第23話 魔界で生きるということ 1
数日後。
「えー、まだ儀式があるの?」
思わず、椎名はそう言ってしまった。
「まだまだありますわな。順調にこなしてもおおむね一年から二年はかかる」
「余計な儀式は省略したとして、それくらいということ?」
「逆に聞きますが、人間の結婚はどういう風ですかな?聞き及ぶところによりますと。まずは結婚が決まったところで結納なるものを交わし、そののち、結婚式を行い、親族に披露する披露宴をするとかなんとか、と手順を踏むのが一般的だと聞いておりますが」
椎名の目の前にいるおばばは、分厚い薬草学の本を示しつつ、そういった。
「その通りです。人間の世界にも順序はありますけど、婚約から結婚式まで半年くらいの間があるくらいです。中にはすっ飛ばしちゃう人もいますが」
「魔界では、貴族の間では婚約から結婚まで、半年以上の時間が必要とされることがあります。相手がまだ未成年の時に婚約しただとかそういった事情はともかく、花嫁教育にそれだけ時間をかけるんです。二人で充分に結婚する意志があるかどうかを確認するために」
おばばはそういった。
「花嫁は召喚されたときにはすでに花嫁ですが、だからと言って魔王妃になられるわけではありません。まず、召喚されたことを魔王の眷属に知らしめ、民衆に知らしめる必要があります。椎名様は公式な披露としてここまでは終わっております。それから、公になることはないですが、召喚直後には召喚契約式をやったはずです。全く知識がない時はともかく、こちらにお渡りになった後は魔界のことを勉強していただかなくては万一の時に魔界では暮らしてゆけません」
「はい」
「そして、召喚直後の一年から二年の間の花嫁は必ずしも魔界で生きてゆけるかどうかはわからないのです。順応できる花嫁ばかりではないのでその時間も必要です。魔界で生きてゆけるだけの知識をつけ、魔王妃としてのお妃教育が必要です。それを終えて初めて、魔王妃として認められる『血の儀式』を行わねばなりません。事実上、魔族として認められるための儀式です」
「なるほどね。だから時間がかかると」
「ええ。特に、人間は生贄をささげることを厭いますから」
「は?イケニエをささげるって、もしかして供物として魔物とか殺しちゃうとか、じゃないよね?」
「いえ、その通りです。民衆の前で生贄を捧げていただきます。大して心配いりません。相手は純真無垢な生贄ではなく、極悪非道の犯罪者です。死罪になって当然の魔族ですから遠慮なく。貴方が魔族として生きると示す意味があります。魔界の秩序を守り、魔界に住むものとしての矜持を示す儀式です」
「そんなことするんだ…」
「過去、生贄を捧げることができなくて魔族にはならないと拒否された花嫁様もいたそうです。その時は人間としての寿命を全うすることしかできませんが」
「そうなんだ」
一から勉強しなければいけないことが増えた、と椎名は思った。
「椎名様のお妃教育は順調です。まず魔界の生活に慣れるためにも魔界に住む魔族の種族や動物や植物をある程度覚えていただきませんと。害をなす動植物は特に、です」
「街に出るの?」
「いえ、最初はの薬草園から始めます。そうですね、王城にいる間は危険はありませんが、郊外、郊外の森と王城から遠くなれば危険な生物や動物が多くなります。そうですねぇ、最大級で危険なのは『樹海』です。植物はいくつかの注意が必要ですが、植生が意外と簡単なので見分けは付きやすいですが、動物というか、魔物はほぼ危険生物ですね。結界張りながら歩くレベルです」
「そんな場所に入ることってあるの?」
「薬草採取や食用肉を取得するために樹海の浅い部分に入ることは可能ですが、深い部分は滅多な冒険者でも入りません。それだけ危険ですからね」
「確かに」
「午後からは薬草園に行って、実際に薬草を見ていただきます。お城に隣接している施設ですから安心してくださいな」
ふむふむ、と椎名は真面目に本に目を落とした。
昼食後、公式行事以外で初めてではないだろうか、椎名は城外の薬草園に出た。
城に隣接する薬草園は城下町にある植物園と隣接してあるもので、少し先に行けば植物園なのだという。ただ、今日はその境に警備の兵士が配置されていたが。
薬草園の責任者や管理者が手取り足取り、新人教育するグループに交じったなかに椎名はいた。他の参加者と同じ作業着に手袋に帽子。手には小さな採取用のサバイバルナイフと輸送袋。隠し持っているのはあの魔剣、ではあるが。
「うわぁ、虫がいる」
「それは土を耕してくれるミミズンですよ。無害ですから放してあげましょう」
参加者が口々に感想をいいながら採取している。
「これ、ヨモギ…」
「そうです。何代か前の花嫁が名付けた植物です。それまでどうしようもない、薬にもならない食べられない雑草だったんですけど、その花嫁がいろいろ効能を見つけてくださって。人間界から持ち込まれたものではないですけれど、ここでは珍しくて。栽培が難しいので、ほとんどは樹海の深度の深いところに自生しています」
そう椎名に説明してくれたのはおばばの弟子だと自己紹介してくれた薬草園の主任だった。
その時、魔力の揺らぎを感じた。
真っ直ぐ、椎名に向けて巨大なエネルギーの塊が投げられたのだ。
「は?」
周囲に人がいる状況で爆発させるわけにはいかず、椎名はそのエネルギーを全部誰もいない空に向けて方向転換させるつもりで結界を張った。
その場にいた誰もが自分ができる結界を張ったり、エネルギーの集合体に向けて方向をそらそうといろいろとやった。
が、ことごとくその塊はまっすぐ椎名に向かい、そして椎名の結界に入るなり、消えた。椎名と共に。
結界に入った、と思ったら。
椎名の魔力がぐんと吸い取られて転移魔法が発動した。
「え?」
一瞬のうちに空中に放り投げられ、どんどん魔力を吸いだされてゆくので椎名は反射的に魔力を遮断し、エネルギー供給術式自体を隔離した。
当然のことながら、魔力を失った術式は作用を止める。作用しなくなれば「その場」で転移が終了することになる。
そう言う訳で、落ちたところは森のような場所だった。
地面にたたきつけられるところを魔力でコントロールした浮力で防御して何とか着地したが、転移魔法の発動時にぐんと魔力を吸い取られたおかげでうまく調節が行かず、ごろごろと転がる羽目になったが。
「いったぁ」
頭と足とに痛みが走る。浮力があっても木に叩きつけられるように落下した。木がなかったらもっと大けがかもしれない。
「なにこれ」
まず動けるかどうかの判断と周囲の判断。
足は折れてはいないが、挫いたのか左足首に痛みがある。右後頭部からは出血。
「ここどこだろう…」
そう言いながらきょろきょろと見回す。ひざ丈ほどに生い茂った雑草。頭上高くまで生えている樹木。光は遮られることが多く、うっそうとした森という感じだ。
まだくらくらする頭にハンカチを当てて出血具合を確認する。結構な出血だった。
「やばいなぁ。血の匂いで魔獣が集まってくると厄介だし、ここがどこかわからないし」
とりあえず、必要なのは傷の手当だ。椎名は目の前のヨモギの葉をちぎると、揉みこんでハンカチに包み、傷口に当てる。
「ヨモギ…」
目の前には、ヨモギが群生している。
『栽培が難しいので、ほとんどは樹海の深度の深いところに自生しています』
「つまり、ここは樹海てことか。…サバイバルしろって? 本当に勝手だよね。勝手に召喚しておいて勝手に花嫁にしておいて、今度は勝手に転移させるわけ? 私を何だと思ってるのよ、全く」
ぶつぶつ言いながら深呼吸する。怪我はしている、水も食料もない、おまけに魔力を半分以上使っている。
「絶望的状況じゃん。でも、生きろ、か」
生きるためには何をしなければならないのか。
優先事項は何なのか。
「まずは水と食料だわ」
椎名は悪態をつきながらも立ち上がった。
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