5-1『一番のSと越権裁判』
未だ春日和の続く早朝。
まだ眠い目を擦りながら寮を出ると、朝日が一気に僕を照らす。
それを全身に受け止めながら、鞄を片手にグッと延びをした。
日本を大きく見て、ここ
正直、AM市部とか言いにくいから、そろそろ昔の呼び方に戻してくれないかとは思うが…まぁ、良いや。
「今日からついに…勤務が本格的に始まるのか…」
高揚やら緊張やらで、ドキドキと胸が音を立てている。
鼓動を落ち着けるために、一つ大きく深呼吸。
どんな仕事が回ってくるのか、それをしっかりこなせるか、不安な部分は沢山あるけれど、それでもやらなきゃ行けないと意気込むために。
「前の場所よりも気張らないとな……僕はきっと、皆と比べて弱いし…」
弱音を一つ吐きながら、開店前の喫茶店の裏側へと回り込んでエレベーターのスイッチを押した。
到着までの待ち時間、ふと自分自信についてを少し考えてみる。
探偵業として考えてみると、自分には閃きだとか瞬発力だとか、ましてや観察力とかもないと思う…。
成績は中間より少し上くらいだし、体力もバスケに例えると、パスをもらったら少し動いて味方にパスを送れる程度。
趣味は写真撮影で特技は料理と…本当に普通の人間だ。
大丈夫と言われても、まだまだついていけるかが不安でしかない…。
勿論、罪ありの社会不適合者に与えられたせっかくのチャンスなんだから、頑張らないといけないのはわかっている。
だけど、そのためにどうすれば良いのかが解んないし、自分が役に立てるのかも不安の要因だ…。
もしも、自分が全能だったら、こんなに不安にならなくて良かったのにな…。
「それでも…振り落とされないように頑張らないと…」
弱気にならないように、僕は自分の胸の頭の中で、ずっと感情論を繰り返していた…。
「まぁ、頑張る姿勢は良いけれど、あまり卑下と無理はしすぎないようにね」
「そうだな…プラスにプラスに……って、うぉっ!サトナカさん!?」
勇を鼓している中、急に後ろから話しかけてきたのは、郷仲さんだった。
「おはよう、ユウキくん。しっかりと遅刻せずに来て偉いね」
いつも通りにニヒルで爽やかに挨拶をする彼は、本当に神出鬼没で何を考えているのか…。
「は…はい。サトナカさんも今出勤ですか?」
「いやぁ…もう少し早くは来てたんだけど、寮を出たときに良い被写体を見つけてしまったから、それのスケッチでも…と思ったら、いつの間にか外に出てしまっていてねぇ」
そう応える郷仲さんの目の奥はキラキラと輝いているように見えた。
よく見ると、彼の脇腹には鉛筆やクレパス、スケッチブック等のアナログ的な画材が抱えられていた。
「そうか…サトナカさんって、画家さんですもんね」
到着して開いたエレベーターに乗り込みながら、僕はそう言った。
ここに来てから、あまり意識はしていなかったけど、郷仲さんは社長でありながら、S.Touriの名がついた有名な画家だ。
ただでさえ特殊な組織の社長なのに、それをしながら画家もするって言うのも大変だろうな…。
なんて思いつつ、僕は4階へのスイッチを押した。
「あぁ。君も、好きなことは大切にするようにね…」
扉が閉まり、僕らを乗せて上昇していく部屋の中、ふと呟いた彼の言葉が、少し心に刺さった
「……はい」
自分の中の好きなものを大切に。
カメラも料理も、自分のなかでは好きなものだし、何より今眠っている妹や、死んだ母さん、子供の頃に別れた親友とか、そんな数少ない僕が出会った人達も、僕の中では大切であり大好きな人間だ。
すっかり忘れてたけど、仕事をするって、そう言うことなのかもしれない。
郷仲さんのように、好きなことを形にする人もいるし、自分のように家族のために闇の仕事をしたこともある…。
そんな"好き"のためなら、どんな仕事でも出来るようになるのかもしれないな…。
まぁ、過労とかパワハラとかそう言う問題は別だけど。
チーン!
なんてちょっとウザめな持論を考えていたら、目的の階に到着して、扉が開いた。
「行こうか」
「はい」
僕らはエレベーターから出て、凡庸なオフィスの中を少し歩くと、特異探偵課の扉の前へと到着する。
「よし……」
昨日は少し締まらない初出社だったけど、初現場入りの今日くらいは、ちゃんとした出社がしたい…。
今日は郷仲さんもいるし、恐らくまだ水原くんも来てないだろうから、きっと大丈夫…。
そう信じて、ドアノブを回し、その扉を開く…。
「おはようございま…」
「くたばれサトナカァァァァァァァァァアッ!!!」
「ギャァァァァァアッ!」
ガギィンッ!!
怒涛の展開だ。
部屋に入ろうとした途端、突然、一人の青年が咆哮して拳を握りながら僕に襲いかかり、僕の顔面に攻撃が当たろうとする寸前に、郷仲さんの特異で青年の全身が凍らされた…。
「あ……あぁ…」
氷塊は地面に着地し、衝撃を畳み掛けられた自分は、ワナワナとその氷像を見つめている。
怒涛の展開すぎて、何がどうなったのかわからない。
それ故、しばらく開いた口が塞がらなかった…。
しかし、それを何事もなかったかのように、郷仲さんは氷を優しく叩く。
「おはよう、スミウラくん。今日も元気だね」
あまりに突然の事に尻餅を付いていたことにすら気づいていなかった自分は、郷仲さんの挨拶で、ハッと正気に戻った。
「あ…あ、あ、あの!この人、大丈夫なんですか!?」
身体を震わせ、氷像に指をさしながら僕は聞くが、特に慌てる様子も無く、郷仲さんは陽気に社長の椅子に座った。
「大丈夫大丈夫。近くにヒーターとかドライヤーがあるだろう?それで溶けるくらいの温度にはしといたから」
画材を机に置き、椅子をくるりと回す郷仲さん。
彼の指さした方向を見てみると、確かに入り口の近くにドライヤーやファンヒーターが置かれていた。
こんな物があったとは…昨日の講習では全く気がつかなかったな。
「は…はぁ……」
郷仲さんには軽い口調でダイジョウブと言われてしまったけれど、この人、本当に無事なのだろうか…?
「おはよ、ユウキくん」
ドライヤー片手に、凍っている彼の無事を考えていると、少し遅れて出社した水原くんが僕に声をかけた。
「あ、おはよう。ミズハラくん…」
僕が挨拶を返すと、水原くんは目の前に鎮座する氷塊に目を向ける。
「あー……スミウラの奴、まーた噛みついたか…これで何百回目だよ…」
少々間抜けな顔で固まっているスミウラという人に向け、水原くんは哀れみを含んだ溜め息を付く。
彼はやれやれと首を降りながら、近くに置いてあったファンヒーターを氷塊の近くに移動させる。
「ねぇ…この人、大丈夫なの…?」
凍っている人を心配する僕を横目に、水原くんはヒーターとドライヤーを同時に起動させて、氷に温風を当て始める。
「大丈夫大丈夫。こいつ頑丈なのが長所だから」
めんどくさげにそう言って、彼は慣れた手付きで氷全体に温風を当て続ける。
「そ…そうなんだ……?」
一応、特異探偵課にいるから、凍っている彼も特異点なのだろうというのはわかっているけれど…なんか不安だ…。
とりあえず、まずは彼を溶かすのが先決かと思い、僕はアイロンを手にとって、氷を溶かし始めた。
数十分後…。
「あぁークソッ!また勝てなかったか!」
氷塊から抜け出せた青年は、まだ湿ったままの頭を掻きむしり、郷仲さんに凍らされていた事を悔やむ。
「私に勝つなんて、100年早いよ」
少し子供っぽい彼をからかいつつ、郷仲さんは封筒を開いて書類を眺めていた。
普段から危険と隣り合わせの組織の社長からしたら、こう言うのは正直眼中にない…って感じなのだろうか。
「ったく……いつかぜってぇそのスカした顔ひっぱたいてやるからな!」
バンと机を叩きながら立ち上がり、青年は郷仲さんに向けて指を指してそう宣言する。
どうやら、彼と郷仲さんには、なにかしらの因縁があるのかもしれない。
ただ…彼がどんな特異を持っているのか知らない限りは、彼の事を命知らずとしか思えないな…。
「あの…」
「あ?誰だお前は…」
新人として自己紹介をしようと呼び掛けると、彼はズボンのポケットに手を入れ、僕を睨むように振り向く。
「昨日からここでお世話になっております。ユウキ テツヤです。よろしくお願いします!」
これからの仕事の意気込みと、先輩への謙遜を込めて頭を下げると、彼は僕の身体や顔をジロジロと睨む。
「あー…前に言ってた新人ね。俺、スミウラ シュウ。足引っ張んなよ」
「は…はい……」
僕が頭を上げると、彼はヘンと鼻で笑いながら、ゲーム機やコントローラーが多く置いてあるデスクに腰を掛けた。
改めて彼の姿を見てみると、少々子供らしい見た目だ…。
年は見た目では20代前半って感じで、身長はそこまで高くなく、正直、自分よりも小さい…。
上下に黒のスーツを着ているのだが、その中にはYシャツではなく大きな赤い文字の英語が描かれた灰色のパーカーを着ている。
顔はツンと釣った強気な目だが、肌も若々しい丸顔にセンターで分けられたスパイキーヘア調の髪型。
総評するとなんというか…ちょっと猿っぽい童顔の青年といった感じだろうか。
これから長く付き合っていくんだ。
少しは温厚な関係であれることを願う…。
「別に、気にしなくて良いよ。こいつの性格なかなかクソだから…」
僕がデスクに座った瞬間、隣の席に座っている水原くんが、僕に話しかけた。
「くそ…?」
「うん。例えるなら……一番になるために何でもする金にがめつい鋼鉄クソ野郎って感じかな?」
ほくそ笑みながら説明をする水原くん。
当人が近くにいるってのに結構ボロクソに言ったな…。
「なんか言ったか?」
「イエッ!ナニモッ!」
住浦さんの一言と、冷たい視線が向けられているような気がして、僕は思わず立ち上がって返事をした。
ほぼ間近で悪口を言っていた事へ罪悪感を感じる反面、隣の彼は凪の如くなにも動じない…。
「別にこんな奴に怯えなくて良いのに…」
「誰がこんな奴だ!」
ニヒルな水原くんの余裕な態度に強い口調で怒る住浦さん。
一連の流れを見て、住浦さんは意外とからかわれる人なんだなと感じた…。
というより、郷仲さんも水原くんも、まるで彼の扱いに慣れてきるって感じかな…。
「早速、君らの仲が良くて何よりなんだが、依頼が来ているから頼めるかい?」
僕らの会話に割り込むように、郷仲さんが封筒とタブレット端末を片手に、社長席から話しかけてきた。
「おっ、やっと本格的な
「そんなゲーム感覚で…」
「うっせぇ。ゲームっぽく捉えてなきゃ、人生やってけねぇんだよ」
そんな訳はないとは思うが…まぁ、感覚は人それぞれか…。
新たな遊びに向かおうと、住浦さんはポキポキと指を鳴らして意気込む。
その傍ら、横に座っている水原くんは、目を細めて露骨に嫌そうな顔をしていた。
彼はそんなに仕事が嫌なのだろうか…。
「ま、依頼に意欲を持ってくれてなによりだね。じゃあ、まずはこれを…」
郷仲さんがタブレット端末の画面をスワイプすると、僕ら三人のパソコンが突然起動し、一本の動画が再生された。
『ハロー!マイネーム イズ カテキンッ!本日の動画は…本場、プロミアKY地区の高級玉露と、コンビニの100円のお茶と飲み比べをしたいと思いまーすっ!』
それは、インターネットに上がっている、自分よりも少し年の大きい若人が投稿したレビュー動画のようだ…。
「……なにこれ」
「最近、
「いや、それは知ってるんですけども…」
一応、動画投稿サイトに上がっている動画自体は、仕事(詐欺)の息抜き程度に見たことがあるから、彼のことは知っている。
しかし、なぜ急にこれを郷仲さんが出してきたのか、自分にはわからなかったのだ…。
「あ、ヒ◯キンのパクリか」
「スミウラさん、それ言っちゃダメ…」
一応、未来の設定なんだから…。
「そんで、依頼者はこいつってことでいいのか?」
直球に先輩が聞くと社長はタブレット片手に頷いた。
やはり先輩である彼は、僕よりも格段に物分かりが良いらしい…。
「あぁ。だが、そのカテキン氏は今、ちょっと拘置所にいてね…。少々訳アリなんだよ」
郷仲さんがタブレットをタップすると、画面に写っていた動画が消え、代わりにSNSの画面が出てきた。
そこには、『大人気動画投稿者が暴行!』と言うニュースアカウントの投稿。
そしてその下には、なにかの間違いじゃないのか?とか、"人に暴力振るうカテキン死ね!"や、"女の方も悪いんじゃないのか?"、消えろ、もう出てくるなと、目も当てられない程に大量の憶測やら暴言等が、大量に書き殴られていた。
「匿名だからって言いたい放題言うなぁ…」
SNS画面はまさに水原くんの言うとおりだ。
匿名だからこそ好きに書きまくれるのは昔から変わらないが、今回は目も当てられないほどの大火災のようだ…。
最近は、SNSでの暴言等も一応相手側からの告訴が認められれば、罰金刑などにもかける事ができるらしいが、当人が捕まっている時点で、そんなもの権限すらないだろうな…。
「まぁ、拘置所に行く位なんだから、そりゃあこう言われてもしゃーねぇだろ」
住浦さんは
確かに、他人を殴ってしまった上に拘置所に連行されてしまったとなると、この炎上は仕方のないことだ。
「だが…それがしょうがなくない案件かもしれないのだよ」
すると、郷仲さんはついに封筒から書類を取りだし、書画カメラを使ってパソコン越しに僕らに見せる。
「武装警察経由でこっちに依頼書を貰ってね。簡単に言えば、自分の冤罪の理由を探って欲しいとのことだ…」
郷仲さんの言葉通り、映されたのは、カテキンの本名や経歴、依頼内容が書かれている依頼書。
社長が彼の動画を見せたのは、きっと捜査の時に役立つからだろう…。
しかし、依頼を聞いた住浦さんはあまり乗り気ではないようだ。
「冤罪ぃ?暴力振るう時点で、くそったれな奴の言葉を信じろってかぁ?」
頭の後ろで腕を組み、机に足を上げながらふんぞり返っている先輩。
「信じる信じないは人の勝手だ。しかし、依頼を受けたからには、まずは中立的な立場で行くのがスプリミナルだろう?スミウラくん、頼んだよ」
柄の悪そうな態度に、郷仲さんは怯む様子など全く見せず、住浦さんに書類を差し出した。
彼はそれに反論しようとはせず、舌打ちをして体制を崩した。
「一応言っとくが、俺は俺のやり方でやるからな…?それだけは理解してんだろうな?」
「わかっている。だから君を選んだんだ」
住浦さんは少々横暴そうな言葉を並べるが、それでも社長は毅然としている。
社長としての態度と、社員への信頼。
上司の含み笑みから、その真意を汲み取ったのか、住浦さんはニヤリと微笑み、差し出された書類を受け取った。
「ヘッ…ようやくわかってきたじゃねぇか…」
得意気に笑いながら、彼は椅子から立ち上がって、仕事の受理を表した。
「あぁ、ついでにユウキくんとミズハラくんもついていくといい。現場での新人研修代わりにさ」
住浦さんがこの部屋から出て行こうとする頃、郷仲さんは僕らにそう指示した。
「わかりました」
これが始めての仕事…ってことになるのか…。
昨日から緊張してばっかりの自分だが、今の緊張感だけはなにか格別だ…。
「めんどくせ…。まぁ、着いて来んなら、足引っ張るんじゃねぇぞ」
彼は、僕らに後ろ手を振ると、ついてこいと言いたげに、この部屋を出た。
頑張らないと、なんて何度も繰り返しているが、自信家で高飛車そうなこの人に着いていけるか、少し不安だな…。
「……ってか、なんで僕も…?」
意気込んでいる自分の横では、水原くんがやはりめんどくさげにしている。
「ユウキくんのためさ。頼むよ」
郷仲さんが宥めるけれど、昨日も依頼を遂行していた水原くんにとっては苦痛なようで、不機嫌を態度だけではなく顔にも浮かべている。
「はぁ?またかよ…。そろそろ君も依頼引き受けるくらいしたらぁ?」
いつも通り、言葉に皮肉を混ぜながら郷仲さんに嫌みを言うけれど、無論効くわけがない。
「それが、今回は絵の仕事ではなく、警察関連の方から仕事をもちかけられてね。今からテレワークに入らないと行けないのさ。ごめんね」
その上、今回は画家ではなくて重要なお仕事のようだ…。
「うさんくせ…。しゃーない…んじゃあ行こうかユウキくん…スミウラの付き添いとか嫌だけど…」
彼の言葉を疑いながらも、水原くんはやれやれと立ち上がると、机の上においてあるカードケースをポケットにしまって、僕を待たずに先々に行ってしまった。
「あ…うん…」
彼はすごくめんどくさがりだけど、依頼となればこうやって迅速に行動しようとするあたり、本当はしっかりした子なんだろうな…。
なんて思いながら、僕は置いてかれないよう、小走りで彼に着いていった。
◆
拠点から出てから、一時間も経たない頃。
僕らスプリミナルはトランスをしてフードを深く被りながら、バラーディアTK地区裁判所下にある、拘置所の面会室に来ていた。
拘置所の空気を吸うのは始めてで、まるで全人類から圧をかけられているかの様に息苦しい…。
勿論だが、僕がここに放り込まれると言うわけではなく、スプリミナルとして、依頼人と話すためにここに来ただけだ。
しかし、ここは罪人が裁判のために捕まえられるための場所。
自分も一歩間違えればこうなっていたのかと想像すると、
「依頼人以外の目に止まるところではフード脱がないようにね。スプリミナルは基本正体バレちゃダメだから」
新人の僕に確認するように、水原くんがそっと囁いてくれた。
それに応えるために僕はサムズアップをし、先輩二人の後を追うように面会室の中へと入っていく。
「面会時間は30分で願います」
機械のように冷たく監視官がそう言うと、出入り口の近くの壁に彼は姿勢を正して直立する。
面会室の中は、ドラマ等で見るものよりも、もう少し小綺麗な感じで、こまめに掃除と消毒をされているであろう大きなアクリル板が輝き、それを境界線として、部屋の奥にその男は項垂れていた。
「スプリミナルだ。カネイ キノミ…で良いか?」
気取った住浦さんは、腰に手を当てながら被告に声をかける。
俯いていた男性は反抗してこちらを向くと、水を得た魚のように目が輝いた。
「はい…そうです!僕です!よかった…都市伝説じゃなかったんだ……」
彼は思わず涙ぐみ、すがるように僕らの到着を喜んでいた。
スプリミナルは秘密結社であるからこそ、基本的に誰もこの団体があると言うことを知らない。
それどころか、スプリミナルは都市伝説や幻影だと思っている人の方が多い上に、郷仲さんの意向から、スプリミナルに関する報道自体も大きく規制されている。
現に、入社前の僕ですらも知らなかったから、その情報隠蔽力は凄まじいものなのだろう。
それぞれの活躍に日の目を浴びれないのは寂しく感じるが、郷仲さん曰く、結果的には影に隠れた組織という物の方がやりやすいのだとか…。
「30分しかねぇ、とりあえず
ふんと鼻息を立てながら、住浦さんはドカッと音を立てて面会の椅子に座り、腕と足を組む。
「なんでそんなに偉そうなんですか…」
僕が聞くけれど、当人は全くの無視だ。
「彼、大企業の元社長だからね…」
「えぇ!僕よりも若いのに…」
彼の後ろで水原くんとコソコソと話す傍ら、被告人は住浦さんの偉そうな態度に驚きつつも、今回の事件の経緯を話し出した。
「実は…その……」
今回の依頼は
彼は、登録者800万人越えの大人気動画投稿者『カテキン』として活動しており、インターネット社会の発達した現代では、とても有名な存在だ。(ちなみに、日本で現在登録者数が多い人間は2000万人ほどなのだとか…)
そんな有名人な彼には、彼がここまで売れていない時代に開いたオフ会に参加していた女の子、
世間には、その事をずっと隠している上、彼の所属している事務所にカメラマンとして就職していた為、なにか報道やスキャンダルが出るようなことはほぼ無かったと言う。
しかし、今回の事件によって、彼らが付き合っていたということは、半強制的にばれてしまったが…。
事件当時、彼は彼女である日之出さんと、少し高級な居酒屋で食事デートをしていた。
有名な動画投稿者として、カテキンの収入はなかなかに多く、二人は時間の許す限り、つまみやご飯物、勿論お酒も、沢山飲み食いしていたのだとか…。
しかし、酩酊状態の二人が長い時間話し合っている内に、男女の価値観で言い争いになってしまい、何かの拍子でカッとなった彼は、彼女を押し倒してしまった。
それをたまたま見てしまった店員が、殴り合いの喧嘩に発展する前に通報、普通警察によって連行されてしまったのだと言う。
「どう考えてもおまえが悪いんじゃねぇか」
「違うんです!続きを聞いてくださいっ!」
住浦さんの茶々を押しきり、兼井さんは話を続ける。
彼がここまでしてくれた説明は、あくまでも検察側の見解が世間で説明された話というだけ。
兼井さんの主張は「彼女を"押し倒した"と言うわけではない」と言うこと。
彼は元々、お酒には強くない人間で、頼んでいた酒の多くは彼女が飲んでいたらしく、事件当時の意識はハッキリとしていたのだと言う。
その上、日之出さんは、酩酊状態に陥ると、笑い上戸で遊び好きな人間になり、急に二人でなにもなくてもできる遊びを提案することがあるのだとか…。
事件当時、案の定、酩酊状態であった彼女は、突然「手押し相撲をしよう」と誘い、優しい兼井さんは喜んでそれに応じてあげた。
彼らのいた居酒屋は全部屋完全個室だったため、二人は人の目を全く気にすることはなく、酒が入って気分の良いまま、手押し相撲を楽しんでいた。
しかし、人間もリージェンも、アルコールが回っていると、身体の機能も一時的に低下する場合がある。
酩酊の彼女は、アルコールによって身体全体の力が思うように入らず、兼井さんがハイタッチをする位の力で押すと、簡単に尻餅をついてしまう程だったようだ。
「それで…喧嘩と勘違いした店員さんが通報しちゃった…ってわけ…?」
「そうなんです!嘘だって思われるかもしれないですけど…僕ははっきりと覚えてるんです!」
水原くんの質問に応え、兼井さんは引き続き冤罪を訴える。
簡単にまとめてみると、兼井さんと彼女さんが手押し相撲をして、彼女を押し倒してしまったら、たまたま店員が来て暴行と間違えられたと言うことだ。
普通なら弁明をすれば釈放して貰えるのだろうが、なにせ酩酊状態だったわけだから、事実と違うことを言っていてしまうことがあるから、警察側も簡単に釈放するわけにはいかないようだ。
なにせ、そう遠くない過去には『酩酊及び精神的障害無罪法案』なんていうちょっとおかしな法案が出たくらいだから、酒の席での事件は、2020年代よりも厳しくなっているからな…。
ちなみに、これは自分の偏見だが「酒の席で手押し相撲をしていた」なんて言われても、あんまり信用はできないよな…。
「だったら…彼女に頼んで証言してもらえばいいんじゃないんですか…?」
酩酊の状態であっても、兼井さんを長く付き合っているのであれば、彼がそんなことをしないとわかるはずだ。
被害者である彼女が彼を庇い許す証言さえすれば、釈放される…。
そう思って、僕は兼井さんに聞いてみるが、彼は残念そうに首を横に振った。
「それはそうなんですけど……」
兼井さんは少し口をまごつかせるが、住浦さんが「いいから話せ」と一声かけると、ピクンと肩を揺らしながら、彼はそっと口を開いた。
「実は……彼女は何故か証言だけでなく、僕との和解すらも拒否してるんです!検察の人達に彼女と会わせてくれと言っても、面会すらも出てくれないみたいで!」
兼井さんは興奮して話す言葉に、僕と水原くんは少し動揺する。
そんなに長い付き合いだった彼女が和解拒否?
一概には信じられない言葉だったが、彼の必死な顔を見る限り、真実と捉えるには十分な気がする…。
「あんなに…僕を愛してくれたあの子が証言を拒否をするなんておかしいです…。その上…明日には裁判も始まります……どうか…どうか僕を!」
「んなもん、簡単に信じれるかよ…」
僕が兼井さんに慈悲を向けようとしていた時、突然、住浦さんが彼の話をさえぎり、バン!と机を叩きながら立ち上がった。
「彼女が酒をがぶ飲みして酔った?手押し相撲?あまりにも話がフィクションに近すぎる。正直、嘘にしても馬鹿馬鹿しい」
アクリル板に手を乗せながら、住浦さんは兼井さんをギロリと睨む。
彼の向ける眼光は、被告人の額から汗が流れる位、彼の恐怖心を煽っていた…。
確かに、もしも、彼が罪から免れたいだけなのだとしたら、住浦さんの言うとおり、主張が嘘であると言う可能性も拭いきれない…。
「う…嘘じゃないですっ!絶対に…絶対に!」
けれど、怯えつつも彼の鋭い疑惑の目に負けることは無く、兼井さんは念を押すように僕らに無実を訴え続ける。
彼の目の光は、住浦さんの鋭い目を弾くように、強い…。
「そこまで言われると……」
第三者に立つ者としては、あまり加害の方の言葉を信じすぎるのはいけないことかもしれないけれど、ここまで強い信念を持って言われると、信じざるを得なくなる…。
「一応……白の視点も信じてやっていいんじゃないの…?中立的立場にいることが、スプリミナルのすべき事なんだからさ…」
一緒に聞いていた水原くんも兼井さんを一応信じるようだ。
指摘された住浦さんは、少し不機嫌そうにふんと鼻で息を付く。
しかし、少し考えた後、彼はニヤリと口角を上げ、アクリル板越しの依頼者に顔を近づけた。
「…んじゃ、いくら払える?」
「へ…?」
突然のその言葉に、僕と兼井さんはポカンと口を開ける。
「金だよ金。もしも自分がその言葉を本当として証明するのであれば、それなりの対価を払うのも、別に抵抗はないはずだろう…?」
指で輪っかをつくって金を表す住浦さんの姿に、僕の中の赤い感情が逆撫でられる。
「お…お金とるんですか!?スプリミナルなのに!」
「新人は黙ってろ。これは俺のやり方だ」
このスタイルに疑問をもった僕は声を上げるが、資本主義な彼は聞く耳を持たない…。
「そんな…」
「利益をとるのは一応間違ってはいないよ。スプリミナルも場合によっては依頼料をとる場合があるからね」
住浦さんへの荷担かどうかはわからないけれど、水原くんも個人間で利益を取る行為に関してはそこまで気にしていないようだ…。
「でも…納得できませんよ!サトナカさんの指示じゃないのにそんな…」
「一億……」
住浦さんの利益優先思考へ不服を訴える僕を遮るように、突然兼井さんがその莫大な金額を呟いた。
「一億払っていいです…。それで…自分の言葉が嘘ではないと思われるのであれば!彼女に真相を聞けるのであれば!!」
眼の奥からでも感じる、彼の真剣さと、一億円という資本的強さの言葉…。
確かに、近年の動画共有サイトはテレビ以上に熱が入っており、成功すれば、収益も軽く別荘を持てるくらいとは聞いたことがある。
それに、時代と共にどれだけ機材が進化して良くなったとしても、撮影と編集にかかる時間と労力は、僕ら一般人からしたら計り知れない位だ…。
カテキンが何年も月日を重ねて苦労し、ようやく手に入れたであろうその金額に驚く僕。
その目の前で、住浦さんはほくそ笑み、アクリル板にへばりつきそうな位に体を近づける。
「……おまえの依頼『自分の冤罪を晴らして欲しい』で良かったな?」
「は…はい!」
さすが力強く返事をした兼井さんに、住浦さんは嬉しそうにヘヘッと小さく笑い声を溢す。
すると、先輩がアクリル板から手を離すと、懐から一枚の封筒を取り出した。
「おい、そいつに渡しとけ。別に怪しいことは書いてないから、先に検査してもらっても構わねぇ」
そう言って、住浦さんは近くにいた監視官に、兼井さん宛の封筒を預けて立ち上がる。
「おまえが自分に対するその思い、俺が買ってやる。依頼完了がしたら、ちゃんとその分の利益は貰うぜ?」
「……はいっ!よろしくお願いいたします!」
法外で滅茶苦茶な交渉を持ちかけていた住浦さんだが、兼井さんはそれにすがるしかなく、深々と彼に頭を下げる…。
「時間です」
こんな交渉で本当にいいのかと疑う最中、監視官が扉を開けて僕らに退出を命じた。
住浦さんは、監視官に「ちゃんと渡しとけよ?」と確認を取ってから、面会室から意気揚々に飛び出していった。
「なんなの…?あの人…」
彼を追いかけるように退出しながら水原くんに聞く。
「スミウラくんは金に結構シビアというか、強欲というか……まぁ、そう言う金銭に鋭いタイプなんだよね。君が彼にドン引いてる気持ちは、スプリミナルのメンバー全員が味わったし、それが自然だと思うよ」
そう言って、彼は呆れを表すように、住浦さんの資本的性格の説明をした。
「へ…へぇ……」
まぁ…あんな億を要求するような交渉法を見せつけられば、きっと多くの人がちょっと不快な思いを心に泳がせてまうような気はする…。
そりゃあ、冷静に見れば利益を取れるような仕事ではあるけれど、結果的に自分の懐にいれてしまうのは…なんだかなぁ……。
なんて思いながら、僕らはそそくさと歩いていってしまう住浦さんを駆け足で追った。
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