第12話 儀式3



 酒臭い、と思ったのは一瞬で、酒に濡らされたルーチェスクの唇は蜜のように甘かったのだ。

「甘い?」

「そうか?甘い酒じゃないんだが」

 ルーチェスクから渡されたグラスを受け取って中身を舐めてみるが、甘くはない。強烈なアルコールのせいでピリピリと刺激が走る。

「ジュースのせい?」

 口直しで残りのジュースを口に含むが、今度は苦い味が残った。

「味が…苦い」

「どうした?」

 ルーチェスクがグラスに残ったジュースを口にするとなるほど、と納得した。それからもう一度アルコールを口にする。

 そのまま、不思議そうに顔をあげた椎名に、口移しでアルコールを飲ませてみる。戸惑いはあったものの椎名はそれを嚥下した。


 たらりと、あごから首元へと雫が零れ落ちる。


 椎名にとってそれは、何故か甘いし、アルコールも感じられない。先ほどの酒とは全く違う飲料になっていることに驚きを隠せない。


 そんな椎名の、零れ落ちた雫を下から上へと舐め上げるルーチェスクはビクリと体を震わせる椎名を横目に、二度、三度と同じことを繰り返す。


「私…」

 三度目に零れ落ちた雫を今度は上から下に追いかけながらルーチェスクは椎名の胸元にキスをした。


 椎名は完全に自分の体をコントロールすることができなくなっていた。力が入らないのだ。ぐったりとソファに体を預け、ルーチェスクにされるがままだった。

「悪いが即効性の媚薬を入れておいた。泣き叫ぶ椎名を押し倒したくはない。薬と酒のせいにしてよがっておけ」

 椎名はいやいやと首を振った。ルーチェスクは椎名を諭すように膝の上に抱き上げ、キスをする。


「駄目だよ、ルー、そんなことしちゃ」


 椎名はこう言った儀式も行為も性急だから嫌がっているとルーチェスクは思っていたが、それに反した答えに逆に戸惑った。


 椎名は薬やアルコールに抗いながらそう口にした。ぽわんとした多幸感と共に、身体の力が入らない。思うように動かないのだ。けれども、大事なことだ。きちんと伝えなければならない。


「薬も酒も嫌か?でも今夜の儀式はやめるわけにはいかん」

「止めなくて良いから。私はルーに同意したのよ。薬や酒を逃げ道にして、この先貴方と一緒になりますと言って…誰が信じるのよ。ルーが悪者にならなくて良いから。…一人で抱え込まないで」

 力の入らない腕で、椎名はルーチェスクを抱きしめようとしたが、腕が回るわけではないのでガウンを握るだけになった。

「お前は…強い」

「そんなことない、怖くて震えているもの」

「そうだな。でも大丈夫だ」

 ルーチェスクは椎名を抱き上げてベッドに連れて行く。

「まぁ、俺も緊張しているがな」

 お互いに寝そべると指を絡ませて、キスを交わす。

 それだけで椎名から立ち上る体臭が濃くなってゆくことが良くわかる。


「ひっ」

 小さな悲鳴を上げて首をすくめたのは、耳にキスをした時だった。

「…これは気持ち良いだな」

 ニヤリと笑って今度は耳朶を食み、ペロリと舐めると椎名が体を震わせた。

 カワイイ反応にルーチェスクの口元が三日月を描く。

「椎名」

「はい」

「声を聞かせて」

「でも…」

「意思疎通は必要だよ?嫌ならちゃんと拒否しないとね。ここは嫌な場所?」

 そう言って指で耳朶を愛撫すれば椎名は真っ赤になって言いよどんだ。


「だって…」

 椎名の体がふるりと震える。椎名のスイッチは薬や酒にあおられて入ったばかりで、しかもそういったことに未経験のであることは一目瞭然だ。

 椎名は急激な体の高まりに熱をどう逃がして良いのか分からない状態で、体と心のギャップに戸惑っているのが見て取れたのだ。

「同じだよ、俺も」

 そう言ってルーチェスクは自分の心臓に椎名の手を当てさせる。


 途端に、椎名の頭の中に、椎名を労わりたいのに性急に求めすぎじゃないのか、とか、やっぱり嫌じゃないのか、とかルーチェスクの不安な気持ちが頭の中に流れ込んできて、指先は心臓の鼓動の早さを伝えてくる。


「ルー…」

「だから、大丈夫だよ」

 それよりもどうしてルーチェスクの気持ちがわかるのか、頭の中になだれ込んでくるのか、の方が不思議なのだがその答えの代りにあっさりと微笑まれてローブの前をはだけられた。

「それは…」

 たちまち羞恥で隠そうとしたが、腕の自由が利かなくなっていた。

「あれ?」

 体が重いのだが、敏感に感じている。

「酷くはしない、大切にする。愛しているから。ちょっとの間だけ約束する」

 ルーチェスクはそう言って誓いのキスを椎名の左胸に落とした。

「あ、ああ、あ」

 ルーの温かい魔力エネルギーを感じた椎名がそれだけで体を震わせた。体に沁みるように、ゆっくりと快感がせり上がる。理性に反して本能的に貪りたくなるほどの快感だった。

「良い声だ。それに、甘い」

「甘い?」

「体だけの交接はしたくない。椎名とは、深くつながりたい」

「あの…」

「今はわからなくて良い。魔族にとって、大切なのは身体の交接と魂の交接だ。両方できて初めて子を成すことができると言われている」

「たましいの交接?」

「つまり、自分の生命エネルギーの象徴である魔力をお互いに交わすということだ。魔力袋がまだ完全に整っていないから、今はちょっとだけしか交わすことはできないが、それができるようになればお互いが理解しあい、求めあうたびにその交接は深くなる」

「そうなの?」

「だから、隠さず教えてくれ」

 ルーチェスクはそう言ってニヤリと笑った。

「お前の魔力は甘い。貪りつくしたいほど甘い。お前はどう感じている?」

「わからないの」

「まだやり取りがわかっていないからな。俺とのキスは甘い?」

「そう、甘いの。でもどうして甘いの?」

「粘膜接触で魔力のやり取りができるからだ。慣れたらもっと簡単にやり取りできるんだが、まぁその方法は知らなくて良い。いいか、魔力をやり取りする相手は選べよ。場合によっては拒否反応を起こすし、逆に最高の媚薬にもなる」

 そう言って笑うルーチェスクに、悪魔の微笑みのような気がする、と椎名はちょっぴり思ったのだが。

「そうだ、その通りだ。俺たちの魔力の相性は良い。最高の媚薬になる」

 耳元でささやかれてキスを落とされた。それだけで体から力が抜けてゆくのが良く分かった椎名であった。



 その夜、魔王城を中心に濃い魔素がゆっくり立ち昇り、風に吹かれて四方に拡散してゆく現象が起きた。それは朝方までずっと続き、夜明け前まで続いた。


 それが何を意味しているのか、ほとんどの魔族はその意味を知っている。


 知っていてもわざわざ口にすることではないとわかってはいるが、濃い魔素が立ち昇ったことに一安心とばかりほとんどの者が頷いた。


 四方に拡散した魔素が魔界の隅々まで届くまでタイムラグはあるのだが、誰もが魔王城から生まれる魔素が広く薄く魔界を覆いつくすようにと願った。


 花嫁が召喚された後、魔界が安定するのはまだ先になるだろうがこれほど濃い魔素を出せたということは魔王と花嫁の間に進展があったということの証明だった。




 結局、一晩中、夜明けまでルーチェスクは椎名を離さなかった。


 薬やアルコールのせいもあるのだが、焦ることなく椎名の体を拓き、何度も高みに持ちあげ、彼が説明するところの、魔族でいう「魂の交接」を繰り返した。

 おそらく人間同士ならセックスするの一言で済ませられることなのだが、魔族の間ではお互いの魔力を混ぜ合わせることで真の「番」の証明となるのだと説明してくれた。その行為も含まれているらしい。

 椎名にはよくわからないが、魔族同士でも「魂の交接」ができるようになるまで何年もかかる夫婦もいるし、問題なくすぐにできる夫婦もいるらしい。体の相性よりも魔力の相性と言った方が良い、とは言ってくれたが。

 それほどまだ深くにはできてはいない、とわかっていたがルーチェスクは椎名との相性の良さに驚いた、とは言ってくれた。


 魔力の相性は良かったらしいが、椎名が予備知識もなく、その方法を知らないこともあって一度目は儀式に則って義務と機械的な行為となってしまった。状況についていくだけで精いっぱいの椎名にはなかなかハードルが高い行為ではあった。それだけに、二度目からは、ルーチェスクは根気よく椎名を慈しみ愛した。二人が魔力を混ぜ合わせると当然のように媚薬効果が生まれ、相乗効果もあったのかもしれないが一晩のうちに何度か体を重ねることができたのである。



 人間を召喚すると、魔力が絶望的に足りない。だから召喚すぐに「血の交接」と「体の交接」が行われる。この時に人間の体が魔界になじめるかどうかの「魔力袋」の容量を推し量るのだ。その上で「魂の交接」が行われる。

 魔族に言わせれば、人間は「魔力袋」を生まれながらにして持っているという。「体の交接」でその魔力袋の口を開き、少しづつお互いの魔力を混ぜ合わせることで時間をかけて「魂の交接」を行う。そうすることで花嫁は魔界になじんでゆくことができるのだ。

 朝見の儀では、身体の交接もさることながら、魂の交接ができるかどうかの見極めが行われる。


 夜のうちから魔王城に魔素が立ち昇ったことからして、そんな儀式は形式上でしかないことは分かり切っていた。

 分かり切ってはいたが、やらなければならない儀式なので仕方ない。


 余談だが。

 本来、召喚に必要な魔力は召喚者である魔王と、召喚される側の人間で負担することになる。だが、人間には魔力がないので魔王ですら事前に自分の魔力を魔石と呼ばれる、石のような魔力の塊を用意してその魔力を使うことになる。それらで埋め合わせたとしても召喚に消費した魔力と、魔界に順応できるまでの魔力は、花嫁が意識するしないに関わらずどんどん失われてゆく。足りない分は本人の生命エネルギーが減ってゆく。自分の命を削ることになるのだ。

 だから、召喚した花嫁を魔界で生きてゆけるようにと魔王は毎晩花嫁に魔力を注ぎ込むのだ。


 花嫁召喚は魔界の誰もが待ち望んだことであり、誰もが花嫁を失いたくないと案じる。魔素が満ちれば、魔界は繁栄するからだ。

 召喚からしばらくは魔王城から立ち上る魔素に目を凝らし、一喜一憂する日々が続く。魔素が濃いか薄いかは重要な関心ごとなのだ。

 だが、晴れ渡った今朝の空には、魔素が満ち満ちている。

 それがすべての答えだったが、だが、儀式は儀式なのである。

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