EXTRA 神代舞の憂鬱


 ――日本。

 神代神社の社務所兼自宅の自室にて舞はひとり勉強机に向かっていた。

 英語の参考書を見ながら黙々もくもくとノートにペンを走らせる。

 

「えっと、『look back』が『振り返る』だから……」


 ノートにさらさらと英文を書いていき、構文を確認し、それぞれの単語から文章の意味をつかもうとペンのキャップ部分を顎にあてながら考える。

 やがて思いついたかのように「あ」と声をあげてから、英文の下に訳を書いていく。

 もう一度英文を読んで訳が間違っていないことを確認して「うん、うん」と頷く。

 ふと壁にかかった時計を見る。針は午後の三時を指していた。

 椅子から立ち上がって窓を開けると、ひゅうっと風が吹いて彼女の黒髪がそよめく。

 空を見上げるとどこまでも突き抜けるようにあおい空が広がっている。


 アンジロー……いまどうしてるかな……?


 ふと彼と最後に会ったときのことが思い起こされた。

 デートの後、神社で彼は思いの丈を打ち明けたのちにスペインへと発っていった。

 初めての失恋で思いきり泣いたあとは不思議と吹っ切れたような感じで、今は清々しい気分だ。

 ちらりと机に置かれたスマホを見る。

 手に取って画面を開く。アプリに通知が来ていたので開いてみると、同級生の友人からだった。

 いずれも受験勉強に対する文句とそっちはどうかと進捗状況の問い合わせだ。

 安藤からは来ていない。フランチェスカのほうは最後に会って以来、なんの音沙汰もない。こちらから送ったメッセージも既読がつかないままだ。

 彼女になにかあったのではないかと思案するが、連絡が取れないのではどうしようもない。

 

 アンジローに、メッセージ送ってみようかな……。


 ごくりと唾を飲み込み、指を安藤とのチャットにタッチしようと――――

 

 ノックの音がしたので、舞はびくっと身をこわばらせ、反射的にホームボタンを押す。

 入ってきたのは神社の神主である舞の祖父だ。手には湯呑みと水ようかんが載った皿を乗せたお盆が。


「舞、おやつじゃぞ。ご近所さんから水ようかんもらってな」

「あ、ありがと。じーちゃん」


 ことりと盆を机に置く。


「勉強がんばっとるようじゃな。感心感心」


 うんうんと頷き、舞のほうを見る。


「こないだ泣いておったから、どうなることかと思ったんじゃが……」

「ちょっ、じーちゃん!」

 

 顔を赤くした孫娘に背を向け、ほっほっほと笑いながら部屋を出る。

 舞ははぁーっと溜息をつき、机に戻った。

 まずは休憩だ。腹が減ってはなんとやら。

 水ようかんに串を刺し、ぱくりと口に運ぶ。じゅわりと優しい甘みが口中に広がっていく。

 ずずっと茶を啜り、ふぅっとひと息。

 ペンを手に取り、解答を記入しようとノートに手を触れ――

 傍らのスマホが目に入った。

 一瞬見つめたのちにノートに目を戻す。


 アンジローも頑張ってるんだし、あたしも頑張らなきゃね。


 「うん!」と自らに気合を入れるかのように声を出し、舞はふたたび勉強に取りかかった。

 


 

 ――スペイン、バスク。


「お願いします! どうか教えてください!」


 サン・セバスチャン市内にある教会の木造の扉を叩きながら安藤は叫ぶ。

 だが、門は安藤の入室を阻むかのように固く閉じられている。


「あなたに教えられることはありません! どうかお帰りください!」


 扉の奥からシスターの悲痛な声。


「俺はフランチェスカさんに会うために日本から来たんです! 何か知っていたら教えてください! もうここしか望みはないんです!」


 閉じた門の裏側から安藤の懇願と叩く音を老齢のシスターは扉を背にしてきゅっと噛みしめながら聞く。


「私もどうにかしてあげたいのはやまやまなのです。ですが、ドン・サンチェスに逆らったら……」

「ドン・サンチェス!?」


 サン・セバスチャンを牛耳るマフィアのボスの名前が出るなり、安藤は驚きを隠せなかった。

 バルでの聞き込みで門前払いを食らい、今度は教会で手がかりを手に入れようとしたのだが、まさか教会まで手が及んでいたとは……!

 それに構わずシスターがさらに続ける。


「どうかお帰りください! そして私たちに関わらないで!」


 ぴしゃりとそう突きつけられた安藤はがくりとその場に崩れ落ち、扉を叩きつけていた手がずるりと下がる。

 

「…………ッ!」


 どんと扉を叩くが、それで何かが起きるわけでもない。

 ごつんと額を扉に押し付け、「ちくしょう!」と悪態をひとつ。

 安藤がサン・セバスチャンに来てからすでに五日が過ぎたが、いまだに彼女――フランチェスカの手がかりは掴めないでいた。

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