最終章 IT IS FUTURE.

166bit 運命を変えられるかもしれない


 白い湯けむりがゆらゆらと空の月へ昇っていく。


 露天風呂に肩まで浸かっていた律は、ぼんやりとその行く末を目で追っていた。


 旅館の手伝いが一段落すると、決まったように温泉へと直行し、一日の疲れをお湯に溶かす。


 それが律のささやかな贅沢だった。


 いつもであればそうしてくつろいでいるのだが、たまにそうもいかないときがある。


 例えば、顔見知りのお客さん二人組が自分を挟んで露天風呂に入ってきた、今だとか。


 「今日もいらっしゃったのですね」


 「だって、みんなかまってくれないんだもん。 私にはりっちゃんしかいない!」


 「はぁ……」


 「ごめんなさいね律さん、ちょっとばかりめんどくさいモードなの」


 闊達かったつな声と悠長な声。


 ときどきこうやって現れる二人のお客さんは、どうやらITセミナーの講師であるらしい。


 「みんなというのは、MANIACの四人のことですよね?」


 「そーそー。 最初こそさ、ほとんど私たちがおぜん立てをしていたのに、だんだん自分たちでどうにかしちゃってさ、今回なんて私たちの手を全く借りずに解決しちゃうんだもの。 さびしいったらありゃしない」


 「まぁまぁ。 それは私たちの計画が順調に進んでいる証でもあるのよ。 私たちにとっては願ったり叶ったりじゃない」


 「そりゃそうだけど……」


 そこで会話は途切れ、温泉の音だけがとろとろと流れた。


 他の従業員であれば、二人の会話についていく事はできていないだろう。


 MANIACの四人が何を解決してきたのか。


 二人の計画とは何を指しているのか。


 私は、理解できてしまっている。


 「りっちゃん、あと一週間だよ」


 嬉しそうな、哀しそうな調子で低身長のお客さんが言った。


 「もう、残り一週間なんですね」


 思えば長かったような、短かったような気がする。


 早く過ぎて欲しいけれど、二度と過ぎて欲しくないような。


 「ねぁ、りっちゃん。 運命って、変えられると思うかい?」


 「運命、ですか……」


 律はすぐに答えられなかった。


 「ほら、律さん困っているでしょ。 いつもそうやっていきなり難しい質問を投げるんだから」


 スタイルの美しいお客さんが落ちつき払いながらたしなめた。


 「だって、りっちゃんに相談すれば何でも解決するっていう話でしょ?」


 「それはあくまで暗号です。 私は魔術師じゃないんですから」


 「そっか、それもそうだよね。 暗号、あの子は気づいてくれるかな」


 「どうでしょうね」


 律はもう一度夜空を見上げた。


 月の位置は知らず知らずのうちにズレている。


 その軌道は、もうすでに決まっているはずだけれど。


 「よし、早く上がってお酒だお酒ー。 いくぞーシズク―」


 さっぱりとした髪型のお客さんは、水を鳴らしながら屋内浴場に繋がる扉へと歩き出した。


 「これからお酒をたしなむのですか?」


 「ええ、ハジメちゃんいわく、ヤケ酒らしいですよ」


 艶やかな髪のお客さんもまた、ゆったりとした足取りで連れ添いの後ろに続いた。


 やがて、露天風呂にいるのはただひとりだけとなる。


 誰の上にも存在しているであろう大きな空に向かって、律はポツリと小さく呟いた。


 「運命を変えられるかもしれませんね、あなたたちなら」

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