12

 巫女となるためのシュテファーニアの修行はとても厳しいものだった。

 夜明け前のまだ暗い時分に起き出し、身支度を整える。下男下女とともに神殿内に割り当てられた区画の清掃を済ませ、拝堂で朝の長い祈りを捧げる。朝と昼とを合わせた食事を摂ったあとは神の御業に基づいた教義について神官から学び、夕刻には神殿から外に出ての奉仕活動がある。神殿に戻ってから夜の祈りを神に捧げ、食事を済ませ、そののちにはふたたび講義があり、特別な儀式等がなければそのまま部屋に戻り就寝する。

 巫女として正式に認められるまでもっとも短くても二年間、少しずつ内容を変えながらも――例えば、朝の清掃でより神殿の内奥を担当することとなったり、高位の巫女の世話係となったりすることもある――こうした暮らしが続くのである。

 シュテファーニアは教主の宮で暮らしていたころも、決して自堕落な生活をしていたわけではない。だが、二年間の結婚生活ですっかり贅沢を覚えてしまった身体には、質素なばかりの食事や冷えきった神殿での暮らしは、ただそれだけで厳しいものと感じられた。

 最近はどうにかこうにか慣れてはきたけれど、とシュテファーニアは白いため息をついて自室の扉をそっと押し開けた。はじめのうちは早朝に床を抜け出すことからして、つらくてつらくてたまらなかった。

 夜の講義を終えたあと、いったん自室へ戻った彼女だったが、いつものとおり図書庫で自習をするため、静まり返った廊下を足早に進んでいく。

 神ツ国の神殿は、その多くが昼夜問わずに機能している。神に捧げる祈りや儀式は、一年中、また一日中、欠かすことはできないからだ。神殿の中にいくつかある拝堂では、常にそのどこかで絶えず祈りが捧げられ、聖句が唱えられている。

 修行中の巫女や神官は、夜の礼拝や儀式に参加することはほとんどない。いまだ未熟な彼らには学ぶべきことが多くあり、夜のあいだは自らを高めることに費やすことができるよう配慮されているのである。瞑想でも自習でも、翌朝からの務めに支障をきたさない範囲であれば、いくらでも時間を使うことができた。

 当初は、就寝時間を知らせる鐘が鳴り響くとともに寝台へと倒れ込んでいたシュテファーニアだが、このところはずいぶん身体が慣れたのか、そう長い時間でなければ、夜更かしをすることもできるようになっていた。

 銀色の髪を濃い色の頭巾で覆い、防寒のためにさらに口もとまでをも覆うようにしたシュテファーニアは、やがて図書庫の入口へと辿り着いた。

「シュテファーニアさま」

 図書庫の入口には修行を終えたばかりのまだ若い神官――司書を担っている彼は、イエレミアーシュとほとんど変わらぬ歳周りである――に静かに名前を呼ばれ、シュテファーニアは深く一礼をした。

「毎晩、よく続きますね」

 穏やかな笑みを浮かべた彼に向かって、シュテファーニアは、はい、と短く答えた。

「覚えるべきことが多うございますから」

「昨年までの私も、そう思っておりましたよ」

 彼は笑いを含んだ声でそう云いながら、シュテファーニアに向かって片手を差し伸べ、灯りを差し出すようにうながした。シュテファーニアは手にしていた燭台を彼に預け、引き換えに図書庫で用いるための特別な灯台を受け取った。

 この灯台に灯されている炎は、ただの炎ではない。図書庫のための灯、書灯、と呼ばれるこれは、灯しておくべき芯のほかにいっさいの燃料を要さず、温度も持たず、風に揺れることもない、秘術による炎である。

 この書灯は中央神殿でしか使われていない特別なものだ。

 神ツ国において秘術を扱う者の絶えたいま、新たな炎を起こすことはできないとされており、残された貴重な炎を受け継いでいくことしかできないため、中央神殿の図書庫と、そこで学ぶ者が手元を照らすための灯台にだけ特別に用いられているのだった。

 シュテファーニアは顔の高さに灯台を掲げ、神官の青年が明けてくれた扉から図書庫へと足を踏み入れた。紙と洋墨インクの匂いが彼女の身を包む。

 中央神殿とはまるで、図書庫を守るために作られた砦のようだ、とシュテファーニアは思う。複雑に入り組んだ回廊は拝堂ではなく図書庫を中心に築かれているように思えるし、古より受け継がれた不思議な術は、すべてが書を守るためにだけ使われている。

 そう、書物を守るための秘術は、火災の不安のない灯りだけではない。中央神殿の図書庫に納められている書物には、経年による劣化を防ぐための秘術も施されているのである。いったいいかようにしてそうした術を施しているのか、司書の役割を担っていないシュテファーニアの知るところではない。

 この書を保存するための秘術は、この中央神殿の図書庫の中でのみ効果を発揮するものであるため、ひとたびこの場所に納められた書は、どのような立場にある者の命令であとろうとも、また、そこにいかなる理由があろうとも、図書庫の外に持ち出すことは禁じられていた。

 顔を陰らせる頭巾はそのままに、シュテファーニアは慎重に歩を進めていく。

 ほかの部屋の三倍はあろうかという非常に高い天井からは、東国王城の広間にもあったような大きな吊燭台シャンデリアがいくつも下げられている。灯されている炎が青みを帯びた書灯であるため、宴を思い起こさせる華やかさとは無縁だったが、代わりに、無知の闇を切り裂く刃のような鋭さを感じさせる。

 吊燭台の下では、それぞれの手元に灯台を掲げた多くの者たちが読書や写書に励み、あるいは思索に耽っていた。声を上げる者はひとりとてなく、小さなしわぶきひとつさえ禁じられているかのような静けさである。

 シュテファーニアはここにいるはずのひとりの人物を探しながらも、誰にもそうとは悟られないよう、壁一面の書棚を見上げて目当ての書を探しているふりをしながら歩き続けた。――おかしいわね。約束の刻限はもう過ぎているというのに。

 なおも図書庫の奥へ奥へと静かに進みながら、シュテファーニアはふと長いため息をついた。これだけの書灯を灯してなお、高い天井は闇に沈んでいる。多くの書が、高い書架の天辺で、誰かに触れられることを待ち続け、しかし誰にも触れられることなく長い長い眠りに就いている。

 この命潰えるまでに、わたくしがあれらの書に手を触れることは叶うのかしら、とシュテファーニアは思う。あるいは、誰にも触れられぬその書にこそ、真の教えがあるかもしれないというのに。

「姫さま」

 数多並ぶ書卓が途切れ、背の高い書架の立ち並ぶあたりに差し掛かったところで、その声は唐突にシュテファーニアを呼んだ。ひそめられた声に飛び上がるほど驚いて、彼女はその主を探すように書架の奥の薄闇に目を凝らす。

「お待ちしておりました」

 シュテファーニアと同じように、片手に書灯を掲げたツェツィーリアが現れた。彼女もまた、顔の半分を覆い隠すような頭巾をかぶっている。

「来ていたの」

「ひさしぶりのお召しでございましたから」

 お待たせするわけにはまいりませんでしょう、とシュテファーニアの世話係を務めるべく神殿付下女となったツェツィーリアはひそやかに笑った。

 ツェツィーリアの姿を認めても、シュテファーニアが足を止めることはなかった。彼女はツェツィーリアのすぐ傍らをすり抜けるようにして、なおも図書庫の奥へと進んでいく。ツェツィーリアは主のすぐうしろをついて歩きながら、そっと背後を振り返った。

 吊燭台は図書庫の奥へ行くほどその数を減らし、いまやふたりの歩くあたりはまったくの暗闇と云ってもよかった。手に掲げた灯台だけが足元を照らす頼りだが、云い換えればそれは、ふたりの居場所を示す標ともなる。

 シュテファーニアが自分をここへ呼びだした目的が、決して他人に知られてよいようなものではないことを察していたツェツィーリアは、自分たちの背中を追う目がないかと神経を尖らせていた。

「心配はいらないわ、ツェツィーリア。このあたりには誰もやってこない」

 不意にシュテファーニアが口を開いた。

「……ですが」

「わたくしはもう何度もここまで来たけれど、誰にも咎められたことはない。大丈夫よ」

 いままではそうでしょうけれども、とツェツィーリアは思う。今夜はこれまでとは状況が違うのだ。

 姫さま、とツェツィーリアがもう一度主に注意をうながそうとしたとき、ここよ、と抑えた声が彼女の言葉を封じた。

 広い広い図書庫の突き当たりを壁沿いに進んだその先、窓からの月明かりも吊燭台の灯りも届かぬ闇の中に、シュテファーニアの胸の高さほどまでしかない小さな扉が沈んでいた。シュテファーニアとツェツィーア、それぞれが掲げるふたつの書灯に照らされた、古びたその木製の扉には、不似合に頑丈で複雑そうな錠が三つも取り付けられていた。

 ツェツィーリアの目の前で、シュテファーニアは羽織っていた薄手の上着の下から鍵を取り出した。

「姫さま、それは……!」

 シュテファーニアは視線だけでツェツィーリアの驚きを封じ、急ぎ三つの錠を開く。存外に大きく響いた金属音に身を竦ませながら、シュテファーニアは背中を屈めて小さな扉の奥へと身体を滑り込ませた。すぐあとにツェツィーリアも続く。

 紙と洋墨、それから黴と埃の匂いがふたりを包み込んだ。

 ツェツィーリアは小さな扉をぴったりと閉じた。内側から施錠できないことが不安を煽るが、こればかりは仕方ない。諦めの吐息とともに振り返ったツェツィーリアに、シュテファーニアが云った。

「神殿に入ってこれまで、わたくしがおまえの言葉を忘れたことはなかったわ、ツェツィーリア。だから今夜、こうしてここへおまえとともに来られたことを、わたくしはとてもう嬉しく思っているの」

 嬉しく、いえ、違うわね、とシュテファーニアは微笑んだ。

「誇らしく、だわ」

「私の言葉、でございますか、姫さま」

 そうよ、とシュテファーニアは云った。

「学べ、とおまえは云ったのよ、ツェツィーリア」


 修行をはじめてからしばらくののち、教義のより深い理解のために図書庫へ通うようになったシュテファーニアは、最初の幾日かはごくあたりまえの書を手に夜を過ごした。

 ツェツィーリアの言葉を思い出したのは、かつて目を通したことのある歴史書をどこか斜めに読み流していたときのことである。

 たしか、歴史を学べ、とツェツィーリアは云ったのよね、とシュテファーニアは思った。云われるまでもなく、これまでさんざんに学んできたことだわ。隠された歴史がある、と彼女は云ったけれど、本当にそれがここにあるというのかしら、とシュテファーニアは書から顔を上げ、図書庫の中を見回した。

 もし、その歴史とやらが、ツェツィーリアの云うように隠された書――禁書――だったとして、それはいったいどこにあるのかしら、とシュテファーニアは考えた。この図書庫はとても広いけれど、たったひとつの空間でできている。

 四角い部屋の一面は広い窓となっており、残る三面の天井までをも埋め尽くす書架と、部屋の四分の三を占める背の高い書架の群れに、蔵書のほとんどが納まっていると聞く。一部の稀覯本についてのみ、祐筆が管理する特別な書棚へしまわれているというが、それさえもきちんとした手続きを踏みさえすれば誰にでも――神殿に仕える者ならば、というただし付ではあるが――閲覧することは可能だ。

 ツェツィーリアは、記されたことさえ秘匿される書、と云ったのだ。普通に考えて、誰の目にも容易く触れる可能性のある図書庫になど納められているはずがない。

 けれど、一方で彼女は、見たことがある、と云った。それは、祐筆の長を務める彼女の父の権力あってのことに違いないのだろうけれど、彼女がかく云う以上は、その書は床下に埋められていたり、壁に塗りこめられたりしているわけではない、ということになる。

 では、その秘された書はいったいどこにあるのだろう、とシュテファーニアは灯台を片手にそっと立ち上がった。木を隠すなら森へ、と云うように、やはり、書を隠すなら図書庫へ、ということになるような気がする。

 この図書庫のどこかに秘められた歴史が、と彼女は多くの歴史書が納められた棚へと近づいた。狭い間隔で何列にも並べられた大きな書架を端から端までくまなく見てまわり、気になる書は片っ端から頁をめくってみた――ただそれだけのことに、幾晩もの時間を費やした――ものの、それらしいものは見つからなかった。

 これは、と思って見当外れに終わった最後の一冊を書架へと戻し、シュテファーニアはその場に佇んだまま暫し思考した。

 秘すべき歴史。隠すべき闇。

 やはり、そんなものをこんな簡単なところへ置いたりはしない、とシュテファーニアは考える。

 司書や祐筆の手元にも置かない。なぜならば、彼らは公の役職にある者たちだからだ。彼らの管理する書棚は厳重な監視下に置かれてはいるが、秘密にされているわけではない。存在そのものが秘匿されているような書を、手続きひとつで開けられてしまうような場所にしまっておくはずがない。

 ならば、この図書庫のどこかに公にされていない場所があるということなの、とシュテファーニアは灯台を高く掲げた。

 壁伝いに広い図書庫をぐるりとめぐり、しかしそのときのシュテファーニアにはなんの答えも見つけられなかった。これ以上夜更かしをすると翌日に障る、という時刻になって、彼女はそのまま自室へと引き上げた。

 明日からどうしよう、と寝台にもぐりこんだシュテファーニアは、眠りに落ちるまでのごく短い時間、そんなふうに考えた。もう手立ては尽きてしまったのだろうか。

 壁沿いの書架の高い場所にある書を下ろすには人手が必要だ。教主の宮で暮らしていたころならば人手などいくらでも集めることができたが、いまはそうはいかない。頑張ってみたところで、ツェツィーリアひとりを呼びつけるのがせいぜいだ。彼女を呼んだとて、そういう意味ではなんの役にも立たないことはわかりきっているし、そもそも手がかりひとつ掴めていない状態で彼女と顔を合わせたくはない。

 いったいどうしたら――。

 気づけばそのまま眠りに落ちていたことに気づいたのは、いつもの起床時刻のほんのわずか前、なにかに弾かれたように大きく身体が跳ねて目を覚ました刹那のことだ。そして同時に、なにか重要なことを思い出したような気がした。

 いまだ闇の残る部屋の中で天井を見上げ、シュテファーニアは自身のうちに残るかすかな違和感を追いかけた。わたくしはいま、なにを思い出そうとしていたの――。

 そうか、と次の瞬間、シュテファーニアは勢いよく跳ね起きた。

 史料室があるじゃないの。

 壁一面を書架に埋め尽くされている図書庫だが、じつはその壁のところどころには、史料室と呼ばれる小部屋への入口が存在している。シュテファーニアでさえ腰を屈めなければ入れないような背の低い扉の向こうには、水平に保管しなければならないような書物――例えば判の大きな地図や、巻いた状態で保管されている年表など――が納められている。史料室の内側、扉のない壁の三方は、そうした書物を納めておくための大きな抽斗式の棚になっており、空間と云えば人がふたりか三人ようやく立てるほどの広さしかない。

 史料室の扉に鍵はかけられていなかったが、扉自体は常に閉められた状態になっている。それでもとくに不便を訴える者が現れないのは、各史料室にそれぞれどんな書が納められているかは、表に掛けられている札に記されている上に、納められている資料に古いものが多く、取扱いに神経を使わなくてはならないせいで、利用者そのものがあまり多くないからだろう。

 きっとあの中のどれかだわ、とシュテファーニアは大急ぎで着替えながら、逸る自分を必死に抑えようとした。本当ならいますぐに図書庫へすっ飛んでいき、覗いたことすらなかったあの小部屋たちを片っ端から調べてまわりたい。でも――。

「でも、あのときは朝の清掃に行かなければならなかったの。だからその日の夜のうちに史料室を端から見てまわって、それで、ここをみつけたのよ」

 シュテファーニアは片手を上げ、周囲の抽斗棚をぐるりと指し示してみせた。

「すべて開放されているはずの史料室の中で、たったひとつだけ施錠されていたのが、この部屋だったの。司書に尋ねても、ずっと施錠されたまま鍵が行方不明だというし、表に掛けられている札にも、教主録控、とあるだけ。本物の教主録は隣の史料室に保管されているし、誰も控などに用はないものね」

 だからこの部屋が閉ざされたままでも、誰も不思議には思わなかった、とシュテファーニアは云った。

「それにここで暮らす者たちは誰も彼も自分の務めに忙しすぎて、かかわりのないことにまで関心を持ったりはしない」

 シュテファーニアは整った顔に笑みを浮かべた。

「秘された歴史はここで堂々と、けれどひっそりと息づいていた。少し前の晩、はじめてひとりでここに入って、そのときはひととおりを眺めたあと、思わず明け方近くまで書を読み耽ってしまったわ。わたくしが知るわが国の歴史からはあまりにもかけ離れていて、けれど、ひとつも嘘や偽りだとは思えなかった」

 学ぶのはまだまだこれからだけど、とシュテファーニアはかぶっていた頭巾を取り払い、ツェツィーリアをまっすぐに見つめる。

「ここを見つけたことを、まずはおまえに知らせなければ、と思ったの」

 姫さま、とツェツィーリアが上げた声は掠れていた。

「いったい、どのようにしてここの鍵を?」

「イエレミアーシュお兄さまよ」

 姫さまっ、とツェツィーリアの顔は瞬間で蒼白に変わっていた。

「まさか、イエレミアーシュさまとお会いになったのですか!」

 修行中の巫女は、たとえどんな事情があろうとも、相手が誰であろうとも、男性と顔を合わせることは許されていない。イエレミアーシュさまがそのことをご存じないはずはないのに、とツェツィーリアは思った。

「いいえ、お会いしてはいないわ。わたくしが会ったのは、ツィリル。お兄さまに仕える賤民よ」

 人として生きることを許されぬ賤民は、神の定め給うた戒律にも触れない存在であるとされている。神の恩寵に与らない、とされていることの裏返しであるが、そのため、修行中の身であるシュテファーニアとも顔を合わせることができるのだった。

「しかしなぜ、ツィリルとやらがここへ?」

 シュテファーニアは軽いため息をついた。

「イエレミアーシュお兄さまが心配性なのは知っているでしょう、ツェツィーリア」

 イエレミアーシュはツィリルを通して、なにか不都合はないか、困っていることはないか、とシュテファーニアに宛てて日々便りを寄越してくるのだ。こういうことをされては困る、不便などなにもない、と毎日のように返事をしても、ツィリルは翌日には同じようにやって来る。

「あの子に会わないようにしてみたこともあるのだけど、夜が更けても神殿裏の門のところに立ったままでいるのを見て諦めたのよ。あの子はお兄さまの云うことに逆らうことはできない。お兄さまに嘘をつくこともできない。わたくしに会え、と云われれば会えるまで待ち続ける」

 見ていられなかったの、とシュテファーニアは云った。

「それからは毎日ツィリルに会って、用はない、伝言はない、と伝えるのが日課のようになっていたのよ」

「……さようでございましたか」

 ツェツィーリアは低く掠れた声で呟いた。まったく、イエレミアーシュの溺愛ぶりには、心底呆れて言葉も出ない。そうやって彼が横から手助けをしようとすることが、己の意志で巫女となることを決意された姫さまにとって、邪魔にしかならないのだと、どうしてわからないのだろう。

「じつを云えば、少し困っていたのだけれど……」

 シュテファーニアの声音はツェツィーリアを慰めるもののように、かすかな苦笑いを含んでいた。

「今回のことでは助かったわ」

「イエレミアーシュさまにはなんとご説明なさったのです?」

 まさか、この国の秘められた歴史が知りたいと、そう仰せになったのですか、とツェツィーリアは尋ねた。

「そうよ」

 あまりにもあっけなくシュテファーニアが答えるので、ツェツィー理は驚いて、姫さま、と思わず咎めるような声を上げてしまった。

「いくらお相手がイエレミアーシュさまだとは云え、なんという軽率なことをなさるのですか。もしもほかのご兄姉がたやお父上さまの耳に入りでもしたら……」

「そのことになんの問題があるの? ツェツィーリア」

「も、問題だらけではありませんか!」

 ことは秘められた歴史でございます、と有能な元侍女は主に向かってぐっと詰め寄った。

「教主猊下とごく限られた神官しか知らぬ、歴史の暗部でございます。隠し続けてきた秘密を姫さまが探ろうとなさっていることが知れれば、たとえ姫さまといえども無事ではおられますまい」

「お兄さまもお父さまもとうにご存知の歴史よ。わたくしが知ることになんの問題があって?」

 きっとお母さまもお姉さまがたもご存知よ、とシュテファーニアはどこか虚ろな声で云った。

「わたくしだけがなにも知らなかった。知らぬままでいいと、きっとそう思われていたのでしょうね」

「な、なぜ、そんなふうに……」

 だってそうでしょう、とシュテファーニアはため息をついた。

「教主とは歴史の秘密を守る者のこと。ここにある書を読んで、わたくしにはそのことがよくわかった。己が抱える秘密がなんであるかも知らずに守ろうとする者はいない。これまでのすべての教主とその一族、それから神官の一部は、歴史の秘密を知り、隠匿し、守り抜いてきた」

 お父さまは神の代行者などではない、ただの番人にすぎなかったのだわ、とシュテファーニアは云った。

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