興隆と衰亡と再興の岐路

論功行賞と遷都の構想

8月15日、顕如が死んで石山本願寺は滅び、籠城していた2万近い一向門徒は根切りにされた。


石山本願寺の境内には討死した門徒以外にも、無数の餓死者が横たわっている惨状で、溢れた糞尿と合わせて強い悪臭を放っていた。それよりさらに酷いのは寺内町だ。疫病で亡くなった門徒の遺体が、壊れた家屋の瓦礫と共に土葬も火葬もされずにそのまま投棄されており、鼻が曲がるほど酷い悪臭が立ち込めていた。


ここの腐った空気を長時間吸っているだけで疫病に感染しそうで、遺体や汚物を手作業で片付けていたら作業した人間まで感染し、疫病の蔓延を防ぐのは間違いなく無理だろう。俺は石山本願寺の蔵から金目の物を回収させると、寺倉軍の将兵には風呂に入らせて石鹸で念入りに体を洗わせ、疫病の感染を防ぐよう指示し、体調の悪い者は京から呼び寄せた曲直瀬道三の診断を受けさせることにした。


そして同時に、一向宗の邪念を祓い清める意味も込めて、石山本願寺と寺内町全域をすべて焼き払うことを決め、その日の夕方にはナパーム弾で至る所に火を放った。石山本願寺の炎は三日三晩煌々と燃え続け、一向宗の残滓は一片残らず浄化されたのであった。




◇◇◇




摂津国・津守村。


8月16日、今日は論功行賞と戦勝の宴を行う日だ。寺倉水軍など戦功を挙げた者たちに順番に褒美を与えるのだが、俺はまず最初に根津甚八郎の名を呼んだ。


「甚八。此度は石山本願寺に潜り込み、敵の兵数を知らせただけでなく、噂を流して門徒たちの暴動を誘い、さらには顕如と下間頼廉を討ち果たした功績は正しく殊勲甲である。よって、金銭の褒美に加えて、この機にお主を武士待遇として元服させよう。私の偏諱を与える故、これからは『根津甚八郎政影』と名乗るが良い」


「ははっ。私ごときに誠にありがたき幸せにございまする、ううっ……。根津甚八郎政影、身命を懸けて左馬頭様に忠誠をお誓い申し上げまする!」


「甚八よ、良かったな。これからも修行に務め、儂の跡目を継げるよう励むのだぞ」


「はいっ、承知仕りました」


甚八が涙声で返事をすると、妻子のいない植田順蔵が我が子を見るかのような優しい目で甚八を称えて激励する。順蔵も愛弟子の大手柄だから、さぞかし嬉しいのだろう。




◇◇◇





俺は焼き払った石山本願寺の跡地には、史実で豊臣秀吉が築いた大坂城のような壮大な城を築城するつもりだ。そして、その城内には史実の安土城と同様に、帝の日常生活の殿舎となる清涼殿と、さらに公的な儀式を行う殿舎である紫宸殿を築く予定だ。


つまりは大坂城を新しい御所として帝に京から移ってもらい、昔の難波宮のあったこの大坂の地に遷都する計画だ。もちろん帝だけではなく、朝廷の要職に就く公家も寺内町だった場所に屋敷を築いて移ってもらう。


ただし、公家はどうしても必要な上級の家だけに限り、無用な下級の公家は解任し、その機会に朝廷をスリム化する。俺が構想する将来の日本の統治体制は"六雄"による連邦国家体制なのだが、帝は"君臨すれども統治せず"で、日本統一の権威の"象徴"として必要な存在なのだ。前世の現代日本とほぼ同じだな。


その大坂の城下町だが、せっかく焼け野原にしてゼロからの町造りになるので、現代のような猥雑な町ではなく、京や奈良のように条里制の町にして、大通りには物流や消防のための運河や緑地を並走させた計画都市にして、日本の首都に相応しい綺麗な街並みを整備したいと考えている。


そして、大坂の城下町には堺の商人を強制的に移転させ、建設中の津守湊を日本最大の湊に発展させる計画だ。既に、塩屋宗悦と山上宗二には堺の代官を任じた際に堺の移転構想を話し、堺の町衆の取りまとめを命じてある。


強制移転に反抗的な町衆は、見せしめとして家財を没収して領外に追放処分にせよと命じてある。だが、会合衆の穏健派として堺衆の支持も篤かった宗悦ならば、そんな強権を行使しなくとも上手く説得してくれるだろう。


それと、移転した後の堺の町だが、俺は寺倉水軍の軍港として有効活用する計画だ。町衆の屋敷や家屋、倉庫を再利用し、大坂の町を守らせると同時に、今後の四国出兵の拠点として整備するつもりだ。南蛮船の建造や改修は情報秘匿のため従来どおり志摩のドックで行うが、その他の船の補修は堺で行う予定だ。軍港となった後の堺の代官には小浜景隆を任じようと考えている。


一方、大坂に遷都した後の京の都だが、「応仁の乱」以降は荒れ果てたままなので、今後復興する際には、学術と文化の都市として学校や劇場、工房などを造り、現状では学問の中心である寺社には、規模に応じて寺子屋から大学の設置を義務付けるつもりだ。もちろん教育内容には宗教的な要素はできるだけ排除させる方針だ。


全国から優秀な頭脳や技術を持った人材が京の大学に集まって来るようになれば、京の都は文化都市として発展していくだろう。


大坂城の築城と町造りの基本計画作成にはもちろん俺の意思が大きく反映されるため、当面は俺も津守村に留まって手伝うつもりだ。だが、基本計画ができた後は南摂津代官の和田惟政は多忙になるのは間違いないので、惟政が兼任していた北河内代官は、高屋城に移った南河内代官の武田義信に戻して河内国代官とさせて、配下の甲賀衆は甲賀衆筆頭として甲賀衆を上手く率いている三雲政持に任せることにした。


それと、大坂への遷都は今の内から朝廷とネゴしておかないと、海千山千の公家たちが抵抗勢力になって、後々揉めるのが目に見えている。石山本願寺の和睦斡旋で朝廷に引け目がある今は絶好のチャンスだ。そこで、俺は朝廷と遷都の交渉をするため、久々に京に向かうことにした。




◇◇◇




京・御所。


「拝謁を賜り、恐悦至極に存じまする。寺倉左馬頭正吉郎蹊政にございまする」


「うむ。苦しうない。直言を許す」


従四位上の官位を得て殿上人となった俺は、初めて清涼殿に昇殿し、御簾越しに帝に謁見を許された。


「まず始めに、一向宗の首魁・顕如を討ち果たし、石山本願寺を制圧したことをご報告いたしまする。これにて畿内は平定され、帝に安息が訪れることとお慶び申し上げまする」


「おおぅ、左様か。ようやく"天下"が平穏となったでおじゃるか」


「はっ。ですが、五畿七道、日ノ本六十余国すべてを平定しなければ、本当の泰平の世とはなりませぬ。その日まで今しばらくお待ちいただけますようお願い申し上げまする」


「うむ。期待しておじゃるぞ」


帝は畿内が平定されて上機嫌なようだ。だが、本題はここからだ。


「ですが、一つお伺いしたき儀がございまする。先般、武家伝奏が参られ、石山本願寺との和睦を打診されましたが、一向一揆を主導した大罪人の顕如を助命するのが、帝のご意向とは信じられませぬ。本当に帝のご意向だったのでございましょうか?」


「……それは朕の意向ではおじゃらぬぞ」


予想どおりの答えだ。肯定すれば俺の忠誠を失いかねないからな。これで俺は心理的に帝よりも一歩有利な立場に立った訳だ。


「それを伺って安堵致しました。……ところで、石山本願寺のあった大坂の地には、古には難波宮がございました。そこで、私は大坂に日ノ本の象徴となるような壮大な城を築き、城内には清涼殿と紫宸殿を築いて帝に遷座いただき、この荒れ果てた京から大坂に遷都しては如何かと存じまする」


「な、何と! 遷都とは真でおじゃるか?」


長年京から動くことのなかった都を変えるという提案に、帝は驚きを隠せない面持ちで俺の言葉に応えた。


「無論、今は大坂は焼け野原でございます故、城や町を築いて実際に遷都できるようになるのは10年近くも先のことでございまする。ですが、その頃には日ノ本は"六雄"の下に平定されておりましょう。天下泰平の世になって人心を一新する上でも、遷都をお考えいただきたくお願い申し上げまする」


「ふむ。さすがは尊王の臣。左馬頭の申すことも一理あるでおじゃるな。まだ時はある故、よく考えておこう」


「誠にかたじけなく存じまする」


俺が遷都を提案すると、帝は暫く考えた後納得したように頷きつつ、肯定とも取れる返答を述べた。

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