69

 ユベール・シャニョンが数ある隠れ家の大半を打ち捨て、王都の北のはずれにある宿屋へと逃げ込んだのは、ギャエル・ジアンからの連絡が届かなくなってしばらく経ったころのことだった。

 ジアンには数日に一度の定期連絡を途絶えさせぬようよくよく云い含めてあったし、彼はずいぶんと自分に怯えているようでもあったから、連絡がなくなったということはつまり、彼の身に重大な不都合があったということだとシャニョンは判断し、彼との連絡に使っていた数か所の隠れ家から急ぎ撤退することにした。

 その判断は正しかった。

 シャニョンが雲隠れしたと同時に、王城から遣わされた官吏どもが数か所の隠れ家に一気に踏み込み、叛乱を企図した罪人の捜索を開始したのだった。

 いま現在シャニョンが身を潜めている宿屋は、ジアンには知らせていなかった隠れ場所のひとつで、そこを知る者は、シャニョンとレイモン・ルスュールだけだと云ってよかった。

 さっさと王都から離れるべきだ、とルスュールはしつこいほどに忠告した。あの使えない男はただ使えないばかりか、あんたのことを平気で密告する気でいるぞ。

 そんなのはじめからわかっていたことだ、とシャニョンは反論した。それでもあいつにはあいつなりの使い道があったんだ。少なくとも、リオネルの居場所はわかったんだぞ。

 どれだけ激しい口調で云い返してみても、わかったからなんだというんだ、地下牢に閉じ込められたまま、明日にも処刑されようという男に未練を残してなんになる、と云われてしまえば、シャニョンに返す言葉はなかった。

 己の未練が、自分自身だけではなくわずかとなってしまった仲間たち――ルスュールをはじめとするほんの数名――の身をも危険に晒しているということは、シャニョンにだってよくわかっている。

 それでもシャニョンは諦められない。クザンがともにあらなければ、一歩たりとも前へ進むことなどできない。

 一緒にいるときには、あの口煩い歳上の男を鬱陶しく思ったこともあった。傍目から見れば、まさに心酔するといった態でクザンを慕っていたシャニョンではあったけれど、彼のやり方をなにもかも受け入れていたわけではないのだ。

 なのに、彼が囚われてから――しかも、シャニョンを逃がすために――というもの、シャニョンはクザンのために膨大な犠牲を払ってきた。逃亡にあてるべき時間しかり、次なる行動を起こすための資金しかり、そしてなにより大切にするべきであった汚れなき手までをも。

 どれだけ崇高な理想を叫んだところで、人殺しの声を聞く者などいない。シャニョンとクザンがともに信じるところであったその理念のために、シャニョンは徹底して汚いことから遠ざけられてきた。

 シャニョンが率いてきた叛乱勢力は、その大半が世の中をよく知らぬ学生たちであったが、革命という血腥い言葉に惹かれて集まってきた者たちの中には、素性の定かでない者も少なくなかった。

 彼らは容易く集い、容易く争い、容易く離散した。

 理想と理想のぶつかりあいなどという可愛らしいことが原因ではない。金を奪われた、女を盗られた、面子を潰されたと、その理由はどれもこれもとても褒められたものではなかった。

 そうした諍いを力ずくで押さえ込んできたのも、殺人や暴行や略奪に及ぶことがないようにと仲間内に監視の目を光らせ、綱紀を正してきたのも、金の工面をしたり、汚れ仕事とは呼べないような雑事までのすべてを引き受けてきたのもクザンだった。

 ルスュールはそんなクザンの手足として動いていた男である。仲間たちの、そしてクザンの闇を多く知っている。それはすなわち、シャニョンの知らぬ――あるいは、知らぬふりをしてきた――リオネル・クザンを知っている、という意味でもあった。

 そんなルスュールは、シャニョンがどれだけ手を尽くしてもクザンを救うことはできないだろうと考えていた。否、知っていたと云い換えてもいい。クザンが自ら縛に就くことを決めたのがいつであったのかまではわからないが、少なくともそう心を決めたときには、彼はすでに己の死を覚悟していたはずだ。その覚悟が生半可なもの――おまえを救いに来たと、いまさら手を差し伸べたところで、その腕に縋るような――であるとはとても思えない。

 だからルスュールは、隠れ家を捨てるとき、これが最後だ、とシャニョンに警告を発した。もう一度だけクザンとの接触を試みて、もしもそれが失敗に終わったときには、なにをおいても王都を出ることを約束させた。

 しぶしぶながらもその言葉に頷いたシャニョンを連れて場末の宿屋に転がり込んだのは、そこに金さえ積めばどんな無理も聞いてくれる、商魂逞しい女将がいると聞いていたからだった。


 少し甲高い声でも上げれば、なにもかもが筒抜けになりそうなほど薄い扉をおざなりに叩いて部屋に入ってきたルスュールを振り返ったシャニョンは、どうだった、と言葉少なに尋ねた。

 ルスュールはその問いかけにすぐには答えずに、被っていた帽子を脱ぐと気怠い仕草で放り投げた。乾いた紗布シーツが敷いてある以外にとりえのない寝台の上を転がった帽子は、ごく軽い音を立ててシャニョンの足許に落ちた。

「悪い知らせだ」

 翡翠の瞳を眇めたシャニョンが、なんだ、と強張った声で問う。

「明日、王城前の中央広場で処刑が行われることが決まったそうだ」

「処刑?」

「首を斬られるのはアドリアン・トレイユとリオネル・クザン。表通りの貼紙にそう書かれている」

 シャニョンの顔が見る見るうちに青褪めた。まっすぐに立っていることもできなくなった彼は、うしろに伸ばした腕をよろよろと彷徨わせると、指先に触れた布に縋るように寝台の上に腰を下ろした。

「明日、だと……」

 そうだ、とルスュールは重々しく頷いた。

「すぐに出発の支度を調えろ、シャニョン。時間がない」

「な、んだと……?」

「支度を調えろと云ったんだ。一刻も早く王都を出ないと、俺たちも危ない。ぐずぐずしている暇はないんだ」

 だけど、とシャニョンは悲鳴のような声で云う。

「リオネルは、リオネルはどうするんだッ!」

 静かにしろ、とルスュールは脅すような声音で云った。

「どうするもこうするもない。もう手は尽きたんだ。クザンを救うことはできない。諦めろ」

 厭だ、とシャニョンは幾度も首を横に振って、双眸を潤ませた。

「厭だ! 諦めるなんてできない! リオネルを助けたい、助けなくちゃ。でないと僕は……」

 シャニョンは両手で顔を覆い、両膝のあいだに埋まるようにして頭を抱え込んだ。ルスュールは深いため息をつく。

「無理だ。大罪人ふたりの処刑が同時に執行されるとあって、警備はつねに輪をかけて厳しくなるだろうし、人の目も多くなる。お尋ね者の俺たちが、うかうかと近づけるはずがないだろう」

「でも……」

「あんた、クザンが助けを望んでいると思うのか」

 ずっと一緒にいたんだろう、とルスュールは憐れむような口調で云った。気の毒だと思った相手がシャニョンであるのかクザンであるのか、それは定かではなかったけれど。

「あんたとは立場が違うがな、俺もクザンの傍に長くいた。だからわかるような気がするんだよ。あの人には、最初からなにもかもわかっていたんじゃないかってな」

「わかっていた?」

 自分が死ぬことになるってことがか、とシャニョンは叫んだ。

「ふざけるなよっ! そんなわけがないだろ!」

「そうか?」

 本当にそう思うか。ルスュールはそう云って、床に落ちたままだった帽子を拾い上げ、軽く埃を叩いた。

「いま、あんたのそばに残ってる人間はみなクザンが選んだ連中だ。全員やつに恩があり、逆らおうなんて考えもしない。戦えないあんたを守るための武闘派ばかり揃えてあるうえに、体術、剣術とそれぞれ得意とするところも違う。ついでに云えば、みながみな身寄りのないやつらだ。おかしなところまで気を利かせやがってな」

 シャニョンの顔がいまにも泣き出しそうに歪む。

「俺たちは最後の最後、いざってときにあんたの命令は聞かねえ。クザンの言葉を忠実に守る。そう約束させられた」

「約束?」

「なにがあってもあんたを死なせない。そういう約束だ」

 冬の陽射しが木洩れ日となって降り注ぐ林の中、おまえは逃げろ、逃げて、生き延び、再起のときを待て、と云ったクザンの声を思い出す。俺は行く、生きろよ、ユベール、と続いた声も。

 あのときの言葉がそういう意味だとわかっていたなら、絶対にひとり行かせたりなどしなかったのに、とシャニョンは唇を噛みしめた。

「俺たちは約束を守る。あんたを死なせるわけにはいかないんだ。これ以上厭だと喚くなら、口を塞いで手足をふん縛って担いでいくぞ」

 きっと僕がどれだけ暴れても、ルスュールたちならば容易くそうしてのけるだろう、とシャニョンは思った。人を殺すことに躊躇いがなくなったとはいえ、得物を持たぬシャニョンが非力であることに変わりはない。

 わかった、とシャニョンは云った。俯いたままの声は通りが悪かったのか、ルスュールは、なんだって、と訊き返してくる。

「わかった、と云ったんだ」

「なら支度をしろ」

 もちろんだ、とシャニョンは頷いた。俯けていた顔をまっすぐに上げ、強い視線でルスュールを睨み据える。

「ただし、王都を出るのはリオネルの処刑が終わったあとだ」

「なんだと?」

「処刑が終わったあとだ。これについて譲るつもりはない。どうしてもというのなら、ここで僕を殺せばいい」

「無茶を云うな」

 云うさ、とシャニョンは短く答えた。

「僕はリオネルにとって我儘な坊やだった。ずっとね。なら最後まで我儘を通させてもらうよ」

「シャニョン……」

「王都を出るのはリオネルの処刑が終わってからだ。わかったな」

 シャニョン、ともう一度ルスュールが名を呼んでも、シャニョンは断固として譲らなかった。

 この目できちんと見届けなくてはならない、と彼は思っていた。クザンの死を、この世でたったひとり理想をわかちあえた友の死を、この目で見届けなくてはならない。

 本当は、なんとしても助けたかった。

 王城に、監察府に捕らえられた者を救い出すことなど、どうあってもできないというのに、そんなことはわかっていたのに、それでも諦めることができなかった。ジアンとともにいた学生たちの口をまとめて封じ、無駄な殺しをしたとルスュールにもほかの者たちにも呆れられ、それでも――。

 案の定、ジアンは使えない男だったが、身近に残っている男たちの中には闇に潜んでどこぞへ忍び入ることを得意とする者もいる。クザンの居所さえわかれば、あるいはどうにかなるかもしれないと、そんなふうにみなを説得もした。

 だけど本当は、認めたくなどなかったけれど本当は、――本当は、わかっていたのだ。

 クザンはもう助からないと。

 助けることはできないと。

 王都にとどまり、さまざまな手を尽くしていても、それらはすべて自己満足にすぎない。助けようとしたのだ、見捨てたりはしなかったのだ、最後まで決して――。

 そう自分を納得させるための自己満足。

 そのために自分の身を、わずかな仲間たちの身を危険に晒して、けれど、シャニョンにはその自己満足がどうしても必要だった。

 クザンに深く傷つけられた自分を――自尊心と矜持を――取り戻すために。

 あの冷たい林の中に置き去りにされたとき、そうされることでたしかに守られていたにもかかわらず、シャニョンは深く傷ついていた。自分では自分を守ることもできない男だという烙印を押されたも同じだったのだから当然だ。

 莫迦にするな、と思った。守ってもらわなくたって、僕は僕を守ることくらいできるのに。

 しかし、それを言葉にすることはできなかった。誰の目から見てもクザンがシャニョンを庇って縛に就いたことは明らかだったからだ。

 憤りに近い怒りは、そうやってシャニョンの中に燻ることとなった。

 だからこそシャニョンはクザンの救出に固執した。あのときただ流されるままにクザンに助けられてしまった自分が、今度は彼を救い、それで痛み分けにするのだと、そんなふうに考えて。

 けれど、とうとうクザンを救うことはできなかった。

 ならば、とシャニョンは思う。

 もうこの怒りは捨てるべきなのではないか。助けられたことに、これまでのすべてに感謝をし、見送ってやるべきなのではないか。

 そのためには、すべてを見届けなくてはならない。

 そうでなければ、自分はここから一歩たりとも前へ進むことはできないような気がする。クザンの望むように――己の望むように――再起を図ることはおろか、ただ生きることさえできないような、そんな気が。

 ルスュールには、そんなシャニョンの気持ちがわかっていたのかもしれない。

 その証拠に彼はシャニョンの名を呼んだきり、それ以上なにも云わなかった。なにも云わずにたったひとつ大きなため息をついて、そのまま部屋を出て行った。


 シャニョンの似顔絵の入った手配書は、王都のいたるところに、否、もっと云えば東国のいたるところに掲げられている。衛士や官吏たちばかりではなく、ごく一般的な民までもが、国を覆そうと企んだ大罪人の顔を覚え、少しでも怪しいと思ったらすぐに通報するよう周知されていた。

 北部守備隊将軍であり高位の貴族のひとりに列せられるアドリアン・トレイユと、多くの仲間たちとともに王家を害そうと企んだ罪人リオネル・クザンの処刑は、王城前の中央広場にて、衆人環視のもと、いままさに執行されようとしていた。

 人目を忍ぶようにして頭巾のついた長套を羽織り、目立たぬ色に髪を染めたユベール・シャニョンは、人波の中から広場の中央に設えられた処刑台をじっと見据えていた。

 彼の両隣にはルスュールともうひとり、剣術に優れた若者が護衛についている。万が一にもシャニョンの身に危機が及んだときにはそのふたりが追手を足止めし、同時にあたりに潜んでいるはずの残るひとりがシャニョンとともに逃走する手筈となっていた。

 あまり前へ行かないでくださいよ、とルスュールはくどいほどに繰り返した。今回の処刑には国王も王太子も立ち会うことになっている。国王はともかく、あんた、王太子とは面識があるんだろう。

 処刑台の向こうに王太子の姿が見える。シャニョンはきつく拳を握り、肩を強張らせた。隣に立つルスュールが頭巾の陰から、おかしな緊張を見せるな、とばかりに目配せを送ってくる。気配に敏感な衛士らに気づかれるぞ。

 それでもシャニョンは怒りを堪えることができなかった。

 民の前で処刑される者の中に、王弟の子エヴラール・ジェルマン・ラ・フォルジュの名はない。

 たとえその身分につけ込まれただけであったとしても、国を覆そうとする者たちに王家の徽章を利用された罪は重いはずだ。

 なのに、なぜ、――彼は死なない。

 今回の蜂起にエヴラールを利用したらどうかと唆してきたアドリアン・トレイユも、捕らえられ利用されたエヴラール自身も、その罪に値する罰は死であると考えていたようだった。クザンやシャニョンとて、彼が無事でいられると考えたことはない。

 それがいざ裁きが終わってみれば、トレイユとクザンは公開処刑に、そのほか捕らえられた叛徒らは服毒の刑に処され、しかし、エヴラールの名はそのどこにも見当たらなかった。

 あるいは公にされないところでひそかな罰を受けているのかもしれないが、命存ながらえていることは間違いないだろう。

 東国において、王族の死は国の大事として、必ず公表される決まりであるからだ。しかもエヴラールは高位の王位継承権を持っている。その死がたしかなものならば、明らかにされないわけはなかった。

 なんのお咎めもなしということなのか、とシャニョンは、いっそ虚しささえ覚えて目蓋を閉じる。

 結局、この国はどこまでも王家のためにあるのだ。王家に叛旗を翻したクザンと、民に与したトレイユは見せしめのために殺されるが、われらと行軍をともにしたはずのエヴラールはのうのうと生き延びる。

 僕たちの為したことにはなんの意味もなかった。クザンが死ぬことにも、多くの仲間が死ぬことにも、なんの意味もない。

 それだけではない。

 この手で殺めた者たちも、巻き添えとなった者たちも、みななんの意味もなく――。

 豪奢な衣裳を身に纏った国王と王太子がその場に立ち上がった。片手を上げ、民を睥睨するふたりの姿は、シャニョンのいる場所からはあまりにも遠い。

 間違っていたのだろうか、とシャニョンは思う。民の力を合わせればあるいは彼らに及ぶこともあるはずだと、そう考えた自分が間違っていたのだろうか。

 だけど――。

 僕と彼らとのあいだに、いったいどんな違いがあると云うのだろう。

 切られれば血を流す身体を持ち、複雑で繊細な心を抱え、喜び、苦しみ、ときに泣いて、ときに笑う。

 大切な誰かを想い、果たすべき役割を担い、愉しみ、憤り、ときに傷つけ、ときに慈しむ。

 同じだ。なにも変わらない。

 なのに――。

 片や揺らぐことのない光の中に生き、片や報われることのない闇の中に沈む。

 彼我の違いはいったいどこにある。

 生まれた場所か。受け継ぐ血か。――そんなものにいったいなんの価値がある。

 命はみな等しい価値を持つはずだ。

 民のそれも、貴族のそれも、王族のそれも、みな。

 なのに――。

 行き場のない怒りと悔しさに震えるシャニョンの前で、トレイユとクザンがゆっくりと処刑台に上っていく。階段をひとつひとつ、一歩一歩、彼らは自らの足で死に向かって進んでいく。

 行くな、とシャニョンは思った。――行くな、リオネル。

 理想も理念も頭の片隅にも浮かばなかった。死にゆく友の姿が涙で滲み、ひどく歪んで見えなくなる。

 泣くな、とシャニョンは砕けんばかりに奥歯を噛みしめた。泣くな。泣くことは許されない。

 そうか、と彼は遅ればせながら気づかされた。僕が抱いていた怒りは、リオネルに対するものじゃない。僕自身に対するものだったんだ。はじめから、ずっと。

 クザンと別れたあの林の中で、命からがら逃げ延びた北の要塞の外で、はじめて人を殺めたあの街のはずれで、シャニョンはいつも深い怒りを感じていた。

 なにも変えられない、なにも止められない、なにもできない、自分自身に対して。

 その怒りは死にゆくクザンの姿を目の当たりにしたいま、頂点に達しようとしている。

 シャニョンは小さく身を震わせた。隣に立つルスュールが、なにかを警戒するような眼差しをくれて寄越すが、それを気にしている余裕はなかった。

 無意識のうちに長套の合わせに手が伸びた。そこから胸元に指を伸ばせば、すぐにも愛用の短刀を掴むことができる。鞘を払えば、あたりを埋め尽くす人々をその場から退かせることくらいはできるだろう。

 クザンを救えるとは思わなかった。だけど、彼ひとりを死なせるつもりもなかった。

 僕とあなたはともに立ち上がり、ともに戦い、ともに敗れた。ならば、ともに死ぬのが道理だろう。

 シャニョンは心中で叫び、胸元に手を突っ込んだ。馴染んだ感触の柄が掌に収まり、それを掴む。勢いに任せ腕を振り上げようとしたそのとき。

「やめるんだ」

 声を押し殺したルスュールに強く肘を掴まれた。

「離せッ!」

 神経の集まる一点を指先で押さえられ、シャニョンの右腕から力が抜けた。

「人が見てる。行くぞ」

 不穏な気配を隠そうともしなかったシャニョンのせいで、彼らはひどく目立ってしまっていた。いまにも衛士たちが駆け寄ってきそうな雰囲気すら漂っている。

 シャニョンが頭巾の陰で深く俯き、ルスュールが彼の腕を強く引いたところで、広場に大きな鐘の音が響き渡った。

 シャニョンらにちらちらと視線を送っていた人々は、まるで訓練された馬のように一斉に処刑台へと向き直った。その隙に、とばかりにルスュールはシャニョンを急かしたが、当のシャニョンまでもが処刑台から目を離そうとしない。

 台の上に蹲っているふたりは、いままさに首を斬り落とされようとしている。数多の罪人の血を吸ってきたのであろう鋭い刃が陽の光に煌めき、もう一度鐘の音が鳴り響いた。

 シャニョンは瞬きを忘れてクザンの最期の姿を記憶に焼き付けようとした。

 彼の為したことは、この国の為政者にとってみればたしかに悪であるのかもしれなかった。

 けれど、決して間違ってはいなかったはずだ。

 民がよりよき世を生きるため、ただそれだけを考えていたのだ。間違ってなどいるはずがない。

 なのに、彼は死ななくてはならなかった。

 王家のせいで。

 僕の無力のせいで。

 僕たちはいつか報いを受けるだろう、とシャニョンは思った。

 遥か高みから下賤の者を見下ろすかのようにクザンの死を眺める国王たちも、なにもかもを彼ひとりに背負わせ逃げ延びようとする僕たちも。そして、なにもかも他人事としか思わず、無関心でいるばかりの民たちも。

 いつか、みな、相応の報いを受ける。受けなくてはならない。

 堪えきれない涙がシャニョンの頬を流れた。多くの者に死を晒すクザンにも、処刑を見守る民らにも、強く腕を引いてその場を立ち去らせようとするルスュールにも、誰にも気づかれることなく、――しかし、あとからあとから溢れ、とどめようもなく頬を流れ伝い、顎先から滴り落ちて、爪先を濡らした。


 ユベール・シャニョンと彼の一味は、その日のうちに王都を離れた。

 彼らが隠れ家として使っていた場所には隈なく、最後に寝泊まりしていた場末の宿屋も含めて――金でしか動かぬ宿屋の女将は王城が支払う多額の報奨金に目が眩み、怪しい連中の所在を密告した――監察府と衛士らの捜索の手が伸ばされたが、その行方を示すような証拠はなにひとつ発見されなかった。

 シャニョンは消えた。

 ラ・フォルジュの歴史に深く長い爪痕を残し、しかし彼自身はそうとは知らぬまま、ひっそりと消えた。

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