第25話 魔界で生きるということ 3

(本日は2話更新です。12時と20時更新。更新時間変更のため)





 やはり、血の匂いでわかってしまったか。


「出てきなさいよ」

 椎名は魔獣の上に落ちないように木から降りて、不可視の結界を解いた。

 魔獣は椎名の近くには寄ったが、椎名の匂いを嗅ぐと尻尾を丸め、耳を倒し、服従のポーズを取った。


「え? ちょっと」

 狩人らしき女性はその恰好に驚く。

「ラン?」

 魔獣はそれでも椎名のそばを離れようとはしなかった。それどころか、椎名の周りをぐるぐる回ると椎名の顔を見上げ、不安そうな顔をした。

「あなた、まさかあのエネルギーの塊で、転移魔法で飛ばされてきたってこと?」

 驚愕の表情で女性が声を上げた。

「その通りよ。帰れなくて困っているの」

「転移魔法で飛ばされたって…いや、ランディ、ちょっと」


『私の声が聞こえませんか? 教えてください、あなたは何者ですか?魔王様の魔力を濃く纏うということは、魔王様のツガイではないですか?』

 椎名の視線が魔獣に落ちた。真っ黒の、狼である。

『魔王様だけじゃない、わが父セルジュの気配さえ身に纏っている…まさか藤間の花嫁さまではないのですか?』

 真っ直ぐ向けられた念話に、椎名はほっとしたように座り込んだ。正直、いろいろありすぎて混乱しているのが正直なところだ。

『ごめん、セルジュと連絡が取れるかしら?定期的に念話を試みてはいるんだけど、何かの結界なのか、距離がありすぎるのか、届かないのよ。本当は魔王様と連絡を取りたいんだけど、彼とも念話が無理で。貴方はセルジュか、キレンスキー将軍と連絡は取れるかしら?』

『ああ、彼女は結界師なんです。だから彼女の身の安全のために結界内にいる人物は許可を得ないと念話はできないですし、それに…距離があるので無理と言えば無理ですね』

『そうなの、私は椎名。藤間の花嫁』

『シーナ様ですね。大丈夫、彼女は念話は全くできません。結界師であり、治療師でもあるので怪我の手当てができますし、とりあえずの安全は保障します。私はグレージュ、彼女はランディと呼んでいますが、一応魔族で変身しているだけです』

 狩人姿の女が近づいてきた。

「ほんとうに大丈夫…なわけないじゃない。貴方、ケガしてるし」

 女は椎名の頭に目をやった。

「私はアンジェ・ラトビア。治療師だから安心してね。頭と足の傷、見せてね」

「あなたはどうしてここにいるの?私はシーナ」

「薬草を採取してギルドで買ってもらうのよ」

 アンジェと名乗った女性は傷の具合を見るとすぐに洗浄魔法をかけ、自作の薬をガーゼに塗ると傷口に当てると包帯を巻いた。

「いつもならもっと樹海の中心よりも町側で採取するんだけど、昨日は頼まれていた薬草が見つからなくてちょっと奥に入っていたことと、膨大な転移エネルギーをキャッチしたから急いで現場に来てみたわけ。良く生きていたわね。樹海の中心部なんて魔物の巣窟よ」

「あー、急いで離れたから」

 そうなのだ。出血していたことが分かったから、その匂いに魔獣が集まって来られないように浄化の魔法をかけ、その場を離れた。匂いけしのためにヨモギや他の植物の力を借りながら現場を離れ、必要な材料を集めながらここまで移動してきたのだ。

「結構な距離になるんだけど」

「だから結構体力使ったし、魔力も減ったし」

「足は、捻挫だと思う。骨に異常があるようには見えないから」

「私もそう思う。歩けるから」

「とりあえず、安全な小屋まで戻ろうか」

 アンジェはそう言いながらマジックバッグから紙を取り出した。

「ごめんね、私転移魔法が使えなくってさ」

 魔法紙に書かれた魔術はお札のようなもので、一度っきりの魔術に使えるものだ。

「ランディ、転移するわよ」

 ランディことグレージュは椎名に身を寄せるとそれを確認してからアンジェは転移魔法を発動させた。




 転移魔法で移動した先は、ロッジ風の小屋で、ちょっとした広さのあるワンルームコテージと言ったふうだったが、所狭しと薬草の入った引き出しや瓶が並べられている。不思議なことに、薬草臭さは全くなく、ほのかに紅茶の匂いがするだけである。


「ごめん、吐きそう」

「魔力酔いを起こしたのね」

 アンジェはすぐにサニタリールームに連れて行ってくれた。

 胃の中身を盛大に…吐き出すわけがない。ほぼ一日、水分しか摂取していないので出てくるのは胃液ばかりだ。

 それでも吐き出せば落ち着くもので、落ち着いたところで遠慮なく身を整えてサニタリールームを出た。

「どう?大丈夫?」

「まだ、目の前がぐるぐるしているけど」

「そこに座ってて。本当は酔い止めを使った方が良いんだけど、傷に良くないから。あーと、知らせたい人はいる?ここは樹海の中だから簡単には人は入って来られないから」

「樹海の中、なの?」

「その方が仕事がはかどるから。ランディも迷い犬なのよね。たぶん、犬系とかオオカミ系とかの魔獣の子供だと思うんだけど」

「そうなの」


『私は立派な大人ですが。妻子もいますし、孫もいます』

 真顔で反論してきたのはグレージュの方だった。

『叔父貴と連絡が付きました。今こっちに向かっています。あ、キレンスキー公爵の事です。私の妻が庶子ですが公爵の姉に当たるので。あ、ちなみに父は公爵ですが、私も母が平民ですので一族ではありますが、公爵家の正式な子供ではないんですよ』

『どちらにしても、直接のルートがあって助かったわ。今は誰も信じられないから。ありがとう、グレージュ』

『少しお休みください。ここは私が守ります』

『よろしくね』


 アンジェの方に向き直る。

「アンジェ」

「なぁに、シーナ」

「少し、休ませてください」

「だったらベッドの方に…」

「いえ、良いの」

 椎名は案内されたリビングのソファで横になると、そのまま仮眠を始めた。



 捜査隊は各方面、怪しげな場所はしらみつぶしに当たったようだが、返って来る報告は芳しくなく、セルジュとアーノルドは推理に従って椎名の魔力で転移できそうな「危険な場所」をしらみつぶしに当たった。

 椎名の魔力の方がはるかに高いので、何度も魔力を補給しながら、しかも捜索するので夜通しの作業に近い。アーノルドもセルジュも疲労していたが、二人は手分けして各方面を調べつつ、夜半過ぎに樹海だという結論に至った。



 王都からかなり離れた場所にある樹海は、通常なら王都から馬車で三日から四日、最速の魔獣馬でも丸一日かかる場所だ。

 広大な面積を誇り、しかも出てくる魔獣は並み大抵の強さではない。夜半に一日目の捜索を終えた二人は、ジョルダンの指示で先発捜索派遣された魔獣馬で構成されたキャラバンの一行の馬車の中に転移し、移動する間に休憩と睡眠をとっていた。

 予定なら、昼前に樹海の入り口に到着する。


「オッサン、どこから探す?」

「樹海に詳しい人がいます。そのひとの力を借りましょう」

「信用できる奴か?」

「もちろんです。奥の手もあることですし」

「誰か、潜り込ませているのか?」

「ああ、ちょっとした人物を」

「あー、もしかして、アンジェリカ・ラトビア・オーウェルズ侯爵令嬢、とか?」

「本人ではありませんが、彼女に近しい人物を」

「侯爵令嬢は監視対象、ということなのか?」

「彼女は監視対象ですが、ほぼ無害な人物です。今回の事にも関わっていないでしょう。そうだとは思いますが、警戒は必要でしょうが」

 そう言って、目の前の携帯食に手を付ける。朝食代わりだ。もう少しすれば日が昇る。そうしたら索敵魔法を使って樹海の捜索ができるようになる。


「ロブ、今回のことは…」

「十中八九、あの商人の息子だろうと踏んではいるんだが、まだ証拠が集まらん。知っているのか?」

「今全力で当たっている」

「無事でいてくれると良いんだが」

「無事だよ。少なくとも生きている」

「分かるのか?」

「念話が届かないが、生きているかどうかくらいは分かるようになって来た。おれの魔力では物理的な距離は縮められないんでな」

 アーノルドも干し肉をかじった。

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