初日 鐵(後編)
「どうして連れ帰ってきた」
乃亜様が俺に詰め寄る。おぶって戻ってきた鬼灯は拘束されて、動きを封じられている。今にも殺されてしまいそうだ。
檻に戻った途端彼女は覚醒し俺たちに襲い掛かろうとしてきた。だからまずは拘束し、事情を聞こうというわけだ。
「規律を知らないわけではあるまい?」
知らないはずがない。俺とて、この檻で何人仲間を粛清したと思っている。
「暴走した者は、息の根を止め抹殺せよ」
「そうだ。だがお前はそれを破った。ここにいる仲間を傷つけることを承知の上で」
静かな怒りが俺に向けられている。他の信徒たちも同様だった。戸惑いながらも、怯えながらも俺は敵意を向けていた。
「だけど彼女は泣いていた……会話も、まだできていたんです……」
乃亜様は剣を下ろす。そして小さく舌打ちをした。
洞窟の中で、鬼灯が唸る声に混じって乃亜様の舌打ちは響いていった。
「どうしても、殺せないというのなら」
我らが象徴である上位信徒は鬼灯へと振り返りその喉元へ刃を突き立てる。その動作に迷いはなく、幾度も幾度も同じことをしてきたことを思わせた。
ーータスケテ。
鬼灯の口がそう動いた。気がする。本当に気のせいだったかもしれない。けれど、俺にはそれで十分だった。
「ああぁっ!」
拘束を振り払い自身の武器を奪い返す。
「……っ」
乃亜が振り返るよりも早く鉄塊を大振りで振り抜いた。
「くぁっ……」
周りにいた信徒が全員吹き飛んで気絶する。だが、皆息があるようだ。
ほっと一息ついて鬼灯の拘束を解いて手を引く。彼女は、嫌がらなかった。大人しくついてきてくれた。
追ってくるものはいなかった。それもそうか、反乱分子に割く戦力はいまのところないのだ。ならば出来る限り遠くへ。
走る、走る。
時折現れる化け物どもをなぎ倒しながら突き進む。怖くはなかった。つないだ左手に確かに彼女の重みがついてきていたから。
それから一両日が経っただろうか、その間、俺は立ち止まるたびに衝動のままに鬼灯を犯した。この戦いに出る前は、愛し合うのが普通だった。彼女とは恋仲だったから。でも今は一方的だった。
何度も、何度も。
こうでもしなければ自分を維持できない気がして怖かった。誰かと、鬼灯と繋がっていたかった。
彼女は答えない。俺の暴力に身を任せるようにどこか遠くを見ていた。その虚な瞳が俺を映さないことが、俺の心をどんどん壊していく。
俺は自分が壊れていくのを感じていた。
力任せに化け物と戦い、鬼灯を庇っては傷つき回復してを繰り返すたび、何かを失っていく感覚が俺を襲い続けた。それから逃げるように、彼女を犯す。
もうとっくに、俺も壊れていた。どうしていいかわからない。快楽すらも、感じないほどに。
何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
それでも、それだけ壊れても俺は俺だった。いっそ本当に壊れてしまえばどれほど良かっただろう。
獣のように彼女を襲い、達するたびに自身を見つけてしまう自分がいる。こんな暗くて広い世界で物言わぬ女と二人きり。そんなのは独りと同じだ。
救いなどなかった。
いくら呼びかけても、いくら愛しても彼女は俺の顔をその瞳に写してはくれない。もう、彼女だったものはそこには存在していないのだと痛感する。
どこまで進んでも、どこまで走っても。
彼女はそれでもついてくる。嫌がることなくついてくる。
わからない。どうしていいか、わからない。
ぶちまけられた俺の欲望で着飾った女が横たわるその隣で、独り膝を抱えて蹲っている。
もう、彼女に対する恋慕も思い出せない。
彼女をどんなふうに愛していたかも思い出せない。
彼女が、どんなふうに笑っていたのかも。どんな仕草をしていたのかも。
なにも、思い出せない。
頭に浮かぶのはなにも映さない虚な瞳だけ。それでも彼女は呼吸をして生きている。生きているけど死んでいる。
今では俺も同じだ。俺も彼女も廃人だった。そう思えるだけ俺はまだ生きているのかもしれない。
その時だった。
二足歩行で歩く、大きな斧を持った化け物が近づいてきた。
我らで言う天使格の異形。その名をミノタウロスと言ったか。そいつは鬼灯を狙っている様子だった。
守らなければならない。
どうしていいかわからなくても、もうなにも思い出せなくても、それだけはやめてはならない気がした。
「わかんないんだ。わからない」
振り回し、弾かれ、弾き、衝撃を受け、衝撃を与え、そして弾かれた。
「あ……」
もう終わりだった。真っ二つにされてしまう。
そしたらもう、どうか、どうか神様。
俺を終わらせてください。こんな彼女も、こんな惨めな自分も、もう見ていられない。
終わりたい。
こんな不死なら、いらない。
化け物は振り上げた斧を振り下ろさなかった。
振り下ろせなかったんだ。
響き渡る轟音。解体されていく大きな牛。
身体中に白濁とした液体がついている。
両の腿の間からも溢れ出すようにこぼれ落ちている。
鋭い眼光を放つ女がそこにいた。
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