バテレン追放令① カレーと宣教師

摂津国・津守村。


先日京に上洛した際、将兵は出陣してから3ヶ月以上経つため、護衛の兵を残して国元へ帰還させたのだが、俺は大坂城の築城と城下町造りの基本計画を練りながら戦後処理で相変わらず多忙な毎日を過ごしている。市の寂しそうな顔が浮かんでしまい、一日も早く統驎城に帰還したいのだが、後10日は帰れそうにない。


そんな多忙な俺だが、8月下旬のこの数日は楽しい充実した日々を送っていた。その理由は、堺の商人に頼んでいた香辛料が届き、仕事が終わった後に香辛料を配合し、カレー粉作りを試行錯誤していたからだ。


そして昨日、ついにカレー粉が完成した。まだ完璧ではないが、何とか前世のカレー粉に近い物が出来上がり、朝食後に料理人にカレー作りを指示し、今から昼食にカレーが出てくるのだ。


「正吉郎様、昼餉にございまする。今日はカレーという料理だそうです」


蒲生鶴千代がカレーを載せた膳を運んできた。うん、あの懐かしい香りだ。同じ部屋にいる和田惟政は初めて嗅ぐ香りに興味深そうな顔をしている。


「左馬頭様。このカレーという料理は随分と食欲を誘う香りですが、ただこの黄色い色は何とも独特ですな」


「うむ、これは天竺では味噌汁のように日常食されている薬膳料理の一種だ。暑い夏で食欲が落ちる頃だからな。健康にもいい料理なので作らせてみたのだ。では、いただくとしよう」


木匙でカレーを掛けた御飯を掬って口に入れると、あの鮮烈な香りと刺激的な辛さが口から鼻に抜けてくる。改善点は多いものの、初回としては文句なしの合格点だな。


「うむ、美味い! 天竺は年中暑い国故、天竺のカレーはもっと辛いそうだが、これは辛さを控え目にさせてみたのだが、弾正忠、どうだ?」


「これでも十分に辛いですが、美味いですな! 病みつきになる味でございまする。カレーという名は辛いからですかな?」


和田惟政は「辛い、辛い」と言って冷水を口にしながら、無心にカレーを食べている。どうやらこの時代の人間の味覚でもカレーは美味しいようだが、辛さには強くないようだな。


「名の由来は知らぬが、本当に美味いな。鶴千代、お代わりを2人分頼む。鶴千代も後でカレーを食べると良いぞ」


「はい。ありがとうございます。初めて嗅ぐ匂いですが、なんとも食欲を誘いますね」


このカレー粉は市へのお土産にするとしよう。帰りが遅くなったせめてものお詫びだが、食いしん坊の市のことだから、蜂蜜と山羊の乳を入れた甘口のカレーを食べさせれば、きっと許してくれるだろう。




◇◇◇




念願だったカレーを食べて午後の仕事を再開すると、本陣とする津守湊の代官屋敷に珍しい来客があった。


その来客とは30代の白人の南蛮人で、ルイス・フロイスと名乗る宣教師だった。ルイス・フロイスと言えば、日本におけるキリスト教の布教初期のポルトガル人宣教師の一人で、史実では織田信長や豊臣秀吉と謁見し、「日本史」を記したイエズス会の司祭だ。


確か九州にいる日本の布教責任者のコスメ・デ・トーレスの指示により、フロイスは京で布教活動を行うガスパル・ヴィレラに合流するが、布教を認めた将軍・足利義輝が「永禄の変」で殺されると京を追放され、ヴィレラが九州に戻ると、京の布教責任者の後任となったフロイスは堺から畿内を転々としていたはずだ。


フロイスは背後に箱を抱えた日本人の盲目の男を通訳として連れていた。おそらく彼はロレンソ了斎だろう。ロレンソは琵琶法師をしていた時に有名なフランシスコ・ザビエルの布教により修道士になった男だ。ロレンソは盲目で不自由な生活をしていて、"人は神の前では平等"というキリスト教の教えに救いを見出したのだろう。


「面会をお許しいただき、ありがとうございます。こちらは時計という時刻を計る道具ですが、お近づきの印として献上いたします」


フロイスが「ロレンソ」と小声で言うと、盲目の男が俺の前に箱を置いた。やはりロレンソか。


その箱は箱型の機械時計だった。ほぅ、これはありがたい品だな。どうやら日本人の手先の器用さを理解していないようだ。領内で最も腕の良い金細工職人に複製させるとしよう。


「うむ。ありがたく受け取っておくとしよう。それで、今日は何用で訪れたのかな?」


「寺倉領でのキリスト教の布教を認めていただきたくお願いに参りました」


フロイスはロレンソの通訳を介して俺にそう告げた。


この時期に訪ねてきたフロイスの思惑は、日本の宗教上の最大敵対勢力である石山本願寺が寺倉家に滅ぼされたと知り、"反仏教の寺倉家"ならばキリスト教の布教を認めてくれると考えたのだろう。俺から他の"六雄"への紹介を得て全国に布教活動を広げられれば、イエズス会にとって理想的な展開だろうしな。だが、それは少し甘い考えだと思うがな。


「ふむ、石山本願寺を滅ぼすような"反仏教"の寺倉家ならば、布教を認めてもらえると考えたのか?」


「い、いえ、決してそのような訳ではございませぬ……」


フロイスは目を泳がせている。図星か。


「どうやら勘違いしているようなので言っておこう。私は"反仏教"ではないし、宗教を否定するつもりは毛頭ない。故に、キリスト教も純粋な信仰ならば排除しない。人の生において信仰は決して悪いことではないからな」


フロイスは俺が"反仏教"ではないと聞いて瞠目したが、"キリスト教を排除しない"と聞いて喜色を表している。


「だが、石山本願寺のような信仰心を利用して一揆を扇動するような者は、もはや宗教とは認められぬ故に滅ぼしたのだ。そして、キリスト教を広めんとする背後の勢力が何を目論んでいるのか、私は知っているぞ」


「……それはどういったことでございますか?」


「ヨーロッパでは、この日ノ本は金を大量に産出し、王の宮殿は金で造られている『黄金の国ジパング』と呼ばれておるそうだな? 70年前にローマ教皇がポルトガルとイスパニアが世界を分割する条約を結ばせ、40年前にはサラゴサで両国の王がモルッカ諸島に境界線を引いたのは知っておるぞ。その境界線がこの日ノ本を分割しておるのもな。ポルトガルはインディアのゴアやマラッカの地を奪い、イスパニアは新大陸のインカ帝国を滅ぼしているが、目的は双方共にこの日ノ本のはずだ。宣教師は日ノ本を領土とするための尖兵であり、セイロンと同じ手口で、手始めに日ノ本の民衆や大名を洗脳しようと企んでおるのであろう? 違うか?」


「そ、それは……、どうして……?」


しどろもどろな様子のフロイスに、俺は告げる。


「西洋人はポルトガル人とイスパニア人だけではあるまい?」


「プロテスタント……!」


フロイスの呟きはロレンソが訳さなかったが、理解できた。プロテスタントのイギリス人が日本に接触していると疑ってくれて、西欧で揉め事の種になってくれれば儲け物だ。


「そして、イエズス会の宣教師は九州の大村純忠に洗礼を施して日ノ本の拠点を確保し、南蛮人の商人は大友や島津、松浦などに硝石を売り付け、その対価として日ノ本の民を奴隷として買い、外つ国で高値で売り飛ばしているそうだな。聖書にある"羊の皮を被った狼"とはお前たちのことのようだな。たとえ寺倉領外のことであろうと、そのような悪行は断じて許す訳には行かぬぞ!」


「……」


フロイスが答えられないのは、俺の言い分が真実だと認めていることに他ならない。


「沈黙は認めていると同じことだな。南蛮人どもが奴隷貿易を即刻止めない限り、領内での布教など論外だ。宣教師は日ノ本から追放し、南蛮船は交易以外の寄港を認めるつもりはない」


フロイスは顔を紅潮させたまま、拳を握りしめていた。


「そこの盲目の男、ロレンソと言ったか。キリスト教は南蛮人が日ノ本を侵略する手段だと知って、お前はどうする?」


「主キリストを信じる心に変わりはありません」


「そうか。無理に改宗させるつもりはないが、いずれは日ノ本から追放される覚悟をしておくことだな」


ロレンソの信仰心が篤いと知り、俺は冷淡にそう告げた。

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