第3話ティファニーでジュエリーを
塔子がデートの約束を快諾した男は、稲葉明宏といった。アルファロメオで、塔子の家に乗り付けた彼は、100本もの深紅の薔薇の花束を抱えていたという。その時点で塔子は稲葉を見捨て、食事だけを楽しむことにした。
「今からデートだっていうのに、薔薇の花束貰ってもねぇ」
塔子は餡蜜を食べながら顔をしかめて言った。
「でも真っ赤な薔薇なんてロマンチックだし、お金だってかかってるでしょ」
そう尋ねると塔子は、さもバカにしたように言った。
「2次元恋愛ばっかりのひーちゃんには分かんないだろうけど、3次元の花束は重いのよ。物理的にも心理的にも」
塔子に言わせれば、花束と本ほど迷惑な贈り物はないらしい。花束はやがて枯れてゴミになるし、本は、読みたくもないもんを読まされた挙げ句、さも感動したかのように感想を言わねばならないのだと塔子は言う。
「君に似合うのは、やっぱり薔薇だと思ってね。そうやって薔薇を抱えている君は、マリーアントワネットみたいだ」
「きっと、女心を掴もうと思って読んだ本がベルバラなんだと思うわ」
心底辟易している様子の塔子に、あたしはムッとして反論した。
「ベルバラは、少女漫画の金字塔よ!アンドレほど格好いい男なんて3次元にはいないんだから!バカにしないでほしいわ!」
珍しく怒り出したあたしに、塔子はしまったと言う顔をした。腐女子で漫画狂、アニメ狂のあたしの地雷を踏んだことに、ようやく気付いたようだった。
「ごめんごめん。ベルバラをバカにするつもりなんて無かったのよ。ただ、あのバカ男の感性の異様さを伝えたかっただけなの。だってほら、マリーアントワネットってギロチンで首切られちゃう人じゃない?。フツーそんなこと好きな女に言う?」
確かに、肖像画を見る限りマリーアントワネットは美人だ。だけど美しさを例えるには、少々、不吉だ。自分に酔いしれて、口説くポイントをはずしまくっている。そう思うと、塔子が白けてしまったのも仕方ない。
「で、どうだったの?デートの方は?」
「さすが、ミシュラン3つ星よ、とても美味しかったわ。ジビエのお店らしいけど、鹿肉のお料理が特に素敵だったわ。ワインもいただいたの。私の生まれ年のを特別に予約していてくれたみたい」
塔子はうっとりとした顔で、一人7,5000円というディナーについて語った後こう言った。
「あのバカな男さえいなければ、もっと楽しめたんだけど。あ~あ、あっくんにも食べさせてあげたかったな~」
塔子の矛盾だらけのセリフにあきれつつ、あたしは稲葉明宏と言う男に心底同情した。お財布だ、塔子にとって彼は、純粋にお財布でしかないのだ。
そんなわけで塔子は彼の経済力にはかなり惹かれているらしく。とんでもないことを言い出した。
「それで、彼とはもう一回だけデートしてあげることになってるの」
「はい?」
塔子は舌をペロリと見せると恐ろしい事を口に出した。
「彼ね、今度のデートで、ティファニーのジュエリーを買ってくれるんですって。あぁ、オープンハートなんかじゃないわよ。ちゃんとした宝石のブローチ。まぁ、私も家庭画報でしか見たことないんだけど。そーゆーのよ」
そーゆーのなら、あたしも家庭画報でみたことがある。蝶々だの蜥蜴だのモチーフに、エメラルドやらルビーやらダイヤモンドやらがびっしり嵌めこまれているやつだ。あたしは息をのんで塔子を見つめていった。
「塔子、そんなのもらったら、そのバカ男と結婚しなきゃならなくなるわよ」
すると塔子はにっこり微笑んで、ダ・イ・ジョ・ウ・ブといった。
「あたしはバカ男とは結婚しないけどジュエリーは貰うつもりよ。むこうが返せっていえば返すけど、あっちが勝手にくれるっていうから貰ってあげるわけでしょう。ひーちゃんにだから話すけど、あたしお食事のあと、お付き合いは丁重にお断りしてるの」
「何て言って断ったのよ!いきなりご立派過ぎてって言ったんじゃないでしょうね」
「ウーン残念、近いけど、あたしワインを頂いたとき泣いちゃったの。こんなに素敵な夜はもう二度と来ないって。そしたらバカ男が、どうして?僕と付き合えばいつでも来れるよって言うのよ。それであたしは言ってやったの。あたしは、あなたとは釣り合わないって。そしたら彼がすごい勢いで、そんなことないとか言い出しちゃって。ここから先長くなるからちょっとお水飲ませて」
その話は本当に長かった。それで、あたしと塔子は、店員の目もあって、3杯の餡蜜のおかわりをしなければならなかった。普段少食を売にしている塔子だが、あたしと二人だけだと、油断をするのか大食いをさらけ出す。
塔子いわくお見合いは情報戦であり、釣書の裏に隠された真実を見抜く必要があるらしい。今回のと言うか、塔子史上初のお見合い相手である稲葉明宏は経歴詐称の疑いがあるのだそうだ。
「あたしは、学歴で人を判断するわけじゃないけど」
と塔子は話を続けた、あたしは、おもいっきり判断してるじゃん、と言ってやりたかったのだが、話が逸れないように我慢した。塔子とつきあっていると「聞く力」が鍛えられる。この力は将来、あたしの財産になるだろう。人生は常に勉強だ。ただの野次馬根性もいつかは高尚なジャーナリズムへと昇華する。あたしは塔子の紡ぎ出す、恐るべき物語に真剣に耳を傾けた。
「彼ね、幼稚舎からK大付属なんだけど、釣書にはK大学をへて、ユニーバーサル大学へ留学、東京校を卒業ってあるの。これはK大を卒業できなかったってことよ。留学って言葉でお茶を濁してるから、こいつ怪しいって思っちゃって。」
うーん、それは確かに怪しい。
「それに年齢も、あたしよりひとまわり上なのに独身でね。何でって思っちゃったのね。結婚には凄く積極的なのに、社会的地位もあるのにって思うと、怖くなって興信所使っちゃったの」
いきなり興信所ってのも怖いよ塔子。
「そしたらビンゴ!彼ね、10年前に自分の叔父様の会社の受付嬢を妊娠させちゃって、社会的地位が違うとかって理由で、結婚してあげなかったのよ、その人と。赤ちゃんはその人、彩月さんって言うんだけど、いくらつまれてもおろさなかったんですって。それで彩月さんは自分の貯金で小料理屋を開いて子供育てながら頑張っるのよ。悲しい話でしょ」
塔子はホロリと左の目からだけ涙を流した。
「それで、あんた、その美しいエピソードをどうしたのよ?」
もう、あたしには怖いことしか予感できなかった。
「彼に言ったのよ。あたしは彩月さんを差し置いて幸せになんかなれませんって、大悟くんから、あ、これ彼の隠し子の名前ね。パパを奪うなんて残酷なこと、できないって」
「泣きながら?」
「えぇ、泣きながら…。だって笑いながらできる話じゃないじゃない」
そりゃそうだけどさ、笑えない話だけどさ。自分の父親の社長の甥のスキャンダルを掴むって、かなり捨て身な作戦だと思う。塔子は自分の父親が抹殺されるとは思わなかったのだろうか。あたしの顔から血の気が引いた。すると塔子はにっこり微笑んで言った。
「ひーちゃん、あたしとパパのこと心配してくれてるの?優しいわねぇ。全然平気なのよ、パパと社長はもう談合とか収賄とかでかなり危ない橋を一緒に渡ってきてるのよ。どっちが不審死を遂げたらどっちかが疑われるくらい一蓮托生なの、だからへーき」
「でも、その社長あんたに、訳アリ男を押し付けてきたのよね?」
「こっちが、上手だったってことかしらねぇ。それでも彼としては隠し子の事はできるだけ秘密にしたかったみたいで、すごい形相で、ティファニーに誘ってくれたの」
塔子、それを、法律では恐喝と言うのだよ?とあたしは思った。お見合いって、お見合いって、もうちょっとほのぼのとしたものじゃないの?
塔子はその翌日、銀座のティファニーで彼と待ち合わせ、3時間かけてブローチを選んだのだという。その値段を聞くと、ミニマリストなら1年間は生活できるほどのものだった。
さすが、サイコパス。塔子は遠慮というものを知らないらしい。いや、情け容赦というものを知らないと言ったほうがいいか。美しい婚約者様ですね、という店員に塔子は、いいえ、わたしたちお友だちなんですと答えたという。
こうして塔子の初のお見合いは2時間ドラマばりの迫力を醸し出して終わった。塔子の胸元に美しい蝶々のジュエリーだけを残して。
初めてのお見合いがここまでスリリングで、さらに濡れてに粟のぼろ儲けをもたらさなければ、塔子がお見合いをなめきることも、お見合いに没頭していくこともなかったのかもしれない。
あたしは稲葉明宏という人身御供を憐れみつつも、ますます塔子から目が離せなくなってしまったのだった。
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