決闘

武市真廣

決闘



 この時代、決闘は決して珍しいことではなかった。いつの時代のどこの国の話かはあえて記す必要もあるまい。ただ決闘が珍しくない時代であることだけは告げておく。


 その頃は事あるごとに街中で決闘が繰り広げられていた。動機は様々──恋人を巡る争いや主を侮辱されたことへの報復、さらには肩がぶつかっただけで男たちは剣を抜いたのだった。


 王に仕える騎士団の一員だったその男は、ある日の朝いつものように朝餉を済ませて王城へと向かった。

 彼はまだ若かった。しかし騎士としての腕は確かだった。剣術の修練を怠らず、人間としての修養も欠かさなかった。騎士団の中でも彼は一目置かれていたのだ。

 彼の家は代々王に仕える騎士であり、彼もまた父と同様騎士として王に仕えた。子供の頃からそうなることが決められていたし、彼自身それを疑ったことはない。王に仕える者としての責務を常に意識するように教え込まれた彼は、二十歳になった今日までそれを忘れたことはなかった。


 王城へと向かう途中、彼は遠くの方から馬車が来るのを見つけた。貴族筋の馬車であることがすぐに遠目に見てすぐに分かった。彼は馬から下りて馬車が通り過ぎるのを待った。やがて馬の足音と車の引かれて来るガタガタという音が近づいて来た。

『貴族を守ることもまた騎士の責務だ』

 王に仕える以上──。頭の中でそう繰り返した。

 ふと顔を上げた時、丁度馬車が通り過ぎる瞬間だった。その瞬間、彼は馬車の中の若い女と目が合った。ほんの一瞬であったが、確かに目が合った。

 馬車が通り過ぎて馬の足音や車の引かれていく音が遠ざかって聞こえなくなるまで彼は我を忘れていた。鳶の鋭い一声が響き、ふと正気に戻った。彼はその時、騎士の責務を忘れていた。自分に纏わる一切のものを忘れていた。ただあの女だけが心に在った。


 男は王城までの道を馬で駆けた。朝の風を全身に浴びてようやく彼は普段の自分に立ち返った気がした。

 騎士たちが集まる部屋に何食わぬ顔で入った。既に数人の騎士がいて立ち話をしている。腰に帯びた剣の金色の鞘が窓から零れる朝の陽ざしを受けて輝いていた。

 男は内心、

『いずれこいつらとも戦わねばならぬ時が来るかも知れぬ。王はなぜ未だに決闘を禁じられないのか』

 王に仕える者はただ王に対して盲従すればいい訳ではない。時としては諫めることもまた責務である。そう言っていた父は王に諫言することもなく世を去ってしまった。


 決まった時間通りに王は現れ玉座に座った。そして政務が執り行われる。この年若い王は、若いながらに政務を臣下に任せるような愚は犯さなかった。しかし、やはり決闘を禁じる法を作る命令は下さなかった。

『王自身決闘を見るのを愉しまれているのだ』

 男はそう思った。これは臣下たちの共通の認識だった。だが、誰ひとりとして年若い王を諫めようとはしなかった。今は亡き先帝は威厳ある王であり、決して『間違わない』王であった。諫める者は次々に返り討ちに遭い、最後には言いくるめられた。専制的な先帝を憎む者もいたが、親衛隊を作り、悉く一掃してしまった。誰も先帝には意見できなかった。その恐怖が臣下たちにはあった。今の王にも先帝の面影があり、時たま見せる表情に先帝の覇気を思い起こす者も少なくなかったのだ。


 一通り政務を終えた時、既に日は高く昇っていた。

「大臣」

 王は玉座の背にもたれかかりながら、最前に控える大臣を呼んだ。

 大臣は深く頭を下げて王の言葉を待った。

「その方には一人娘がいたな」

「はい」

「婿はどうするつもりか? 年は考えればそろそろだろう」

 王は珍しく笑った。男はその笑顔に残忍なものを感じ取った。

「誰を迎えようと思っているのか」

 大臣は恐縮したようにさらに頭を下げた。一座は困惑したように互いに顔を見つめ合い、小声でボソボソと何か話している。大臣の娘の話は皆知っていた。知らないのは男だけである。

「答えよ」

 なかなか答えぬ大臣に王は重ねて訊いた。

「はっ、カールでございます」

 その場にいた一同は騎士カールの方に目を向けた。男もまたカールに目を向けた。しかしカールは顔色一つ変えなかった。

「ふむ。確かにあの者もいいが、私はハインリヒが良いと思う」

 次に男──ハインリヒに一同の視線が注がれた。ハインリヒは耳が熱くなるのを感じて、しかし全身は凍り付いたかのように動かなかった。

『なぜ王は自分のような末端の騎士を』

「ハインリヒ……」

 大臣はポツリと呟いて動かなくなった。

「迷うか?」

「……はい」

 半ば誘導尋問であった。

「ならば決闘で決めれば良かろう」

 この時、王はまた笑った。またも残忍な影が差していた。

 それからどのぐらいの時間が過ぎたのか分からない。非常に長い時間が過ぎたような気がしたし、あるいは一瞬だけだったのかもしれない。

 気が付けば誰も王の間には残っていなかった。ハインリヒは黙って王の間を出た。


 自邸に戻るまでの道すがら馬上でハインリヒは今日あった出来事を考えた。馬車の女、強いられた決闘。彼には大臣の娘があの馬車の女に思えてならなかった。この日自分の人生は大きく動き出した。そう感じた。


 翌朝、決闘の日取りが屋敷を訪れた王の使者によって伝えられた。明後日の昼である。決闘までの間ハインリヒは落ち着いていた。あえて何も考えぬように決闘の用意を淡々と整えた。

 

 そして、決闘を翌日に控えた日の夜。ハインリヒはようやく戦う相手──カールのことを考えた。ハインリヒにとってカールは親友だった。

『王はきっと知った上で決闘せよと命じられたのだろう』

 彼は自らの手で親友と闘わねばならぬ己の運命を憎んだ。もし自分が親友でなかったなら、こんなことにはならなかっただろう。

『もしカールが俺を殺すことになれば』

 カールのまた年若い騎士であり、剣の腕も一流であった。

『もし俺がカールを殺すことになれば』

 この決闘でどちらかが死ぬことになる。そして殺した者の心には深い傷が残るだろう。


 翌日、ハインリヒはいつものように朝餉を済ませて愛馬に跨り決闘場へ向かったのだった。決闘のために剣を磨いた。鎧も磨いた。だがハインリヒの心だけは曇っていた。

 決闘場であるアリーナには既に多くの観衆が詰めかけていた。そこには王の姿もあった。名だたる貴族の他、大勢の民衆もいた。

 ハインリヒは王のすぐ隣に大臣とその娘──それは確かにハインリヒがあの日見た馬車の女であった──が座っていた。

『ああ、やはり!』

 ハインリヒは心の中でそう叫んだ。

『神はなんて残酷なことをするのか!』

 やがてカールがアリーナに入ってきた。

 ハインリヒは馬の手綱をカールの方へ向けた。

「カール」

「ハインリヒ、正々堂々とやろう」

 カールの目はいつになく輝いていた。

『アイツはもう覚悟ができているのだ』

 そう直感した。

「ああ。真剣勝負だ」

 ハインリヒの言葉にカールは満足そうに頷いた。


 王が戦いの合図を送った。鈍く重い銅鑼の音がアリーナに響いた。

 ハインリヒとカールは互いに一礼を交わした。ハインリヒの白馬とカールの黒馬も興奮しているのか互いに息遣いが荒い。観衆の興奮も高まっていた。

 両者が同時に馬の横っ腹を蹴った。

 真っ直ぐに向かってくる両者。

 剣が交わり、鋭い音が耳を刺す。

 両者共に手応えはなく、また手綱を向け直した。

 今一度馬の横っ腹を両者は同時に蹴った。

 駆ける中でハインリヒは女のことを忘れた。王に仕える者としての責務さえも。戦い以外のあらゆることを忘れていた。自分が死ぬかもしれぬことも、親友を殺すかもしれぬことも忘れていた。

 カールの一太刀を防ぎ、こちら側の一太刀を相手は防いだ。

 三度目に馬の横っ腹を蹴った時、ハインリヒは自分という存在すら忘れかけた。

 カールとすれ違った時、己の一太刀に確かな手応えがあった。手綱を向き直すと同時にカールは馬から落ちた。茶色の地面に赤黒い血が広がっていく。カールはもう微動だにしなかった。

 観衆の激しい歓声がこだましてハインリヒは我に返った。既にどちらかが死なねばならぬ運命は決した。ハインリヒはそんな現実に戻りたくはないと感じた。

『俺が殺した』

 馬上からカールの屍を凝視する彼は頭の中で何度もそう呟いた。呟きはやがて頭の中で繰り返し繰り返し反響した。

 その逡巡は鋭い悲鳴によって打ち破られた。ほんの一瞬間アリーナに沈黙した。

「姫様が!」

 そう叫ぶ女の声が確かに聞こえた。ハインリヒは大臣の娘の方を見た。女の姿は見えなかった。不自然に人が集まっている。ハインリヒは馬で近寄った。蠢く人々の間に血──カールの流したのと同じ赤黒い血を流す女の姿を見出した。

『あの娘は自ら命を絶ったのだ!』

 ハインリヒはそう直覚した。

『俺は何のためにカールを殺した? いや、カールは何のために死んだんだ?』

 悲鳴、罵声、怒号、嘆き。あらゆる感情の声がアリーナを包んだ。

 

 ハインリヒは手綱をアリーナの出口に向けるや否や馬の横っ腹を思いっきり蹴り上げた。馬は高く嘶き、全速力で駆けだした。

 彼はもう二度と帰ってくることはなかった。


 全てを見ていた王は、決闘を禁じる法を出し、この国で決闘が行われることはもう二度となかったという。


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決闘 武市真廣 @MiyazawaMahiro

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