石山合戦⑤ 顕如と毛利家の誤算

摂津国・津守村。


6月30日の昼過ぎ、津守村に本陣を構える寺倉軍は、伝令兵からの「木津川口の戦い」の勝利の報を受けて、大いに沸き返っていた。


「そうか、毛利水軍を壊滅させたか! 今宵は宴だ。 戦勝の宴で水軍の将たちを労うとしよう」


その夜、正吉郎は小浜真宗、小浜景隆、堀内氏虎ら寺倉水軍の将を招くと、自ら酌をして奮闘を労った。


「将監、民部左衛門、安房守、良くぞ毛利水軍を完膚なきまでに打ち破ってくれた。これで寺倉水軍は正真正銘、"日ノ本最強の水軍"だ。私はお主たちを心から誇りに思うぞ」


「はっ、誠にかたじけなく存じまする」


「すべては南蛮船を与えてくださった正吉郎様のお陰にございまする」


「3番艦を任せていただいた上に、毛利水軍を壊滅させることができ、感無量にございまする」


「うむ。だが、西国にはまだ強敵が待ち構えておる。さらには、いずれ南蛮人が日ノ本に攻めてくるやも知れぬ。これからも南蛮船は建造するつもり故、頼りにしておるぞ」


「「「ははっ」」」


正吉郎から最大級の称賛を贈られ、小浜真宗、小浜景隆、堀内氏虎の南蛮船3隻の艦長は、感涙を流しながら笑顔で答えるのだった。




◇◇◇




摂津国・石山本願寺。


その日の夕方、本願寺の法主・顕如は突如として響き渡った足音に顔を強張らせると、下間頼廉が息せき切って駆け込んできた。


「顕如様、申し上げまする! 今日、毛利水軍が木津川口にて寺倉水軍と交戦し、……壊滅しましてございまする!」


「なっ、毛利水軍が敗れた?……あの毛利水軍が壊滅した、だと!」


頼りにしていた毛利水軍がよもやの敗戦、それも壊滅したとの凶報に接して、顕如は顔面蒼白となっていた。報せを伝えた下間頼廉も顕如の青褪めた表情を目にして、毛利水軍の援軍という自分の献策が失敗したという事実を突きつけられ、俯いて唇を噛んでいた。


「……頼廉。毛利水軍が壊滅とは俄かには信じられぬ。一体、何があったのだ?」


顕如は絞り出すように頼廉に尋ねると、頼廉は汗ばんだ額を拭うと、徐に語り始める。


「伝令から聞いた話によれば、500隻もの毛利水軍は寺倉水軍の南蛮船に火攻めを仕掛けましたが、南蛮船には火計が通じなかったとのこと。逆に山崎や長島の戦いで使ったという、例の水を浴びても決して消えない"地獄の炎"によって、毛利水軍の船は一網打尽に焼き尽くされ、壊滅したとの由にございまする」


「……では、兵糧はどうなったのだ?」


「兵糧を積んでいたと思しき200隻の船は、……味方の惨敗を知ると、すぐさま西の安芸へと引き返して行ったとのこと」


「くっ、毛利水軍も"瀬戸内最強の水軍"と呼ばれておった故、頼りにしておったのだが、やはり所詮は下賤な海賊風情ということか! ふん、毛利も"山陽・山陰の覇者"と言えども、存外と使えぬ田舎者どもよな」


正に"坊主憎けりゃ、袈裟まで憎し"である。頼んでいた補給が失敗しただけでなく、南蛮船に惨敗を喫したのだ。顕如は期待を見事に裏切った毛利水軍と毛利家を罵倒し、法主にあるまじき悪態を吐いた。


毛利水軍は寺倉水軍とは相性が良いと頼廉から聞いていたが、見当違いも甚だしい結果に、顕如は怒り心頭で坊主頭を紅潮させ、肩を震わせていた。


「顕如様、誠に申し訳ございませぬ、拙僧の見込みが甘かったように存じまする」


「いや、頼廉。お主が責めを負う必要などない。むしろ、お主の提言が無ければ、毛利を頼るという策すら思い付かなかったであろう」


怒りに我を忘れていた顕如は、頼廉からの突然の謝罪に冷や水を浴びせられたように普段の冷静さを取り戻すと、きっぱりと告げる。


下間頼廉は石山本願寺の強さを体現したような最強の僧侶である。顕如も過去に何度危うい場面を助けられたか数えきれないほどであり、最も信頼できる腹心の頼廉を責められようはずもなかった。


「……だが、海上の封鎖が続いたままでは、飢え死を待つばかりであるな」


「木津川口で毛利水軍が壊滅したとの話は、数日の内にも他の大名にも伝わりましょう。毛利水軍が敗れた寺倉水軍が相手となれば、他の大名を頼ろうにも勝ち目はないと断られましょう」


「分かっておる。打って出たところで寺倉には鉄砲での攻撃を受けてしまう故、いくら死を恐れぬ門徒たちとは言えども厳しかろう。臥薪嘗胆、耐え続ける他なかろうな」


顕如は歯を食い縛りながら籠城の決意を告げる。


「ですが、このまま手をこまねいているだけでは、いずれ門徒たちにも毛利水軍が敗れたとの噂が広まり、門徒たちの士気が下がりますれば、逃げ出す者が出始める恐れもございまする。兵糧を長く保たせるためにも、ここは鉄砲の使えぬ雨の日に、門徒の"口減らし"を兼ねて寺倉の包囲の弱い場所を攻め、少しでも敵の戦力を削るべきかと存じまする」


しかし、籠城を決意する顕如に、頼廉が門徒の"口減らし"という冷酷な策を提案すると、顕如はしばらく黙った後に頷いた。





◇◇◇





安芸国・吉田郡山城。


7月2日、本丸の毛利元就の元に伝令兵が駆け込んできた。


「急報にございまする! 一昨日の昼、摂津沖にてお味方が寺倉水軍と戦い、敗れましてございまする! 乃美兵部丞様、村上掃部頭様は討死されましてございまする!」


「何だと! もっと詳しく申せ!」


突然もたらされた凶報に、上座の毛利元就はもちろん、下座に座る次男の吉川元春、三男の小早川隆景の"両川"も驚き、やや短気な吉川元春が怒号にも似た声で、伝令兵に詳しい説明を求めた。


「はっ、お味方の500隻は寺倉水軍の300隻に攻め掛かり、南蛮船3隻の砲撃を掻い潜って接近すると、炮烙玉を一斉に投げつけ、火攻めを仕掛けました。しかし、炮烙玉は南蛮船にことごとく弾き返され、逆に、噂に聞く"地獄の炎"によって小早は焼き尽くされました。乃美兵部丞様、村上掃部頭様の乗られた関船が南蛮船の砲撃で沈められると、お味方の船は壊滅し、輸送船以外の将はすべて討死され申しました。辛くも生き残った50隻の小早と輸送船200隻が安芸まで帰還した次第にございまする」


「なっ、500隻もの船が……。そんなことが本当にあり得るのか?」


吉川元春は海戦の様子を頭の中でイメージしたが、想像を絶する結果に信じられずにいた。


「何ともはや、ものの見事にやられましたな」


「又四郎、軽口を叩いておる場合ではない。お前の腹心の乃美兵部丞も討死したのだぞ!」


伝令兵が評定の間から出て3人だけになると、小早川隆景が予想外の完敗に呆れたように軽口を漏らし、吉川元春が小言を言う。


「……くっ、抜かったか。よもや毛利水軍が敗北するとはな」


毛利元就はまさかの毛利水軍の壊滅に、悔悟を噛み締めるように呟いた。


「父上、船はまた造れますが、毛利水軍の要の将であった乃美兵部丞を失ったのは、大きな痛手に存じます」


小早川隆景が神妙な面持ちで告げる。


乃美宗勝は村上水軍の能島村上家当主・村上武吉とは血縁関係にあったため、毛利水軍をまとめる役割を担う重要な武将であった。その二人が同時に討死してしまい、毛利家と村上水軍の関係が冷え込むことが予想された。


これにより、毛利水軍が大敗を喫したとの情報が九州で対立する大友家に伝われば、好機とばかりに水軍で攻め込まれれば、優勢な現状が一転してしまう可能性があり、由々しき事態であった。


史実でも永禄12年(1569年)、毛利家の九州攻めの失敗によって、村上水軍は大友家との関係を深め、大友水軍を素通りさせるなどの離反行動を取っている。毛利家にとって毛利水軍の分裂は、絶対に避けなければならなかった。


「儂が生きている内に、毛利の勢威を盤石にせねばならぬ。少輔次郎、又四郎、頼むぞ」


「はっ。ですが、父上にはまだまだ長生きしていただかなくてはなりませぬぞ」


「ふっ、儂はまだ死ぬ訳には行かぬわ」


吉川元春の言葉にそう応じる毛利元就の目は、獲物を狙う鷲のような鋭い眼光を放っていた。

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