのようだ。


「うぇ……これがミイラってやつ?」


 衣服もところどころ擦り切れて朽ちている。祈りを捧げるかのように胸の前で手を組んでいるので、もとは聖職者だったのだろう。


 殉教者かしら……? かなりの年月が経っているように見えるけど……。


 ふと上を見上げるとそこにも窪みがあった。高いので見えないが、おそらくそこにも同じく遺体が横たわっているのだろう。

 次に反対側のほうにカンテラを向けるとやはり向こうにも同じく窪みが。

 最後に中央の壁を照らす。

 岩壁をくり抜いたのか、そこにはぽっかりと穴が空いた部分がある。

 近寄ってみるとその穴はかなり低く、おまけに狭い。

 フランチェスカでも屈んで頭を低くしないと入れないほどだ。

 奥のほうを照らすと壁にはなにもない。ただぽっかりと空いた空洞だけだ。


 ……? 変ね。ほかに通路がないところをみると、ここが礼拝堂なのは間違いなさそうだけど……。


 礼拝堂には必ず十字架、ならびにイコンと呼ばれる聖人を描いた画があるものだ。だが、この岩に囲まれた礼拝堂にはそれが見当たらない。


「ここで祈りを捧げろったって、なにもないじゃない」


 なにより死者と一緒にここで一晩過ごせと? 冗談じゃないわよ!


 首を振りながら溜息をひとつ。

 途端、カンテラの明かりがちらちらと揺らめいたかと思うと、火がだんだん小さくなっていってついには消えた。

 完全な漆黒のオスクリダッドだ。


「ちょっと! 全然なにも見えないんだけど!」


 クソ!コニョと悪態をついてもどうにもならない。

 マッチの類がなければライターもない。スマホは帰国した際に父に取り上げられてしまっている。


「もう!」


 闇の中でフランチェスカは文句をつき、使い物にならなくなったカンテラを地面に置く。

 そして地面に手をつきながら手探りで進む。やがて硬い感触が。

 岩壁に手をつき、空洞を探り当てるとそのなかへと入った。

 狭いが、屈んで頭を低くすれば思いのほか快適だ。


 ここいいじゃん。こんな真っ暗なとこで祈りなんて捧げてられますかっての。

 

 夜明けになれば穴から太陽の光が差す。それまでの辛抱だ。

 時間が知りたいが、夜光塗料のない腕時計はここでは無用の長物。

 

「はぁ……」


 父さんもフリアン兄さんもこうだったのかしら……?


 スマホや携帯ゲーム機があれば時間つぶしになったろうが、それもこれも父に取り上げられて手元にはない。

 闇の中、ただでさえ時間もわからないこの状況は時間の感覚が掴みにくく、一秒がまるで一分のように感じられる。一時間となるともはや永久のようだ。

 だんだんと息苦しさを感じるようになる。

 

 アンジロー……いま、どうしてるかな?


 日本にいる男友だちに思いを馳せるが、すぐに首を振る。

 

 バカね、フランチェスカ。彼は遠い日本にいるのよ。


 とすんと頭を組んだ足の膝頭に当てる。


 その時だった。

 がさりと音がしたのは。

 がばっと頭を上げる。だが、暗闇のなかでは見えない。が、確かに音はする。


 ――――――なにかがいる!


 息を潜めて闇に目を凝らす。

 ずるりと何かが這い出る音。次にひた、ひたと足音。

 次第に目が闇に慣れ、見えてきたのはミイラそのものであった。

 骨と皮だけとなったそれはぎこちない動きでなんとか立ち上がろうとする。

 頭部が上手く支えられないのか、かたかたと左右に揺れる様はミイラというより、ゾンビだ。

 

 なに、こいつ……?


 壁の窪みから這い出た殉教者の成れの果ては夢遊病者のようにふらふらとふらついたかと思うと、途端ぴたりとその動きを止めた。

 ぐるりとこちらを見る。眼窩には眼球がないので見えるはずもないのだが、確かにこちらを――――!


 ぎゅっと目を閉じる。そうすれば幽霊が消えていなくなるかのように。

 だが、足音は非情にもこちらに近づいてきている。

 すぐに穴から出て、ここを抜け出せばいい。そう頭ではわかっていても体が動かない。


 お願い……来ないで! ママ、パパ。フリアン兄さん……!


 ぎゅっと首にかけられた十字架を握る。掌の中でその確かな感触は不思議と安心感をもたらしてくれた。

 ふと足音が一切しなくなったことに気付く。


 見落としたのかな……?


 あるいは見逃してくれたのかどうかは定かではないが、ひとまず危機は去ったようだ。

 ほっとひと息つこうとした時――――


 

 いきなり顔が掌で覆われ、口を塞がれる。


「ッ!? ――――ッ!」


 叫ぶ間もなく強引に空洞から引き剥がされていく。骨と皮だけとなった肉体のどこにそんな力があるのかと思わんばかりだ。

 地面に組み伏せられ、両手と両足をばたつかせる。と、足首をなにかに掴まれる。

 この世のものとも思えぬうめき声がふたつ聞こえることから、もう一体が這い出してきたのだろう。

 いや違う。

 またどさりと落ちる音。音のした方向に首をめぐらせた時には、すでにいつの間にか来ていた四体目に腕を掴まれていた。

 すでに魂なき死者の細い腕が見習いシスターの身体を地面に押さえつけていく。

 顔を左右に動かしてやっと掌の拘束から逃れるとありったけの声で叫ぶ。


「アンジロ――――!」

 


 思わず膝に乗せていた頭を上げ、フランチェスカは激しく呼吸する。

 夢だと気付くまでに数十秒の時間を要し、辺りを見回す。といっても依然として闇のままだが。

 やがて呼吸が正常に戻りつつあると、ふたたび頭をとすんと膝に乗せる。


「バカね、ゾンビなんているわけないじゃない。ゲームのしすぎよフランチェスカ……」


 ゾンビなんていつもゲームで倒してるんだもん。だからこんなのへーき。

 

 ぽたりと膝に何かが落ちる。

 ごしごしと袖で涙を拭うが、それでも止めどなく溢れ出てくる。


「う、うぇ……」


 だから、ひとりでもだいじょうぶ……。


「アンジロー……まいまい……」


 ぜんぜん大丈夫じゃないよ……。


「助けてよ……」


 見習いシスターの嗚咽に近い嘆願は闇の奥では誰にも届かず、虚しく響くだけである。


 

 ――同時刻。

 サン・セバスチャンの8月31日通りはその日も活気に溢れ、あちこちのバルからは常連客や酔客の陽気な声も。


「はいよチャコリね! え、パエリアならもうすぐ出来るよ!」


 カサ・マルガも例に漏れず盛況だ。常連客から注文を受けたパエリアの出来具合を確かめようと厨房に目を向けると、安藤はコンロの前にいた。


「アンジロー、パエリアはどう?」


 だが、反応がないのでもう一度。


「アンジロー!」

「へ? あ、すみません!」


 どうやら上の空だった安藤は慌ててコンロからパエリア鍋をおろして、鍋敷きの上へと。

 

「大丈夫かい? 今朝からその調子だけど……」

「すみません……」

「本当に? それならいいけど……あとセボージャ玉ねぎの仕込み頼んだよ」


 マルガが少し焦げ気味のパエリアを注文した客のもとへ運ぶなか、安藤は玉ねぎを取り出してみじん切りにするべく包丁を手にする。

 まな板の上ですととんとリズミカルな音が響く。それでも安藤は上の空のままだ。


「ッ!」


 包丁の刃が指を掠め、慌てて出血した指を吸う。

 

「大丈夫かい!? だから言わんこっちゃないよ!」

「すみません……いっ!」


 女店主から絆創膏を受け取り、指に巻いているとぴしゃんと尻をはたかれた。

 見下ろすとラケルが。

 しっかりしろと言いたいのだろう。


「すみません」


 頭を下げると、小さな先輩は「ん」と頷き、調理に取り掛かる。


 俺って情けないな……。


 ドン・サンチェスの根回しによってサン・セバスチャン中のバルや教会に箝口令かんこうれいが敷かれ、フランチェスカを探す手がかりはぷつりと切れてしまった。

 かと言って市外に出て探そうにも、バスク地方は途方もなく広い。

 タイムリミットまではあと5日ある。だが手がかりもない今、バルで仕込みの手伝いをするしかない安藤はもどかしさを拭えなかった。

 絆創膏が食材に触れないよう注意しながらカットしていく。


 これから一体どうすれば……


「あ、あのっ! すみません、通してください!」

 

 声がするほうを見ると、入口から若い女性が入ってくるのが見えた。バルの喧騒に慣れていないためか、何度もすみませんと言いながら人混みをかき分け、やっとカウンターの前へと。

 マルガが対応をするが、来訪者の身なりを見るなり目を丸くした。


「あんた、もしかしてシスターさん? いったいなんだってこんなところに……」


 見れば彼女が身に着けている修道服スカプラリオはフランチェスカが着ていたものによく似ている。


「あっあの、あの……!」


 ヴェールを被った赤毛のシスター、アンナはしどろもどろになりながらもなんとか用件を切りだそうとする。

 

「あの、こちらに日本から来た男性の方はいらっしゃいますか?」

「日本からの? それって……」


 厨房内のマルガ、ぺぺ、ラケルが同じほうを見る。

 

「へ? 俺っすか……?」


 安藤が自分を指差す。

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