第75話 文化祭 1

 うちの高校は技術と家庭科が選択科目となってる。と言っても、女子が家庭科で男子が技術を選ぶ風潮にあるから、ほぼ選択とは言えない。


 選択科目の担当教師に、文化祭の出し物に使うテーブルや椅子などを作ることを提案したら受け入れられてしまった。


 慣れない工作で体はもうギドギド、なんとか前日までに仕上げることが出来たけど、俺の体は錆びまくった機械のように軋んでいた。


 ──コンコンコン。


 家に帰り、痛む体を休めているとドアがノックされたので「どうぞ」と夏凛を招き入れる。


 ピンク色のパジャマを着た夏凛が入ってきて、俺の隣に座った。


「明日文化祭ですよね。午後から暇になるので回りませんか?」


「お、丁度良かった。午後からは俺も暇なんだ。一緒に回ろうぜ」


「やった! じゃあ、それでですね──」


 夏凛は胸元からスマホを取り出して、俺の手に持たせた。え、そこって小物入れなの!? そんなツッコミを心の中で入れつつ画面を確認する。


 生暖かなスマホには夏凛が作った予定アプリが立ち上がっていて、どこに寄るかわかりやすくなっていた。


 横から俺に持たせたスマホを指でスクロールして説明してくれるが、距離の近い夏凛にドギマギさせられて頭に入らない。


「……良い匂いがする」


「え?」


 自然と口から出た言葉に夏凛が目を丸くしてこちらを向いた。夏凛は綺麗な黒髪を耳にかけたあと、パジャマの中とかを嗅いでいる。


「シャンプーもリンスも変えてないですよ?」


 そしてキョトンとした顔を向けてきた。


 実の妹に対して良い匂いだ、なんて……どんだけシスコンなんだよ! 夏凛は優しいから、普通の妹だったらすでに縁切られててもおかしくないことも許してくれる。


 うん、自重していかないとな!


 胸に刻んだ黒斗は夏凛に答えた。


「ごめん、屋台の話ししてたから思わず匂ってきたんだよ」


「屋台? 輪投げの話しをしてたと思うんですが……ふふ、変な兄さんですね」


 なんとか誤魔化すことに成功し、文化祭当日を迎えた。


 ☆☆☆


 ──チンッ!


「チーズケーキ2個、出来上がりました」


 午前中はキッチンのブースでひたすら解凍作業をしていた。平々凡々な俺がタキシード着てホールに出てもがっかりされるだろうし、適材適所ってやつだな。


「黒谷君、遊びに来たよー」


 一見、子供のような声に聞こえるが、この声は夏凛の担任である白里先生だ。


 仕切りから顔を出すとレディーススーツに身を包んだ銀髪美少女──ではなく、美女が駆け寄ってきた。


「黒谷君達は休憩所かな~って思ったんだけど、メイド喫茶かぁ~。うん、良いね!」


「食べ物は全部レンジで解凍、ですけどね」


「本格的なのは提案しても却下されたと思うよ?」


「でも、手抜き感が強すぎませんかね?」


「うーん、校庭なら火を使っても良いけど……校舎だと無理だよ。きっと、剛田先生だって却下するはずだよ、多分」


 剛田先生……白里先生から"多分"って言われてるよ。やっぱり先生達の間でも信頼が無いみたいだな。


「白里先生、キッチンの人に直接話し掛けるのは無しですよ。ホールの意味がないじゃないですか」


「あ、城ヶ崎さん。ごめんね、じゃあ席に案内してくれる?」


 恵さんが白里先生を席に案内する。入れ替わりで他の女子がキッチンに来て、俺の解凍したチーズケーキを2つ手に持った。


「あっ、黒谷君……だよね?」


「黒谷だけど、別の誰かに見えちゃったりするの?」


「ううん、なんか腕捲りにエプロン姿の黒谷君って別人みたいで驚いただけだよ。気にしないで、じゃあこれ持っていくね!」


 女子はチーズケーキを持ってホールの方へ向かった。


 うーむ、普段とは違う男子の姿に思わずキュン──なんてことは無いか。はは、バカらし……。


 思案しているうちに恵さんが来てオーダーの紙を渡してきた。


「黒谷、あと10分で休憩らしいよ?」


 時計を見ると9時50分になっていた。開始からそんなに経ってないのに、早いな。


「なんかね、グループに入ってない人に意見を聞かずに強引に決めてたじゃん? それのお詫びなんだって」


「思いっきり楽しめってこと?」


「そうそう、片付けもあたし達はしなくていいんだってさ」


「え、でも恵さん、グループに入ってるよね?」


「まぁ……そこはみんな察してくれたというか……」


 恵さんは何故かそっぽを向いて顔を赤くしていた。12時までみっちり働かされると思っていただけに、ここまで時間が空くのは想定外だったな。


「それで、さ。10時になったら一緒に回らない?」


「午前中までなら空いてるからさ、それで良いなら喜んで」


「じゃあ、約束ね!」


 そう言って、楽しそうに恵さんはホールに戻っていった。ラストスパートに向けて気合いを入れてオーダーを手に取る。


「イチゴのショートケーキ1つ、紅茶1杯っと──」


 振り返ると、黒いスーツに身を包んだ雪奈さんが立っていた。腕には俺が助けた黒い猫を抱いている。唐突な出現に驚いてしまった。


「うわぁっ!! って、雪奈さんか……」


「黒谷君、体育祭以来ね。久し振り」


「はあ、久し振りです。あの、ここキッチンなんで注文ならホールの方に──」


 雪奈さんは俺の声を遮るようにして言った。


「実は、試して欲しいものがあってね。これなんだけど──」


 雪奈さんの手にある物を見て、反射的に距離を取った。それはいつか見たあの赤い紐だった。


「お断りします。今でいっぱいいっぱいなんで!」


「大丈夫よ。これはあれを1000万倍薄めた物だから、効果はすぐに切れるわ」


 雪奈さんは俺の近くにそれを置いて踵を返した。


「ちょっと、使わないですって!」


「今近寄ったら私とリンクしちゃうわよ? 今日は拓真も来てるし、浮気はしたくないわ」


 なんて強引な人だ、この人! かといって迂闊に触れないし、マジで困るぞ。


「感想は私の妹──白里先生に伝えておいて」


「……使う相手がいませんって。それにこれから予定があるんで、面倒事は勘弁してください」


「さっき話してた子に使えば良いじゃない。あなたの事、気に入ってるみたいだし、丁度良いわ」


 恵さんのことか? これのことはある程度知ってるけど、流石に軽蔑されるぞ。


 俺が難色を示していると、雪奈さんが紐を取って歩き始めた。


「じゃあ、これをあの子に渡して適当な男子とリンクさせようかしら」


 それはマズイ! なんつーか、想像するだけで嫌な気分になる。くそ、悔しいけどこの人、人を操る才能がある。


「……待ってください。わかりました、使わせてもらいます。だけど本当にこれっきりですからね」


「ふふ、まぁいいわ」雪奈さんはそう言って立ち去っていった。あの赤い紐を残して──。


 使うにしろ、使わないにしろ、恵さんに事情を話してからだな。いざとなったら使ったフリだけすればいいし。


 こうして俺は、一抹の不安を抱えながら恵さんを待った。

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