6 修学旅行の計画

「せんせー」

 柚果が手を挙げた。「スマホで調べてもいいですかー?」

「うーんまあ、いいだろう。この時間だけ特別だ。調べる目的以外で使うんじゃないぞ」

「はーい」

 そんな注意にみんなが従うわけがない。ましてや柚果が。真波は柚果を横目で見ながら思った。白とピンクのモコモコの手帳ケースを取り出し、柚果が嬉しそうに画面をスクロールするのを、横から詩織が覗き込む。いつも整えたパーマヘアにゴールドのヘアピンで前髪を固定している柚果に対し、毎日髪型を変える詩織の今日のヘアスタイルは、左右に垂らした編み込みの三つ編みだった。

 昼休み明けの総合の時間。この時間は変化の激しい社会に対応して、自ら課題を見つけ、学び、考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てることがねらいらしい。しかし、それらしい授業をしたのは十二月の今日から振り返っても数回ほどで、模試の前は過去問を解く時間になったり、テスト前には生徒が要望すれば自習の時間になったりする。今日は修学旅行の前日であるため、明日の昼の自由時間に小樽で何をするか、修学旅行中行動をともにする班で話し合う時間となった。

 六人で机を向かい合わせにして作った島。女子、男子でそれぞれ自由に三人のグループを作り、くじ引きでペアとなった男女のグループが一つの班となっている。真波の班員は柚果と詩織の他に、男子は横田、橋村、高根。

 横田と橋村は、クラスの男子約半分からなるゲーム好きグループに属している。一方の高根は一人でいることが多い。数合わせで一緒になったのだろう。

「とりあえず、お昼ご飯に何を食べるか決めようか。何か食べたいものある人。あがったもので多数決とることにしよう」

「さすが真波。班長に立候補するだけしっかりしてる。私、パフェ食べたい!」

 スマホをいじる手を一旦止めて、柚果が声を上げた。しかし、すぐにまた視線はスマホの画面に落ちる。真波は思わず顔を歪めた。

「パフェって、柚果。それ、まさかお昼ご飯じゃないよね?」

「お昼ご飯はなんでも良いよ。パフェはインスタ映えするのでよろしくー」

 真波は進んで班長に立候補したわけではない。柚果や詩織が面倒な役割をやりたがらないのは知っていたし、男子に押し付けるのもいい気はしなかったからだ。自分が引き受けるのが一番穏便に済むと思った。

「冬にパフェかよ」

「インスタ映えとか意味分かんね」

「なんか文句ある?」

 小声で文句を漏らした横田と橋村を、柚果が睨み付ける。

「私はデザートにパフェ、いいと思うよ。ご飯食べたあとに行く候補として、メモしておこうか。どこのお店?」

 真波がフォローするが、柚果はスマホをいじる手を止めなかった。

「適当な場所でいいよ。パフェじゃなくても、甘くてインスタ映えするものならなんでも」

 真波は配布された『もっともっと小樽』という観光ガイドをめくって、仕方なくパフェを探した。

「あ、このクリームぜんざいは? ロングセラースイーツなんだって」

「うーん。私、もうちょっとカラフルなやつがいいんだよね」

 適当な場所でよくないじゃないか。出かかったため息を堪えた。真波は重たい口角を上げて話しかける。

「柚果の好みがあるから、調べて場所を教えてくれないかな」

 彼氏とLINEでもしているのだろう。柚果はスマホに夢中で入力してばかりで、一向に目が合わない。

「見て見て!」

 詩織が真波と柚果の間に入って、スマホの画面を差し出してきた。「パフェじゃないんだけど、このソフトクリーム! 可愛いお花でデコレーションされてるの。超インスタ映えじゃない? はちみつもかかってて美味しそうだし。ねえ、こういうのが柚果の好みでしょ?」

 柚果は詩織のスマホ画面を一瞥した。

「さすが詩織、分かってんじゃーん」

「じゃあ決定! 真波、ナチュラルハニーってとこね」

 真波は言われるがまま、ガイドのマップに店の場所を書き込んだ。小樽芸術村の近くだ。

 柚果と詩織と真波、三人が平等に仲が良いわけではないのは一目瞭然だろう。真波は、派手好きで傍若無人なインスタ女子の二人の付き人のようなものだ。しかし、わがままな柚果に比べ詩織はある程度の配慮があり、柚果と真波との仲を取り持ってくれることがある。

「柚果柚果! 見てこれ、小樽運河って、超インスタ映えスポットじゃない? ソフトクリーム持ちながら写真撮ったら最高だよ」

「さすが詩織、天才かよ」

「真波、小樽運河も候補に入れといて」

「いいけど、先にお昼ご飯決めようよ。もし食べられなかったら、夜まで食べるタイミングないんだよ?」

「そんなの当日空いてるところにすればいいって。男子も特に食べたいものないんでしょ?」

 詩織が男子を細い目で見渡す。横田と橋村は目を逸らすだけで、何も言わなかった。

 いつだってこうだ。何も意見が出ず、結局取りまとめ役がすべて考える。当日決めればいいと割り切ったとしても、うまくいかなければ取りまとめ役の責任となる。小言や無言の不満を浴びせられる始末だ。真波は何度も経験済みだった。一度くらい、誰か嘘でも希望を出してくれたっていいのに。

「俺、ガイドに載ってるさんかく亭の海鮮丼食べたい」

 みんなが声のしたほうを向いた。高根聖也が喋った。高根は意見するタイプではないと、おそらく誰もが思い込んでいた。 

 長い前髪の間から覗く、すべてを常に遠くから眺めているような目に、澄ました顔。いつもクラスの端にいる置き物で、集団で行動するときは雑踏に紛れていた印象だった。

「好きなネタを組み合わせられるんだって。お昼ご飯にしたらちょっと高いけど、安い学割丼もあるし。みんな、お昼は適当でいいんでしょ? じゃあ、俺の希望は採用ってことで」

 みんな何も言わなかった。真波は慌てて地図にメモを取ろうとした。

「高根くん、ありがとう。さんかく亭って、この地図で言ったらどこになるの?」

 真波は声が弾んだ。嬉しかったのだ。意見を募る場で誰もが受け身になりがちなのは仕方のないことだとは思う。そんな殻を破って意見を言ってくれるのは、本当にありがたい。

「JR小樽駅の近く。四十六番」

「あった。バス降り場の近くだね。バスを降りたらさんかく亭に直行するとして。じゃあ、ご飯を食べたあとのことを決めていこうか。ソフトクリームの他は?」

「小樽運河だってばあ」

 詩織が言った。「インスタ用の写真いっぱい撮らないといけないんだから」

「また写真かよ」

「マジでだりー。誰がそんな写真見るんだよ」

「はあ?」

 横田と橋村の小言に、柚果が手を止めた。気に入らないことがあったときのお得意の真顔だ。

「じゃああんたたちはどこに行きたいっていうのよ。どうせ、ろくなところじゃないんでしょ」

 詩織も眼光を鋭くして二人を見比べる。

「俺たちは別に、どっかに行きたいってわけじゃ。なあ橋村」

「ああ。寒くないところでゲームができれば」

「ほらー、みなさいよ!」

「はいはい!」

 ヒートアップする詩織をなだめる。「じゃあ、こんなのはどうかな。さんかく亭でご飯を食べたあとは、ソフトクリーム買って、小樽運河。横田君と橋村君は、無理に付き合わなくていいよ。内緒で別行動にして、最後に合流してからみんなで集合場所へ戻るようにしよう。でも、これだけじゃ全体的に時間を持て余すだろうから、お昼食べた後に、みんなで何かできればいいんだけど。高根君は、どこか行きたい場所ある?」

「小田原さんは、どこか行きたい場所ないの?」

 高根の気遣いに、思わずドキッとする。こんな一面を知らなければ、いつも一人でぼーっとしている不思議な人としか思わなかった。

「私は特にないから、みんなが他に行きたいところがあればそこでいいかなって」

 キャンドル工房やオルゴール手作り体験を候補に挙げるのも手だったが、このメンバーだと統率が取れなくなる結果が容易に想像できた。柚果と詩織は騒いで周りの迷惑になりそうだし、横田と橋村は興味がなく文句ばかり言ってそう。

 ふと、地図に美術館という文字を見つけた。特にガイドの中でクローズアップされているわけではなかったが、ここならみんな、ある程度大人しくしていられるかもしれない。

「小樽市立美術館。高根くん美術部だし、絵とか観るの好きじゃない?」

「まあ、絵を観るのは好きだけど。みんながいいなら」

「ていうか高根って美術部なんだ」

 詩織が鼻で笑いながら言った。「初めて知った。なんで真波、知ってたの?」

「別に、それは偶然で」

 真波は少し動揺する。「それよりも、みんな美術館はどうかな?」

 下を俯く様子を、このときは異論なしと捉えた。あとから考えれば、高根以外の四人が絵に興味を持つはずがないことは明らかだった。みんな密かに顔を歪めていたのは、無言の反対だったのだ。気づかなかったのは、孤独を救ってくれた高根に恩返しがしたい一心だったからだろうか。

「はい、じゃあプランの確認。さんかく亭でお昼ご飯を食べたあとは、みんなで美術館に行くことにしよう。そのあとにナチュラルハニーでソフトクリームを買って、小樽運河。男子は嫌だったら近くの店でゲームするなり自由行動をとる。別れた後はLINEのグループで連絡を取って、ちゃんと合流してから集合場所に戻ること。これで大丈夫かな?」

 返事が返ってくることはなく、各々違う話が始まった。

「詩織詩織! 見て見て、返事来た!」

「もう、柚果やっぱり愛されてんじゃん」

「なあ横田、ファンワーの話だけどさあ、俺さっきの昼休み中に第一章クリアしたぞ」

「まじかよ、はえー」

 真波は不完全燃焼のため息をついた。ちらと高根のほうを見る。高根は肩をすくめて、無言のお疲れ様をくれた。気楽になれた。

 柚果はやはり、最近できたという大学生の彼氏とスマホでLINEをしていたようだった。ケンカ中だと言って昼休みにずっと愚痴を聞かされていたが、柚果の屈託のない笑顔を見ると、どうやら仲直りできたらしい。横田と橋村が『ファンワー』という話題で盛り上がっているのは、スマホゲーム『ファンタスティック・ワールド』のことである。

 真波はガイドにメモを書き込みながら、横田と橋村の話に聞き入っていた。

「第一章の最後の敵には気を付けたほうがいいぞ。敵は最初四人なんだけど、二人倒したら、もう一人敵が現れるんだ。俺、それまでは一回も味方が全滅せずにクリアできてたのに、最後に現れた敵のせいで全員死んじまってさー」

「えー、マジかよ。でもスマホ版のファンワ―って、敵も味方も固定のキャラじゃなくて、ユーザーが作ったキャラがランダムに割り当てられてんだろ。人によって敵の動きも違ってくるんじゃねえか?」

「確かに人によって出会う敵や味方は違う。でも、ストーリーやイベントは一緒だ。プログラムだからな。戦いの途中でもう一人敵が現れる仕様とかは、全員同じはずだ」

「じゃあ、敵がどこから出てくるかあらかじめ知ってたら、ぜってえ得だよな。一度死んだ味方は生き返らねえんだろ?」

「いいか? お前にだけ特別に教えてやると、もう一人の敵は画面の左の草むらに隠れてるんだ。敵が出てくる場所が事前に分かっていれば、先に攻撃されない場所に味方を配置しておくことができるからな。まあ、最初の四人も結構強いから、気を付けて戦ったほうがいいぞ」

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