11
山の冬は日に日に厳しくなっていった。
途絶えることなく窓を鳴らす猛吹雪や、吐き出す息さえ瞬時の凍りつくさまに、ヴァレリーとエリシュカの脆い焦りは簡単に打ち砕かれてしまった。
だから云っただろう、とヴァイスは淡々とした口調で告げた。
「いまはここで時を過ごすしかない、と」
そうは云いながらも、ヴァイスだけは以前となんら変わりない日々を過ごしている。午前中の決まった時間に庵を出て、夕刻のやはり決まった時間に戻ってくる。なにかを持って行くでもなく、なにかを持って帰って来るでもない。
いったい毎日なにをしに出かけているのだ、と尋ねても、おまえたちには関係のないことだ、と返されてしまえば、もうそれ以上の言葉が見つけられるはずもなかった。他者に対し尊大であることに慣れているヴァレリーでさえ、ヴァイスを問い詰めることはできなかった。
ヴァレリーとエリシュカ、ふたりにとってヴァイスはこれ以上ないほどの恩人だ。暴風雪の中に行き倒れていたふたりを救い、手当を施してくれたばかりか、長く逗留することまで許してくれた。
だけど、おれたちは決して歓迎されているわけではない、とヴァレリーにはそのことがよくわかっている。そして、一見親切なように見えるヴァイスが、しかし、人というものをあまり好いていないこともわかっていた。
自ら手を差し伸べたはずのヴァレリーとエリシュカに対してでさえ、彼は決して自分の話をしようとはしなかったし、心を開こうともしなかった。
ヴァイスはまた、ヴァレリーたちの事情を詮索しようともしなかった。馬一頭に男女がふたりきりで険しい山を越えようというのだ。どんな想像もできようというのに、彼はまるでふたりに興味がないのか、当初は名前さえ尋ねようとしなかったほどである。
誰も彼もが自分におおいなる関心を抱いて接してくることがあたりまえだったヴァレリーは、そのことが少しだけ不満だった。
いよいよ雪が深くなり、狩に出かけてもそう容易くは獲物を捕らえられないようになっても、ヴァイスはとくに気にする素振りは見せなかった。おまえたちが凌げればそれでよい、と彼は云った。私のことは気にしなくていい。
そうはいくか、とこのごろのヴァレリーはなかば意地になっている。この寒さの中であっても、その気になれば鳥を撃ち、兎を捕らえることくらいできるはずなのだ。
風雪の合間、ほんの束の間の晴れ間を狙って、ヴァレリーはなにがなんでも三人の腹を満たすだけの獲物を狩るべく朝早くから庵をあとにする。くたくたになるまで獲物を追いかけ、昼過ぎに庵に戻り、猟銃の手入れや罠の準備などに時間を費やし、エリシュカが用意してくれた食事を取って、早々に眠りにつく。
無理をせずともよい、とヴァイスは云うし、少しずつ蓄えを残すようにしていますから、とエリシュカも云うが、それでもヴァレリーは可能な限り毎日狩に出かけるようにしていた。食糧が尽きる不安もあったし、なにもせず諾々とヴァイスの施しに縋るのが厭だということもあったが、理由はほかにもあった。
それは、エリシュカと過ごす時間である。
思いがけずエリシュカとの旅がはじまったときには、ヴァレリー自身が重たい怪我を負っていた。ヴァイスの庵に拾われたときには、エリシュカが死に瀕するほど衰弱していた。
だから、すっかり忘れていた。
王城にいたときのヴァレリーは、エリシュカとともにある時間、大抵彼女を抱いて過ごしていた。ともに書や絵画を楽しんだのは数えるほど、ともに食事を取ったのもはじめのうちだけで、あとはひたすら寝台の上で淫らな慾に溺れるばかりだったのだ。
あのころの愚かな自分をすっかり忘れていた、とこのところのヴァレリーはひどく狼狽えている。
庵の中のさまざまな雑事をすっかりこなせてしまうほどにエリシュカの身が回復したことは、とても嬉しく思う。彼女の頬に赤みが戻り、また穏やかに微笑んでくれるようになったことを、まるで天からの恵みのようにありがたく思う。
けれど――。
その一方でヴァレリーは、己の中に、かつてと同じ慾が蘇ってきてしまったことにも気づいていた。エリシュカの華奢な身体を力いっぱい抱きしめたり、やわらかな唇を思うさま貪ったりしたいと、どうしてもそうしたいと願ってしまうのだ。
駄目だ、ということはわかっている。
いくら自分の想いを伝えたとはいえ、彼女から想いを返されたわけではない。
たしかにエリシュカは過去の想いを告白してはくれた。――わたしはアランさまをお慕いしていたのです。
けれど、あれはあくまでも過去のものだ。いまのことはわからない。
おとなしく、従順で、誰かに逆らうことなど考えもしなかったはずのエリシュカを、城を飛び出そうと決意させるまでに苦しめ、追い詰めたのは自分だ。
その過ちを心の底から悔い、二度と同じことは繰り返さないと、そう誓ったのは遠い日のことではないというのに、とヴァレリーは己の慾の深さを心底厭わしく思う。
もう二度とエリシュカの意に添わぬことはしない、という理性と、彼女に触れたい、と願う感情とが鬩ぎあい、いまのヴァレリーは混乱の極みにある。
これで四六時中ヴァイスの目でもあれば多少の抑制にもなろうが、いかんせん彼は不在がちだ。
エリシュカを傷つけたくないヴァレリーが、ならば自分も庵にいなければいいのだ、という結論に達するのは当然のなりゆきだった。
今朝もまた、今日は雲行きが不安定そうですから、とやんわり引き止めるエリシュカを振り切ってヴァレリーは庵をあとにしてきていた。昨日までの獲物から得られた肉は、切り詰めれば十日は凌げるほどもあるはずだったが、エリシュカとふたりきりの静かな庵の中で長い時間を過ごすことは、だいぶ脆くなってきている理性では耐えがたかった。
すっかり歩き慣れた庵の周辺を、ヴァレリーは慎重な足取りでゆっくりとまわった。
仕掛けてある罠をひとつひとつ確認していく。壊されているものがあれば直し、かかっている獲物があれば簡単に捌いて背負子の中へと丁寧にしまった。
すべての罠を確かめてしまうと、ヴァレリーは空を見上げて深いため息をついた。――まだ昼にもならぬというのに、もうするべきことがなくなってしまった。
ヴァレリーの足は無意識のうちに、自然に拓けた尾根道を辿っていた。はっきり記憶にあるわけではないが、エリシュカを抱えた自分が行き倒れていた、まさにその場所へと向かう道――いつもの狩のときには通らないようにしている緩い上り坂――である。
無心で歩めば、長く続く坂道も息を切らすことなく登りきることができた。
道はやがて唐突に途切れた。行き止まりとなった先は、底の知れぬ断崖絶壁である。
虚空へと落ちる少し手前に、そこだけ綺麗に雪を避けられた黒い墓標がある。そして、その冷たい御影石の前に跪く影があった。
――ヴァイス。
ヴァレリーの気配を察した彼は、長い髪を揺らして億劫そうに振り返った。
「ここへは来るなと云ったはずだ」
すまない、とヴァレリーは答えた。
「わかってはいたんだが……その、少し話し相手になってもらいたいと思って」
ヴァイスは澄んだ緑輝石の瞳をヴァレリーに据え、しばらくのあいだきわめて不機嫌そうな表情で睨みつけていたが、やがて、ふ、と息を吐いて、なにがあった、と静かに尋ねた。
「なにがあった、というわけではないのだ。ただ、その……」
「エリシュカのことか」
なぜわかった、とばかりに勢いよく顔を上げたヴァレリーに、ほかになにがある、とヴァイスはかすかに笑った。彼の顔は表情のひとつひとつにいたるまで、精巧な作り物のように整っている。古い絵画に描かれている神の御使いとやらのようだな、とヴァレリーは思った。
「こんなことははじめてなのだ」
「なにがだ」
「どうしたらいいのか、まるでわからない」
なにをだ、とヴァイスは少し苛立ったように語調を乱した。
「私は長く人と触れあっていない。話し相手になれ、と云うのなら、もう少しわかりやすく話してくれ。心を察するとか間合いを読むとか、そういったことは苦手なんだ」
嘘だ、とヴァレリーはヴァイスの気遣いに感謝しながら苦笑した。ヴァイスはおれに話をさせようとしている。この迷いを、この疚しさを、この苦しみを、少しでも言葉に換えさせることで、おれを楽にしてくれようとしている。
おれは、エリシュカを好いているんだ、とヴァレリーは云った。
「ああ」
「城にいたとき、エリシュカはおれの愛人だった」
愛人、とヴァイスは眉を持ち上げてみせた。
「恋人ではなく?」
「恋人ではない。愛人だ」
ヴァレリーはまるで自分自身を傷つけようとするかのように、言葉を区切りながらはっきりとそう云った。
「都合のよいときに寝所へ呼び、都合のよいように相手をさせた。豪奢な衣裳を着せ、夜会へ連れ出し、似合わぬ
わかるか、とヴァレリーは自嘲する。
「こんなの、とうてい恋人とは云えないだろう」
「云えないな」
淡々としたヴァイスの返事に、ヴァレリーはたまらずに声を上げて笑った。
「ひどいものだ。言葉にしてみるとなおいっそう、自分という人間が許せなくなる」
惨めでならない、とヴァレリーは云った。
「なぜそう思う?」
「エリシュカを愛しく思う。あのころもいまも、その気持ちは変わっていない。ただ、前と違うのは、そうだな、いまのおれは彼女に幸せになってほしいと思っているんだ」
「前は違ったのか」
ヴァイスの声が、どこか呆れたような調子に聞こえたのは気のせいではないだろう。ヴァレリーは苦い表情で眼差しを落とす。
「別に傷つけたかったわけではない。だけど、いまになって思い返せば、おれにとって大事だったのは、自分が満たされていることで、彼女の幸せなんか二の次だった。いや、そんなこと、考えもしなかった。おれの傍に居ればエリシュカも幸せなのだと、おれが満たされているのだから彼女も当然そうなのだと……」
自分の言葉に押し潰されるように、ヴァレリーは俯いたまま黙り込んでしまった。
過去に戻り、過ちを正せるものならば、とこれまで何度も何度も考えた。
行き過ぎた自分の振る舞いを悔いたことはこれまでにもあったけれど、いまこうしてエリシュカとともにいることで――あのころと変わらないやさしさや、見たことのなかった逞しさに触れることで――その思いはますます募ってきている。
もし、もう一度会えたならば、許しを乞うのだと、心を伝えるのだと、そう強く誓ったはずなのに、再会してこの方、ヴァレリーはろくにエリシュカと話もできていない。ともにいる時間は長いはずなのに、つい日常の些事に逃げてしまい、肝心のことはひとつも伝えられないでいるのだ。
肋骨を負傷して倒れていたところをエリシュカに救われたあと、尾根道を歩んでいたときに一度だけ心を明かした。エリシュカの心も聴くことができた。だが、あれは先へ進むための言葉ではなかった。そのことをヴァレリーはよく心得ている。
赦しを乞うたわけではない。赦されたわけでもない。
「誰かを想う心とは、本来、とても傲慢なのだと私は思う」
ずいぶん長いこと俯いてしまっていたヴァレリーの上に、低く静かなヴァイスの声が降りてきた。
「人はひとりで生まれ、ひとりで生き、ひとりで死ぬものだ。それが本来だ。けれど、人は人から生まれ、人の中で生きていく。人を望もうと、人を拒もうと、けれど決して人からは離れられずに、最後まで足掻き続ける」
特別な誰かを求めることは悪ではない、とヴァイスは云った。
「けれど傲慢なことだ。本来ひとりで生きるものを己のために捻じ曲げてくれと、そう願うことなのだから。曲げてはならぬ他を、自分に添うように変えさせることなのだから」
「曲げてはならぬ、他……」
「かつての私がそうだった」
ヴァレリーは弾かれたような素早さで顔を上げ、ヴァイスを見つめた。ヴァイスは目の前の黒い墓標を眺めながら、ぼんやりとした口調で続けた。
「望んではならぬものを望んだ。触れてはならぬものに触れた。それが彼女を、彼女の
冷たい黒い御影石の下に眠る女を、ヴァイスはいまも愛しているのだろう、とヴァレリーは思った。彼が険しく深い山の奥にたったひとりで暮らすのもまた、その女ゆえのことなのか。もうこの世にはいない、もう会うことはできない、もう触れることはできないとわかっていても、ここを離れることができないのか。
「彼女も私を求めてくれていると知って、私は心を痛めた。その想いが彼女自身を変えてしまうものだと、深く損なわせるものだと、わかっていたからだ」
想いが通いあう喜びよりも、彼女を傷つける苦しみに怯える私に、彼女はこう云ったんだ、とヴァイスはそこでようやくヴァレリーを見た。
「わたしだけが変わるんじゃないわ、わたしもきみを変えてしまうのよ。それでもわたしはきみを望む、と」
そう云って彼女はおれを抱きしめてくれた、とヴァイスは微笑む。いまはそこにはいない女に向けられた微笑みは、真冬の山に春を呼んでもおかしくないほどあたたかく、美しく、やわらかだった。
「私とともにあることを選んだせいで、彼女は多くを失った。もともと持つものの少ない女だったが、ほとんどなにもかもを失くしてしまった。少ない友も、恩のある師匠も、少しばかり思い入れのあった土地も、あたりまえに健やかだった身体も、つまり、私以外のほとんどなにもかもをだ。それでも彼女は幸せだと云ってくれた。なにかを失う痛みすら、私とともにある証なのだからと喜んで受け入れていたように見えた」
「そんな……」
「彼女の言葉を嘘だとは思わなかった。そんなふうに思って、彼女の愛情を疑うような真似をしたくなかった。私は彼女を愛していたし、彼女も私を愛していた」
それが揺るぎのない真実だ、とヴァイスは云った。
「それに、私もさまざまなものを失くしたよ。使命も、力も、帰る場所も、存在意義さえ失った。すべてを失った私がぼろぼろになって彼女に愛を乞うたとき、それでもまだ彼女には私の手を拒む余地があった。彼女が拒みさえすれば、私はすべてを取り戻し、彼女もまた数少ない大事なものたちをなにひとつ失わずにすんだ」
けれど彼女はそうはしなかった、とヴァイスは墓標の前に跪いて、黒い御影石の表面にそっと触れた。まるで愛撫を施すようなその仕草を見ていることはできず、ヴァレリーは白く曇った空を見上げた。
傷ついたのは、変わったのはエリシュカだけか、とヴァイスは問いかけた。
「おまえはどうだ、ヴァレリー。エリシュカといて、おまえはなにも変わらなかったのか。傷つくことも、苦しむことも、苛立つこともなかったのか」
彼女と私が互いになにもかもを失ったように、おまえたちも互いに傷ついていたのではないか、とヴァイスは続ける。
「……互いに」
「そう、互いにだ」
いや、とヴァレリーはヴァイスを見ないまま首を横に振った。
「エリシュカはおれを傷つけたりはしなかった。ただ、おれだけが一方的に彼女を……」
違うだろう、とヴァイスは鉈を振り下ろすようにヴァレリーの感傷を断ち切った。
「違うだろう、ヴァレリー」
ヴァレリーは幾度も瞬きを繰り返した。緑輝石の双眸の真ん中で、黄金色の虹彩が不思議な光を放つ。言葉とは裏腹なやさしさで見つめ返してくるヴァイスの瞳に飲み込まれるように、気づけばヴァレリーは小さく頷いていた。
「エリシュカがおまえに傷つけられて変わったように、おまえもまた変わったはずだ。それは彼女がおまえに与えた痛みのせいだ。だからこそ、いま、おまえは自身の振る舞いの非道に気づき、浅ましさを悔やみ、冷酷を恥じることができるのだ。もう二度と繰り返すまいと、己を戒めることもできる。闇を知るからこそ光を眩く感じることができるように、己の醜さを知っている者ほど誰かに対し、やさしくあることができるのだと思う」
赦してやれ、とヴァイスは云った。
「彼女を求める自分を赦してやれ。求め、縋り、貪るばかりの傲慢と、与え、庇い、慈しむ献身はひとりの中に容易く共存する」
「赦す……」
ヴァレリーの目蓋の縁が熱っぽく腫れあがった。小さく震えた睫毛は、しかし伏せられることなく、見開かれたままだ。
「己の中に潜む闇を決して忘れることなく、それでも誰かを求める自分を赦してやれ。自分の弱さと醜さとを知る者だけが、強く美しく生きることができる。過ちを犯し、その罪と向きあった者は、同じ罪を繰り返すことなく生きていける。あとは、おまえの後悔が偽物でないことを……」
「偽物などではない!」
偽物ではない、とヴァレリーは激した口調を諌めるようにもう一度呟いた。
エリシュカに会うまでのヴァレリーは、もしももう一度彼女に会うことができたなら、なんとしても自分の想いを伝えるつもりでいた。わかってもらえるまで何度でも想いを告げて、繰り返し愛を囁いて。
だけど、いざ顔を合わせてみれば、そんなことはできなかった。
拒まれたり、嫌悪されたりすることが怖かったのではない。
ただ、触れられない、と思ったのだ。エリシュカには触れられない。
では、触れなければいい、とはヴァレリーには思えなかった。
ヴァレリーは聖人君子などではない自分をよく知っている。
想うだけならばいい。けれど想いが募れば、それはいつか必ず慾望に変わる。触れたい、触れてもらいたいと、必ずそう願うようになる。思うようにならぬエリシュカに無理を強い、彼女の意志を無視して、己の慾望のためだけに――。
好きなのに、愛しているのに、エリシュカをまた苦しめるのだろうか。
後悔しているのに、もう二度と繰り返したくないと思っているのに、また傷つけるのだろうか。
そうか、とヴァレリーは気づいた。おれがしようとしていたこと――自身の想いを伝えて、それを受け止めてもらうこと――は、おれを恐怖する彼女にとってはただの暴力なのだ、と。
おれが、エリシュカに触れられない、と思うのは、彼女を傷つけたくないと思うならば、あたりまえのことなのだ。
なぜなのだろう、とヴァレリーは思う。
愛の行為と唾棄すべき暴力とは、なぜ同じ形をしているのだろう。
傷つけるとわかっていて、なぜ求めてしまうのだろう。
「偽物ではないのなら、おまえはもう大丈夫だ。同じことを繰り返しはしない」
愛を乞え、とヴァイスは云った。
「許してほしいと、愛してほしいと、心の底から願え、ヴァレリー。自分を正しく知る者だけが、そう願うことができる」
「自分を知る……」
そうだ、とヴァイスは頷いた。
「おまえが失敗したのは、自分を知らなかったからだ。あるいは、自分を偽ったからだ。そのことにはもう気づいているんだろう」
ああ、とヴァレリーは頷く。
「自分の望みから目を逸らすことは、自分自身から逃げることだ。自分の願いを偽ることは、自分自身を貶めることだ。この世界でおまえだけが、おまえを理解できるというのに、それを投げ出してはいけない。おまえ自身が見捨てるようなおまえに、ほかの誰が寄り添ってくれるというのだ」
「でも、おれは、エリシュカを抱きたいと……」
「それは当然のことだ。愛しく思うのならばな。だけど、おまえはもう彼女を傷つけたりはしない。そうしないでいられる方法を、もうちゃんと知っているはずだからだ」
「……そうだろうか」
さっき云っただろう、とヴァイスはどこか悪戯っぽく笑ってみせる。――赦しを乞え、愛を願え、と云っただろう。
「心のままに求め、乞い、願えばいい。隠さず、偽らず、ただ伝えればいい」
おまえはもうそうしても大丈夫だろう、とヴァイスは云った。
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