第36話 順応


 執務を終え、椎名と共に夕食を取るとルーチェスクは残った仕事を片付けるために自分の居室で仕事を始めた。

 椎名はある程度までは起きて待っているが、大概は寝てしまうことが多い。特に最近は寝てしまうことが顕著だった。


 ルーチェスクは椎名を起こさないように寝室に入る。

 ふわりと、椎名の匂いがするのもいつものことだ。

 ルーチェスクはオオカミの獣人である。従って、体臭には敏感と言われる魔族の中では特に種族柄敏感で、特にツガイである椎名の匂いには敏感だ。

 そのルーチェスクが部屋の匂いに違和感を感じた。

 いつも椎名の匂いはさわやかな森の中にいるような、新緑の匂いがするのだが、今日はなんとなくそこに甘い香りが混じっている。


 椎名の隣に身体を滑り込ませると、その首筋に鼻を近づけスンと香りをかいだ。

 さわやかな新緑の香りの中に、甘い香りがかすかに漂っている。

 数日前から気が付いてはいたが、日に日にその甘い香りが濃くなっている。


 その意味に気が付いたルーチェスクはにんまり笑うと小さな椎名の体を包み込んだ。

 魔界唯一の人間という種族は、考えていたよりも弱いが、その心は、強い。

 椎名の家の人間は、先祖代々「生きろ」という家訓のもとに育てられているということは知識としては知っていた。

 それがどんな意味を持つのか、現実にまざまざと教えてくれたのは目の前にいる椎名だった。


 魔族は、人間と違って見た目も、考え方も、習慣も違う。もちろん、人間と似ているところもあるし、召喚前はセルジュのサポートがあっていずれは魔界に行くという覚悟もあったかもしれない。

 だが、まるっきり違う環境に置かれて、しかも日々、その魔界に順応するために自分の体も変化しているということに気が付いているだろうか、と心配になる。

 魔界と人間界では時間の流れが違うし、時間軸も違う。魔力の影響を受けて椎名の体も変わってゆく。人間界で生きる人間よりも長生きできるかもしれないが、それでも魔族よりははるかに短い人生になる。

 おばばや大司教や、魔種族学者のサポートもあって魔族と人間の寿命は違うし、種族によっては体のつくりも違うと教えてきた。藤間の花嫁が魔界に来るということは、一つは人間として寿命を終えるのか、それとも魔族化の魔術を受けて魔族になるかの二択も迫られる。

 魔族にならなくても人間のまま、ルーチェスクの子供を産むことはできる。だが、人間のままルーチェスクと同じ歳月を生きることはできないし、生まれた子供も魔族のように長くは生きられない。


 歴代の藤間の花嫁は日々のいろいろなことを日記として、あるいは備忘録として書き残してきた。その時の葛藤も書いてあるのだが、椎名はそれを目にして、繰り返し読んでいる。だからそう言ったことも知識としては知っている。

 いろいろ自分の心の中に飲み込むことも多いとルーチェスクは想像している。

 だが、本人は自分の中でまとまりが付かないと静かに口にするだけだ。

 ありのままを受け止め、子供を産むことや魔族化に関しては結論を出すとは言っているがそれで取り乱したりすることはなく、静かに受け止めている。

 自分にできることは側にいて話を聞いて、自分にできることをするだけだが、最大限の配慮をしようとルーチェスクは決意していた。


 一体椎名はどんな選択をするのだろう。



 ゆっくり覚醒しながら、しかし体を包む温かさに身をまかせながら背中から感じるその熱源に意識を集中させる。

「ん?」

 それが夢の中のことではないことに目をぱっちりと開ける。

 動こうとした体を、当たり前のように引き寄せる腕が体に密着して完全に目が覚めた。


「おはよう、椎名」

「おはよう、ルー。ねぇ、熱があるの?ちょっと体温高くない?」

「ああ、お前にあおられたんだな」

「何のこと?」

「そろそろと思っていたんだがな。発情期の魔族は体温が高いんだ」

「は?」

「魔族は年がら年中、人間と同じように発情はするんだが、特にケモノ系の魔族は発情期があるんだ」

 衣類の隙間からルーチェスクの両手が入ってきて、直接肌に触れた。その手のひらが熱く、官能的な熱さに感化されたように椎名の体がふるりと震えた。

「私…」

 朝だというのに、椎名の体が熱くなっている。

「人間の生理周期も同じだ。もっと言うと、魔界になじみ始めて、しかも事あるごとに俺の精を受けているんだ。影響が全くない訳じゃあるまい。そろそろ椎名は発情期だろう? 匂いが甘くなってきた」

「いや、人間は発情期はないし」

「だから、身体がそうなってきているということだ」

 有無を言わさず、ルーチェスクは椎名の身体を撫でまわした。


 背中で喋るルーチェスクの息が当たるたびにゾクゾクとした感覚が背中を駆け上がり、そこから逃れようと胸を突き出すような姿勢になる。

「椎名?」

 一瞬にして魔法でネグリジェと下着をはぎ取られ、背中にキスを落とされる。思わず変な声をあげて逃げようとすれば、胸を突き出す格好となり、ルーチェスクを喜ばせることになる。

「我慢するなと言ったはずだ。お前の声は甘い」


 胸に回した両手でその膨らみを包みこみ、赤く色づいたその先を指で転がすと、椎名はますます体を揺らせた。逃げているつもりなのだろうが、逆に煽っているということに全く気が付いていない。

 ふわりと香る椎名の甘い体臭を胸一杯に吸い込むと、自分の体の隅々に力が満ち溢れるのを感じる。こんなにも甘い体臭を放つのは、自然に愛していると言っているのと同じことだという意味を持つのだが、残念ながら人間の嗅覚はそこまでには及ばない。

 椎名は知っているのだろうか。発情期だから、結婚しているからと言ってこんなに強く甘い匂いが出るわけではないということを。


 獣系の獣人には当たり前のことではあるが、「ツガイ」という認識があるが、それは個体と個体との本能的な結びつきであり、ある意味運命的な結びつきだと言われる。これに似たようなことが他の魔族にも当てはまる。それが魂の交接という認識なのだが、こちらはお互いの魔力を交換することによってその結びつきを証明するというようなものだ。

 通常、魔力交換は誰でも可能だが、相性によっては提供された魔力全てをそのまま受け取れるわけではない。相性が良いと言われてる者同士でせいぜい半分程度だ。お互いに信頼し、親密な間柄でも7割だと言われている。

 この7割越え以上の相手が魂の交接ができる相手と言われている。

 大体は、パートナーとして生活することが殆どだ。そして年を経ることに深まっていくのもこの特徴でもある。


 ルーチェスクは椎名とあった時、本能で彼女が自分のツガイだと知った。匂いで番を識別するのは動物的だと思うが、しかし真理なのだ。

 いずれは、椎名をツガイとして認識してしまおうと考えている。二人が出会ったときはルーチェスクを愛すると決めた時ではないし、今もまだその思いを育てている最中だ。身体の準備もできていない。

 だから、どんな形であれ、ゆっくり自分のことを好きになってほしいと思っている。知ってほしいと思っている。

 ツガイになるのはもう少し後でも良い。それよりも、少しずつ、魂の交接ができるように関係を深めたいと思っている。

 魔力の交換をすればするほど、官能が高まり、魔力も高まると言われているが、実はそこに至るまでの歳月はそれぞれだという奥深さがある。。

 ある者は愛情の深さだと言い、ある者はタイミングだという。ある者は毎回だと言い、ある者は時々という。


 だから、藤間の女を妻にすると決めた時、魂の交接はないかもしれないと覚悟した。

 だが、意外にも椎名はゆっくりとだが自分を受け入れてくれている。理不尽な方法によって魔界に連れて来られ、全く違う生活を強制されているのに、である。

 これを、心が強くないとは言わない。


「いや…」

「どうした?」

「あさから…それはない…」

「関係ない、朝だから味が、濃い」

 その言葉に耳まで真っ赤になって抵抗を示したが、容赦なく四肢を拘束した。

「やだ、ルー」

「悪いな、我慢できないんだ」


 発情期に入った魔族の前で、人間の匂いは極上の香りなのだ。ルーチェスクは容赦なく四肢を拘束し、全身を余すところなく甘く攻める。逆に拘束したから容赦なく官能を揺さぶり、高めて何度も啼かせた。何度抱いても恥じらいを忘れない椎名の姿に嗜虐心を煽られる。他の誰にも見せたこともない、秘めたる部分をルーチェスクの前だけ、恥じらいながらも晒す姿は何度見ても美しいと思うし、独占欲をそそられる。

 それを美しいと褒め称え愛していると心から囁き、体の交接を深めると、椎名は素直に体を震わせてそれに応えてくれた。

 何度も椎名の胎に解き放ち、綺麗にしてやると言って浴室でも啼かせたのだ。枯れてしまった声も魅力的だが、縋りつく腕と共にびくびくと震える体は椎名の体のありようを如実に物語り、それはルーチェスクをことのほか満足させた。


 魔族の発情期は長く、期間にして1カ月は続く。片時も離さないのが通常で、事前にレクチャーを受けていた椎名は承知していたがルーチェスクの場合は予想を越えていた。


 世話役の侍女の様子うかがいすら断ってルーチェスクは椎名に溺れた。最も、日中は仕事で執務室や会議室に出入りするので椎名とは離れるがそれ以外は片時も椎名を離そうとはしなかったし、誰の目にも触れさせたくはないという感情を隠そうともしなかった。

 そんなルーチェスクの変容をジョルジュやラルフが笑いながら見守っていたのは言うまでもなく、寝室に近づけない分、椎名が気を使って定期的に自分の部屋で日中を過ごすことも日常となった。

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