第94話 修学旅行 温泉
夕食は北海道原産の食材を使った、魚介メインの懐石料理だった。
昼に食べたちゃんちゃん焼きに比べて量より質といった感じで、冷食をよく食べる俺には物足りなさはあったものの、味自体はとても満足のいくものだった。
食事が終わり、剛田先生のありがたい御言葉を頂戴してる間、入口に近かった俺は襖の向こう側の声が聞こえてきた。
「何やってるの! 札を変え忘れたらお客様がどうなるかわかってるでしょ?」
「す、すみません!」
「すみませんじゃないの! 最近のあなたはミスが多いわよ。次からは気を付けなさいよね!」
「……は、はい!」
どうやら先輩がミスをする後輩を怒ってるシーンだったようだ。大人の世界って、厳しそうだな……就職したら俺もあんな風に怒られるのだろうか? だとしたら少しだけ憂鬱だ。
『あ~特に男子! しつこいようだが忘れるなよ? 消灯過ぎて女子の部屋に行ったりしたら……きつーい罰が待ってるからな!!』
こんなこと言っても結局先生と生徒のかくれんぼは開催される、これはほぼ伝統行事と言っていいからな……。俺は参加するつもりはないが、これは避けられんだろう。
しかし、風呂について言及しないと言うことは、絶対に覗いたり出来ないシステムにしてるということか。
先生がマイクで話しをしてる最中、隣に座る田中が小突いてきた。
「おい黒谷、風呂は時間差で男子は21時までだってよ。その間なら好きにして良いらしいけど、お前どうする?」
「じゃあ俺はギリギリに入ることにするわ。田中と加藤は先に入ってこいよ」
「なんだよ、黒谷~。お前、自信無いのか? 大丈夫だって、小さくても気にしないって女子多いらしいし」
「ち、ちげえって! そう言う品評会が嫌だから1人で入りたいの!」
実のところ、我が愚息はそこそこの大きさらしく、中学の修学旅行ではそれを理由に卒業まで度々弄られた経験がある。
それ以来、同性であろうとも裸を見せるのに少しばかり抵抗感を感じるようになった。
とは言っても、入ってる間に交代されても困るので余裕を持って20時に入りに来た。あの後輩さんが、俺の入ってる時にやらかしたら困るからね。
終わってすぐは男共が殺到したらしいが、この時間なら誰もいなかった。いや、カゴを見る限り1人だけいるな。見えにくいところに置いてあるから気付かなかった。
1人だけならいいか、そう思って露天風呂に突入した。
両サイドに鏡と座椅子があるから先に身体を洗うことにする。先に来ていた先客は右側で身体を洗っているから俺は左側に行った。
湯気で見えにくいけど、なんか華奢な背中だよな。肌も白いし、男なのに流線形だし。
おっといかんいかん、男の背中に見とれるとかアホすぎるだろ。さっさと洗って入らねえと。
持参したガザガザのボディタオルにソープを付けてゴシゴシと擦っていく。
──バシャッ!
身体を流したら次はシャンプーを泡立てて頭を掻いていく。
──バシャッ!
よし、後は風呂に浸かるだけだな。
タオルを浸らせたらマナー違反らしいので綺麗に畳んで端に置いておく。そして爪先から少しずつ温泉に入っていく。
熱さに一瞬びっくりしたけど、胸まで浸かったらなんか段々気持ちよくなってきた。
近くで水音がした、きっとあの先客だろう。俺より先に来てたくせに随分と洗うのが遅いな。
先に来ていた男子が徐々に近付いてきた。
あー、向こうから近付いてくるか。気まずいけど、取り敢えず話し掛けるか。
「あ、どうも。君も大勢で入るの苦手な感じかな?」
さっき背中を見た感じ、線の細い感じだったし、友人に話すような話し方は止めて少し優等生っぽく話し掛けた。
すると、相手は背筋をビクッとさせて声を発した。
「え、え!? なんで……黒斗が?」
声の主が女性、しかも直近でよく聞いた綺麗な声……相手は城ヶ崎恵さんだった。
「もしかして、恵さん? なんでって、こっちの台詞なんだけど?」
質問に質問を返してるうちに、少し風が吹いて湯気が吹き飛ばされた。互いの身体が見えてしまい、恵さんは「きゃっ!」と叫んで大事な部分を両手で隠した。
上半身だけは一瞬だけ全部見えてしまい、俺の心臓は恵さんの見事なωに対し、強く高鳴ってしまった。
「あ、あたしが来た時は女の札が掛かってたから、もういいのかな~って先に入ることにしたのよ」
「え、マジで!? あ~、札は見てなかったな。余裕もってきたから、男子のままだと思って……」
「もしかして、従業員さんが間違えたとか?」
「あ、そう言えば……さっき先生の話の時にさ、ミスした後輩らしき人がめっちゃ怒られてたな」
「あたしも聞こえたよ、それ。とにかく、早く札を変えないと!」
「いや、俺はもう出るよ。そうすれば恵さんが入り直さなくて済みそうだろ?」
そう言って出ようとすると、恵さんが俺を引き止めた。
「ま、待って! それは黒斗も同じじゃない。札を、さ。──清掃中にしたら良いんじゃないかしら?」
「えっ! でもそれって……」
言わんとしてることを理解して、俺の顔は一気に赤くなる。
「い、良いから! 私達って友達、じゃない……。折角の旅行なんだから堪能しないと」
「そう……だよな」
思考が麻痺していたと思う。でも、この異常な空間で、もう少しだけ恵さんと居たいって思ってしまったんだ。
脱衣所に誰もいないことを確認して、外にかけてある札を"清掃中"に変えて温泉に戻った。
背中合わせで風呂に浸かり、長い沈黙がその場を支配した。
静寂は思考を加速させてしまう。結果として、俺は恵さんの噂を脳で反芻してしまった。
"胸もでけし、太ももと尻も良い感じの肉付きだし"
意識しないようにすればするほど脳内でリフレインしてしまう。
先に口を開いたのは恵さんだった。
「ねえ、黒斗──手、後ろに伸ばして」
言われた通り手を後ろに伸ばすと、指と指を交差するようにして握られた。しかも、背中と背中がピッタリ張り付いていた。
「星が綺麗だね」
恵さんに言われて空を見上げると、そこには満点の星空が広がっていた。
「あ、本当だ。前ばかり見てて気付かなかった」
心臓の高鳴りも少しだけ抑制されたような気がした。壮大な大自然を前にして、俺達はすっかり魅了されていた。
「あたしってさ、臆病だからこの3年間物凄くゆっくりしていたの。でも、最後の1年だけは劇的に前に進んだなって思ったわ」
「そうだな、最後の1年は比べ物にならないくらい密だったよな。特に俺とか縁結びに振り回されたし」
「それはあたしもだって! あんた達の縁結びがないと相談を受けることもなかったし、買い物行くこともなかった」
「あ~、不思議体験も縁結びがないと経験できなかったよな」
「ふふ、そうそう──」
俺と恵さんは1年を振り返った。あの時どうだっただの、あの時こうだっただの、割りと会話が盛り上がっていたと思う。
そして21時まで残り10分というところで、俺が先に出て札を女に切り替えた。
ハプニングはあったけど、楽しい体験を共有できて良かった。旅行ってどこに行くかではなく、誰と行くかが重要なのかもしれない。
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