第13話 儀式4



 しずしずと魔王のプライベートエリアに入って来たのは紺色のひざ丈ワンピースのアルマとエミリーである。白いエプロンをして、お仕事モードでワゴンを押している。

 その後ろにはフード付きの黒のローブを着た「長老のおばば」なる人物がいる。杖をつき、ローブの裾や袖口には不可思議な紋様が刺繍されているので重々しい感じはするが、布地はさらりとして軽いらしく、歩くたびに揺れている。

 そのおばばの後ろには宗教的な白いローブをまとった男が一人。大司教である。そしてさらに後ろに、臣下のジャルダンとラルクが歩いていた。


 儀式通りに検分にやってきた「長老のおばば」なる人物は足を踏み入れた魔王の「居間」でふん、と鼻を鳴らした。

「検分するまでもない」

 ただ一言、そう愚痴をこぼした。

 魔王城にも、廊下にも、そしてこの部屋にも魔素が満ち満ちている。

 色濃い魔王の魔素だけではなく、わずかだがしっかりと、花嫁の魔素も満ちていて、それがコンスタンスに排出されていることに安堵した。魔力袋の口がちゃんと開いていることの証だ。そして二人の魔力の相性がどうだったなど、愚問の極みである。


「おばばさま、あの…」

 アルマがそれでも検分は検分、と促した。

「入るよ、王よ」

 おばばが遠慮なしにドアを開けると、目の前には既にシンプルなドレスをまとった椎名がいて、ルーチェスクは着替えのために袖のカフスボタンを留めているところだった。

「おばば、どうした?朝っぱらから」

「…古代の作法に則り、肉体と魂の交接が行われたどうかを元精霊の巫女であったセイレーン殿に確認していただく儀式です」

 恭しく大司教が頭を下げながらそう言った。

「ああ、朝見の儀か。必要ない。それからカビの生えたような作法は今後は廃止とする」

 ルーチェスクはただ一言そう言った。

「けれどもこれは古のときから伝わる、古い儀式でして」

 恭しく頭を下げる大司教とは違って、セイレーンと呼ばれたおばばは椎名をじっと見つめていた。

「藤間の王妃よ」

 呼ばれてまだしっくりこないので、椎名が不思議そうな顔をした。


 しずしずと恭しくおばばが前に進み出て、椎名の前に膝をついた。

「久しぶりに良いものを見させてもらった。これで死んでも悔いはない。ルーチェスク様には申し分ない伴侶であらせられる」

 おばばの態度に、大司教がおののいた。

 なにしろこの老魔女は、大司教にすら膝をつかない。唯一膝をつくのは魔王に対してだけであるというのに。


「ルーのおばあさま?」

「血のつながりはないが、この魔界一番の知恵者で、魔界最高齢の魔女だ」

「じゃぁ、儀式終わったの?」

「終わった、というより、こういう儀式は廃止だと言っただろうが」

 苦虫をかみつぶしたようなルーチェスクの言葉から、この儀式自体が無意味なものであり、形式的なものなのか、と椎名はさとる。

 だが大事なのは杖をついて歩くのも困難そうな老婆に膝をつかせていることなのだ。椎名はおばばに歩み寄ると膝をつき、そっとその手を取ってゆっくりと立たせた。

「椅子の方へ。座りましょう、おばば様」

 それが正解だ、とばかりルーチェスクは頷いて椅子のクッションを整えてやる。

「おばばは膝が悪い。儀式や儀礼はそれなりに大事にするが、配慮があってしかるべきだと思う。だからおばば、そういう作法は今後はいらぬ」

「そうはいかぬ。年は私の方が上だが魔王はそなたじゃ」

「長生きしてほしいから不必要なものは省けと言っておる。ましてや、痛む膝を付けというのは拷問と同じだ」

「しかし…」

「おばばが俺や花嫁に害をなすなら話は別だが、そういう意志はないだろう?俺にはそれで十分だ。お前はどう思う?椎名」

「理由なく、痛めつけるのは私の本意ではありません。ましてやルーの大事なお方なのに」


 おばばは感動でうるうると瞳を潤ませている。


「椎名には、魔界のことをいろいろ覚えてもらわねばならん。おばばに教わることも沢山あるだろうから、早く死なれては困る。だからよろしくな、おばば」

「はい、そうですね、おばば様、よろしくお願いします」


 にっこり笑った椎名に、老婆は頷いた。


「この後、儀式があるんですか?」

「とりあえず、今日は白の儀式だな」

「しろのぎしき?」

「大広間で魔族から結婚祝いの言葉をもらうんです。明日は、事務手続きの後バルコニーに立って皆にお披露目となります。こちらは赤の儀式。お二人の結婚に異議があれば白の儀式のときと赤の儀式のときに異議申し立てをして、花嫁を略奪できるんです。花嫁の意思にかかわらず、です」

 おばばがそう解説した。

「セルゲイネフとかいう男みたいに襲われる可能性があるってこと?」

「不穏な動きはあるようだな。それを許すつもりはないが」

「今日は絶対にドレスじゃなきゃダメなの? ドレスは動きにくいから」

「花嫁様は白のドレスと決まっています。それに、そのために護衛の方々が付きます。どうぞご安心を」

 アルマがそう言った。

「確かにね」

 護られる、立場でもあるのだ、と肝に銘じる。

「おばば、私はこのまま閣議に向かうから、もし食べていないのなら椎名と一緒に朝食を食べてくれないか?」

「そんな恐れ多い…」

「ルーは食べないんですか?」

「胸がいっぱいで食べられん」

 そう言って椎名を抱き寄せてにキスをする。

「あ、これ、そういうことはまだ早い」

 だが、キスと共に椎名の魔力を少しだけ吸いだし、朝食代わりにしている。

 それに気が付いた椎名は、ルーチェスクの腕をタップした。

「御馳走さん、最高の朝食だな」

「魔界慣れしていないのに、やりすぎるなよ、王よ。それで、藤間の王妃様は全く何も知らないのですか?」

「ああ、全く何も教えていない。セルジュの仲立ちで言葉の問題だけは解決しておいたがな。そう言えば、セルジュはどこに行った?」

「こちらには何も聞いておりませんが」

 エミリーはそう答えた。


「今こっちに向かって帰ってきていますけど?」

 椎名がさらりと答えた。

「わかるのか?」

「主従契約を交わしているから、従者であるセルジュの居所は私にはわかるって本人は解説してくれたんですが。一応コンタクトはできるんですよね。向こうからの一方的な言い分はわかります」

「何とおっしゃった?公爵と契約を交わされたと?しかも貴方が主だと?」

大司教が驚きの声をあげた。

「ええ、私を守るためにひどい怪我をしたことがあって、直すためにはどうしたら良いかと問い詰めたら、私のエネルギーが欲しいと言うの。私にしてみれば何のことかわからないんだけど、セルジュが死ぬのを黙って見ておけないからその契約をしたら、あっさり回復したんだけど? 何かまずかった?」

「椎名?」

「主からエネルギーをもらえれば死ななくて良いっていうから…」

「それで何ともなかったのか? セルジュもお前も無事だったのか?」

「何とも。セルジュの毛皮ってふかふかなんだと初めて気がついたんだけど」

「普通、人間が魔族を従者に従えることはできません。魔力の差がありすぎます。ましてや魔素の薄い人間界で…。公爵は曲がりなりにも魔界五指に入るほどの魔力の持ち主です。その彼と主従契約とは…」

「ああ、聞いた。問題ない。確認済みだ」

「おばば様、主従契約に魔力は関係あるの?ないの?」

「あるな。主に魔力がないのであれば、足りない分を常に補給してやらねばならん。魔力が足りているのであれば、そうそう補給は必要ない。駄々洩れしている魔力で充分事足りる」

「おもしろい」

「王よ、契約はこのまま残しておくのか?」

「セルジュが望むのなら。あれは私に仕える公爵ではないからな。先代の命令によって動いている。それが彼の望みならそうするのが自然だろう。しかし、そうか、セルジュはふかふかだったか」

「でも最上級のふかふかはルーだよ?ふかふかというより、もふもふ」

 その言葉に、おばばが目を見開き、大司教が卒倒して倒れた。

 あたふたするエミリーとアルマに驚き、椎名は真顔でルーチェスクを見つめた。


「何か…いけないこと、言った?」

「俺のことを、お前はどう見てる?」

「あの、もしかして秘密だったとか?」

「そうじゃない。いつ、知ったんだ?お前の眼は何を見たんだ?」

「普段は人間の形を取っているけど、本当のところは狼だよね?すっごい毛並みの良い銀の狼。つやつやの毛並みなの。大広間で見たときは一瞬誰かと思ったんだけど。大司教は茶色のウサギみたいな…穏便な性格の魔族だよね?芯は強いけど、戦いや争いは好まない。おばばは狐?でも半分以上を占めているのはもっと違うものでこれはわからない。魔族と何かの混血だと思うんだけど。それって精霊なのかな?経験がないから分からない。緑色の空気なのよ」

「アルマやエミリーは?」

「良く分からない。精霊っぽいんだけど、私は今までにそういう人たちと出会ったことがないから」

「見事だな」

 ルーチェスクは視線一つで大司教の体を浮かせ、ソファに寝かせた。

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