第60話 ハードモード

 俺はバカだ。心底バカだと自覚した。


 俺に課せられた下着返却ミッション、それを更に難しくしてしまったのだ。


 夏凛に風呂を勧めるとか、洗濯かごの周りをウロウロするに決まってんだろ!


 ちなみにだが、風呂に入った時は洗面所の鍵を閉めることになっている。

 イベントを少しでも減らすために作られたルールが、俺の首を絞めることになるとは……。


「私、お風呂に入ろうと思うのですが……トイレは大丈夫ですか?」


「あ、ああ……大丈夫だ」


「では」そう言って夏凛はドアを閉じて、カチャリと施錠される音が聞こえた。


 とりあえずピザを頼んだ。エビマヨだ、夏凛の好物でもある。そして俺は洗面所のドアに張り付いて様子を窺う。


「さて、急なトイレを装って無理に開けてもらうか。それとも、俺が風呂に入るタイミングで洗濯かごに返却するか……作戦としては後者が圧倒的に無難だよな?」


 ドアから聴こえてくる夏凛の綺麗な鼻歌に心穏やかになる。それとは対称的に、妹の風呂の音を聴きながら色々と作戦を考える兄の姿はなんと滑稽なことだろうか。


 ──ガラガラ。


「──ッ!?」


 風呂のドアが開く音が聞こえて慌てて飛び退く。が、足がもつれて後ろにスッ転んでしまった。


「兄さーーん! 兄さーーーーん!!」


 ガチャ、少しだけドアが開いて夏凛の顔が出てくる。


「あら、そこにいたんですね。2階にいたらどうしようかと思いました……って、そんなところで座り込んで、どうしたんですか?」


「お、おう。ちょっと転んじまったんだ、はははは……」


 夏凛は頭に?マークを浮かべて小首を傾げてる。


「ふふ、またですか? 今年から本当に転ぶことが多くなりましたよね、お互いに」


 明るく笑う夏凛に見とれていると、あることに気が付いた。夏凛はバスタオルを身体に巻いて、上半身だけ出して会話をしているのだ。


 見えないとはいえ、限り無く"爆"に近い"巨"の胸を布1枚で覆ってるその姿はとても目のやり場に困る光景だった。


 とにかく早く戻ってもらわないと、俺の心臓がもたない。なんの用事か聞くことにした。


「それはそうとッ! ……何かあったのか?」


「あ、そうでした。リンスの替えをリビングに置きっぱなしでしたので、持ってきてもらえませんか?」


「わかった、少し待ってて」


 リビングにあるリンスを取りに行って戻ってくる。いつもより息切れしちまった……。理由はわかっている。ホンの少しの動作でフルフルと揺れるアレと首に張り付いた黒い髪、それらが兄という立場を揺るがしかねないほどに魅惑的だったんだ。


 息が切れるのも無理はない。


 ──コンコンコン。ガチャ。


「はい」


 ノックをすると夏凛が先ほどと同じように顔を出す。と、とにかくすぐに戻ってもらわないと!


 突き出すようにリンスの容器を渡した。


 ──むにゅう。


「あんっ!」


「わ、悪いっ!!」


 夏凛の方をなるべく見ないようにしていたのが裏目に出て、1番警戒していたソレに突っ込んでしまった。


「もう、兄さんったら……取れちゃったらどうするんですか?」


 夏凛はタオルをキュッと絞め直してむくれている。


「いや、その状態でもかなり目の毒になるって!」


「ええ~この間、温泉に入ったじゃないですか」


「その時は水着を着てたろ。夏凛はその……無防備だから気を付けてくれよな……」


 夏凛はキョトンとした顔になったあと、プッと吹き出して笑った。


「あはははは……もぅ、私達は"兄妹"なんですよ? 意識し過ぎですよ。せっかく家族として歩み始めたんですから、慣れてくださいね?」


 そう言って、夏凛は小さく手を振ったあとドアを閉じた。


 ふーむ、やはり俺が意識し過ぎなのか? 夏凛の言うとおり、今度からは少しだけ慣れるように努力してみるか。


 そう考えてリビングに戻ろうとしたら、ドアの向こうから「はぅ~~~~」という声が聞こえてきた。


 さっき言った通り、気にしちゃいけない。俺はその場を後にした。


 ☆☆☆


「兄さーん、次どうぞ!」


「了解。多分、俺が入ってる時に配達来ると思うから出といてくれ」


「はーい」


 入れ替わりに洗面所に入った俺は今がチャンスだと思い、ピンクのブラとパンツを取り出して洗濯かごに突っ込もうとした。


 いっけぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!


 ──ガチャ。


「兄さん、お金はどこ……に……」


 世界が凍った。いや、走馬灯と似たような現象というべきか。今日1日の俺のミスが映像として脳裏を過った。


 妹の下着を二刀流で手に持つ兄、それを見る妹……おおう、地獄絵だ。


「えーっと、見つからないなぁと思ってたら、その……兄さんが見つけてくれたんですねぇ。ありがとうございます、あとは私が何とかしますのでそれを渡してください」


 苦笑いの夏凛、彼女は無かったことにしようと思ってるらしい。頬を叩かれて出ていく、なんてことが起きなかっただけましかもしれない。


 結局、俺は無言の提案を受け入れることにした。


「ははは……そうなんだよ。たまたま落ちてるのを見かけてさ、夏凛がいない間に戻そうと思ったんだけど、あははは、参ったな……」


 一体どこに落ちてたんだよ! 自分にそうツッコミを入れつつ夏凛に下着を手渡しした。


「……いえ、気にしないで下さい」


 夏凛もどんな顔をすれば良いのかわからないみたいで、愛想笑いのまま洗面所から出ていった。

 少しだけ距離が遠くなったような気がして、心が酷く落ち込んだ。


 その日に食べたLサイズのエビマヨの味なんか、全くわからないほどだった……。

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