第130話 答えはない

 暗い話でなんだか気分がノッドになってしまった。

 こういう時は海を眺めているのが一番だ。

 温泉に入ったりしてもいいのだが、うちは女性密度が濃すぎる。

 かえって変な気分になりかねない。


 そんな訳で釣り道具を抱えて岩場へ。

 一番足場が良く潮が満ちても帰れそうでかつ付近の水深がありそうな岩に目星をつける。

 先端に腰掛け、近くの岩の隙間からムール貝のような貝をはがして針につけた。

 多少ぼーっとしたいから針は大きめのもので、貝は殻付きのままで。

 仕掛けを波の合間に放り込むと、次の波で起こった渦に沈んでいった。

 そのまま竿を海面ぎりぎりに下げ、しばらく竿と波の動きをぼんやり見る。


 ふと背後に人の気配を感じた。

 振り向くと俺と同じような釣り装備のジュリアだ。


「隣いい?」

「どうぞ」 

 ジュリアは俺の横方向にやや向こう側向きに座る。

 俺と同じように針に貝をつけ、ぼちゃんと海中へ放り込んだ。

 後は波の音だけが繰り返す中。


「厳しくなっているのは、確か」

 ジュリアが呟くように言うのが聞こえた。


「だから学園祭では少しでも稼ぎたかった。学生だけじゃない。普通の人も苦しい。私も夏過ぎから親に仕送りしている。サラもそう。皆厳しい」

 仕送りなんてしていたのか。

 知らなかった。


「国が悪いと言っている学生も学校にいる。言っている事は理解出来る。でも私は陛下や殿下を知っている。何とかしようと努力している事も知っている。悪者にされている古い貴族も向こうの立場を知ればまた意見が変わるだろうと思う。多分きっと」


 確かにそうかもしれない。

 俺の実家も貴族だし領主だがそれほど豊かな生活をしていた訳じゃない。

 ある意味今の俺達の生活が一番贅沢な気がするな。

 確かに仕事は大変だけれどそれはどんな仕事もきっと同じだ。


「私は今、学校が終わった後と休日の仕事だけででかなり貰っている。貰いすぎているのかもしれないと時々思う。でも不正な事はしていないしむしろ喜ばれてさえいる。でも本当にこれでいいのだろうかとよく思う。私にはわからない」

 ジュリアも俺と同じ事を考えたようだ。


「何か間違っているような気がする。でも何が間違っているかわからない」

 その疑問はわかる。

 俺も似たような疑問によく囚われるから。


 でも俺はジュリアより4年程この世界で先に生まれた。

 それに前世というか過去の日本の記憶もある。

 だから少しだけジュリアよりもきっと情報を持っている。

 答えとは言えない情報だけれども。


「きっと答えというのは無いんだろうな。そう俺は思う。きっとこの世界には絶対的に正しい答えというものも、絶対的な間違いというものも、救いをもたらす神という存在も、それを妨げる悪魔なんて存在も無い。

 絶対的に正しい答なんてきっと無いんだ。それを探そうとする努力と、今の段階では少しはましな選択肢というものがあるだけでさ」

 

 ちゃんとジュリアの疑問に対する答えになっているかはわからない。

 でも俺なりに考えて導いた現在の結論というものはある。

 勿論それが絶対的に正しいとは思っていない。

 でも参考にくらいはなるだろうと思う。


 そしてジュリアにそれを話すのも俺の義務だと思うのだ。

 ほんの少しだけだけれども先を生きている人間として。

 だから話の組み立てを考えながら俺は続ける。


「ここではない遠い世界、今では俺の記憶と俺の取り寄せる本でしか知ることが出来ない世界の話だ。理想社会に至る理論を考え出した人達がいた。私有財産の否定によって完全な平等を実現しようという考えだ。全てを共有して人は能力と意志のままに働き、必要なものは自由に受け取れる体制。そういう理想郷をめざそうという試み」


「共産主義」

 ジュリアも知っていたようだ。

 事務所横の図書館の本でも読んだのだろうか。

 それくらいしかその辺に触れている本は無い筈だ。


「ああ、それだ。俺が生きた時代はその考えが生まれて既に100年以上経っていた。でもそれを目指す国は何処もその理想に近づけていなかった。むしろ共産主義という理想を目指さない国々よりも自由でも豊かでもなくなっていた。労働者の代表であるべき存在が特権階級になってしまったんだ」


「何故失敗した?」

「理由として色々な事が言われている。一党独裁という組織論が悪いとか人間の欲への考慮が足りないとか世界全体が同じ共産主義を目指さないと達成できないとか共産主義を目指す国々の生産力が足りないとか。

 でも俺はそれらが本質的な答えなんじゃないと感じるんだ。俺が感じた結論は簡単。理想社会、完璧な社会というものは存在しない。どんな社会にも矛盾はあるし矛盾や格差は生まれてくる。それが答えなんじゃないかなと」

 

 国とか体制だけじゃない。

 あの世界なら実例なんてネットを見れば幾らでも見つかった。

 他者を許容しようという主張がそれ以上の拒否と憎悪を振りまいている姿とか。

 差別反対という運動がより一層の差別と分断を生んでいる記事だとか。

 スティヴァレでもネットのような視点があれば山程の矛盾が見つかるのだろう。

 そして誰もが納得できる解決法なんて存在しない。


「絶望的」

「そうだけれどさ。でもだからこそきっと、今を少しでも良くしようとしていくしかないんだろう。そう思うんだ。あくまで俺の意見というか考えだけれどさ。

 どんな社会にも矛盾はある。だからこそ現実を見ながら一歩ずつでも理想に近づいていこうとする。その姿勢と歩みこそがきっと答えだと思うんだ」


「遠くて難しい」

 ジュリアはそう言って、そして続ける。


「もしも世界がここだけで。そしてアシュさんと私だけなら。ここで魚や貝を捕って、畑でも作って野草を摘んだりもして静かに暮らしていけたら。そうやってただ何も考えず静かに生きていけたら。もしそうできれば答えはきっと簡単」


 無為自然だな。

 それでもだ。


「そんな場所にいてもいつかはそこ以外の場所に何があるか見てみたくなるんだ。他に何があるか感じてみたくなるんだ。きっとね。

 それに俺達はすでにスティヴァレという環境の中にいる。天国でも理想世界でもないこの環境の中に。

 だから俺達は自分が出来る事をやっていくしかないんだろう。自分の不満を全て誰かのせいにするような簡単な解決をしないで、人の批判ばかりして解決した気にならないで、自分で考えて一歩ずつ進んでいくしか無いんだと思う。すっきりする答えじゃないけれどさ」


 うまくない、何を言いたいのかよくわからない説明だったかもしれない。

 でもジュリアは頷いてくれた。


「理解した」

 そして小さく付け加える。

「あとその竿、引いてる」


 えっ。

 見てみると確かにぴくぴくと小さくだが動いている。

 すっと竿をあげてみるが……手ごたえがない。

 残念、餌だけ取られたか。


「再挑戦」

 ジュリアが餌になる貝を渡してくれた。

 俺は受け取ってもう一度針につける。

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