宇喜多直家の謀略② 獅子身中の虫

翌朝、蒲生忠秀は御着城下の屋敷に滞留していた伊賀久隆を会見の間に呼び出した。


今回は久隆の佩刀を預かっただけでなく、上座の忠秀の前には腕の立つ護衛が4人も居並び、いざとなれば身を挺して忠秀の身を庇おうと身構えている。


3日前とは違い、穏やかではない雰囲気の会見に、久隆も訝し気に口許を歪めた。


(よもや見破られたのか?)


久隆は隠し事が露見したのを危惧したが、表面的には落ち着き払った様子を見せる。


「伊賀守殿、待たせたな。確かに日生神社に伊賀与四郎殿と思しき者が軟禁され、宇喜多の兵が守っておると調べがついた」


「それでは、某の言い分を信じていただけますな?」


「確かに貴殿は虚言を弄してはおらぬようだな」


「では改めまして、与四郎の救出に手を貸していただけますでしょうか? 応じていただけるならば、伊賀家は蒲生家に臣従いたしまする」


安堵した久隆が口元を綻ばせると、徐に官兵衛が発言する。


「私は蒲生家家臣、黒田官兵衛と申しまする。伊賀守殿。日生神社を守る宇喜多兵は2百ほどです故、蒲生家配下の将に1千の兵を率いらせて救出の手助けをいたしましょう。如何ですかな?」


「……」


「如何した? 望みどおり貴殿に力を貸そうと申しておるのだ。嬉しくないのか?」


「い、いえ、滅相もございませぬが……」


「それとも、私を誘き出せねば次男を殺すとでも、和泉守に脅されたか?」


「!!!」


忠秀が宇喜多直家の謀略を詰問すると、平静を装った久隆の仮面が砕けた。それでも直家の妹を娶った宇喜多家の親族衆としての自覚からか、久隆は直家の奸計を頑なに認めようとはしない。奥歯を噛む歯軋りの音が如実に肯定を物語っていた。


「ふっ、やはり図星だったようだな」


「伊賀守殿。舅の中山備中守を謀殺したように、和泉守は有力な国人に自分の娘や姉妹を嫁がせ、親族に取り込んで利用した後に、時機を見て毒殺や闇討ちして寝首を掻くのが彼奴の手口にございます。松田家も家臣を殺して『鹿と間違えた』などと見え透いた嘘を吐いて挑発し、家中の内紛を誘ってから滅ぼしましたな。私が思うに、いずれは金光備前守(宗高)殿や後藤摂津守(勝基)殿も同じ轍を踏むでしょうな」


史実では十数年後に久隆は広大な領地を持つ久隆を危惧した宇喜多直家に毒殺されるが、それを知るはずもない久隆は官兵衛の言葉に見る見る間に青褪めていく。


「そ、それでは、伊賀家も狙われると?」


「現に貴殿は次男を人質に取られて脅されているではありませぬか? 此度も和泉守は策を見破られるのを百も承知で、貴殿を切り捨てるつもりで差し向けたのだと存じまする」


「官兵衛の申す通りだ、伊賀守殿。事ここに至れば、お互い腹を割って話をしようではないか? 次男を盾にして脅すような武士の風上にも置けぬ卑劣な男に、貴殿が本心から忠誠を誓えるはずもあるまい? どうだ?」


「ぐっ、ですが……」


「安心するが良い。次男を死なせはせぬ」


「真にございますか? 救出していただけるので?」


久隆はにわかには信じ難いという顔をする。忠秀は神妙な面持ちで続けた。


「私は和泉守のような腹黒い男が大嫌いでな。私が出向かねば次男が殺されるのならば、影武者を使って彼奴を欺いてやるのも一興ではあるが、それでは私の腹の虫が収まらぬ。他にも手はある故、貴殿には死んだことになってもらわねばならぬ」


「某は山城守様を謀ろうとしました故、腹を切ってお詫びするのは一向に構いませぬが、果たして次男は助かるのですか?」


「いや、死なずとも良い。貴殿には剃髪して出家し、しばらくは人質として御着城に留まってもらうが、和泉守の策が露見して殺されたとの噂を備前に流す。貴殿が死んだとなれば、伊賀家は嫡男が継ぐであろう。ならば嫡男を脅す材料として使える次男を、和泉守が殺すなど断じてあり得ぬ。謀将とはそういうものだ」


久隆が死ねば家督は嫡男の伊賀与三郎家久が継ぐことになるが、伊賀家の力が減退するのは明らかであり、そうなればいずれ宇喜多家が伊賀家を滅ぼすことも可能になるのだ。


「承知いたしました。山城守様の仰せに従いまする」


「うむ。そこで貴殿から密かに嫡男に文を送り、表向きは伊賀家は宇喜多に従いながら、裏では蒲生家に内通してもらい、宇喜多の獅子身中の虫となってもらう。どうだ、面白いであろう?」


「ふっ、ハッハッハ。確かに、それならば和泉守にひと泡吹かせてやれますな!」


こうして、"死んだ"久隆は出家して仙柳庵宗賢と名乗り、忠秀は伊賀家から宇喜多家の情報の横流しを受けることとなるのであった。




◇◇◇





備前国・亀山城。


上道郡の沼に立地し、沼城とも呼ばれる亀山城は、9年前に宇喜多直家が義父の中山信正を謀殺して奪って以来、宇喜多家の本拠として構える城である。


亀山城は東西を横切る山陽道と南北に流れる砂川が交差する交通の要所に位置するだけでなく、亀山城の2里半(約6km)東に流れる吉井川の水運に支えられ、西国一とも言われるほど殷賑を極めた福岡の町も控え、城下は備前国の流通経済の中心として栄えていた。


「兄上、失礼いたしまする」


「七郎兵衛、久しいな」


10月上旬の秋日和の昼過ぎ、直家の居室を訪ねたのは弟の宇喜多出羽守忠家である。


「兄上も息災のご様子。そろそろ寝首を掻かれても不思議ではないと存じますが、悪運がお強いようですな」


「ふっ、お前も相変わらず口が悪いな。儂が死ぬなど百年は先よ」


優秀で実直な性格の忠家は直家の補佐役として宇喜多家を支え、家中でも尊敬を受けている存在だ。悪辣な直家とは正に対照的である。


だが一方で、忠家は兄の直家を決して信頼しておらず、それは着衣の下に鎖帷子を身に着けていたことからも察せられた。直家が必要とあれば身内でさえも容赦なく殺す非情な男だと、忠家は熟知していたからだ。


「此度は伊賀守殿を暗殺したとか。これ以上の悪行は自らの首を絞めるだけですぞ」


伊賀久隆は直家の妹が嫁いでいる宇喜多家の親族衆だ。娘が嫁いだ松田元賢や、直家に娘を嫁がせた中山直正も直家に殺されている。忠家が警戒するのも当然であった。


「暗殺とは人聞きの悪い。伊賀守は勝手に播磨に出向き、蒲生山城守の怒りを買って殺されたに過ぎぬ」


しかし、直家が蒲生忠秀を暗殺するために誘き寄せようとした策謀を看破され、伊賀久隆が殺されたという噂は、既に村雲党により備前だけでなく、備中や美作にも広まっていた。


「兄上が伊賀守殿の次男を幽閉して伊賀守殿を脅し、蒲生を誘き寄せる餌とした策が見破られたために、伊賀守殿が殺されたとの噂は童にも知られ、領民が畏怖しておりまするぞ。どうかこれ以上の非道は慎んでくだされ。でなければ、私が兄上の首を貰い受ける羽目になりかねませぬぞ」


忠家は脅すような言葉を告げるが、直家は眉一つ動かすことなく、端然とした表情で言葉を返す。


「ふん、お前に儂を殺せるのか? 儂と会う時には鎖帷子まで身に着けている腰抜けが何を抜かすか。千年経ってもお前に儂を殺すことなどできぬわ」


「くっ。ですが、浦上家の意向を無視した勝手な振舞いは許されませぬぞ」


兄を殺すつもりなど毛頭なく、逆に返り討ちに遭うのを恐れる忠家は口籠るが、それでも忠告を聞き入れようとしない直家に負けじと言い張る。


「故に、儂は遠江守様(浦上宗景)に頭を下げたではないか。これからの敵は毛利よ。陸奥守亡き今、毛利なぞ取るに足らぬ。蒲生も播磨の掌握には時間を要すであろう。今が所領を拡大する好機よ」


「ですが、大友家と盟を約した浦上家と敵対すれば、今度こそ孤立いたしますぞ」


「儂も己の不利を悟れぬほど愚かな男ではない。しばらくは浦上に従うが、毛利も因幡や伊予に一兵すら出せぬところを見ると、かなり追い詰められておる。今攻めれば、旨味は大きかろう」


「ならば良いのです」


話を打ち切った忠家の胸中には安堵が満ちていたが、梟雄の弟としてそれを顔に表わすことはなかった。

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