76bit かわいくてふざけててとびっきりかっこいい


 部屋の扉を勢いよく開けた英美里は、左肩に抱えていたカバンをベッドに放り投げた。


 そしてすぐさま机上のノートパソコンを立ち上げる。


 着ていた制服は汗のせいでベッタリと肌にくっついていた。


 パソコンの画面に表示されたボックスに、英美里は素早くパスワードを打ち込もうとする。


 が、思うように指先が動かない。


 みんなに迷惑がかかる前に終わらせないといけないのに。


 やっと思いでログインした英美里は、そのまますぐ動画配信サイトにアクセスした。


 もちろん、『えみり*』としてだ。


 マイページに移動すると、今までに投稿した動画がズラッと一覧で表示された。


 もう、この光景は二度と見られないだろう。


 英美里が編集ボタンを押したことで、画面は編集用に切り替わった。


 一覧化された動画の横にあるボックスに、英美里は次々とチェックをつけていく。


 やがて、過去から現在に至るまですべての動画にチェックを付け終わると、視線は削除ボタンに移った。


 あと数回クリックすれば、すべてが終わる。


 一瞬にしてすべてが消える、そういう世界。


 英美里は削除ボタンを押すため、マウスをゆっくりと動かした。


 動きを止めたマウスがカチリと鳴く。


 画面に警告の文字が現れた。


    『本当に削除してよろしいですか?』


 英美里は指に力を込めた。


 そのとき。


 「にゃー」


 英美里の耳になんとも暢気のんきな声が届いた。


 ネコの鳴き声……きっとカバンの中からだ。


 英美里はベッドの上のカバンをちらりとみる。


 少しだけ。


 少しだけなら。


 確認なんて後からいくらでもできたはずなのに、気づくと身体はノートパソコンの傍を離れていた。


 英美里はカバンのチャックを開け、中からスマホを取り出す。


 やっぱり。


 鳴き声の正体は、ねこチャットの通知音だった。


 「MANIAChatだ……」


 あのとき再び参加していたMANIAChat。


 もしかしたら、約束していたのにひとりで帰っちゃったこと、怒っているのかもしれない。


 英美里は通知を押した。


 糸こんにゃく: 英美里ちゃんは何もしなくて大丈夫。 動画は絶対に消さないで


 いったい……どういうことなの……?


 想定外の言葉に英美里は混乱し、ただ画面を見つめることしかできなかった。


 「にゃー」


 糸こんにゃく: 言ったでしょ、絶対に英美里ちゃんのこと守るって


 かわいい鳴き声とふざけた名前でとびっきりかっこいいセリフ。


 英美里は急に脱力感を覚えた。


 立つことさえもままならず、英美里の身体はだんだんとベッドへ吸い寄せられていく。


 もう、私はひとりじゃないのかな。


 誰かに頼っても、いいのかな。


 ふわりと柔らかい感触に包まれながら、英美里は小さく口を動かした。


 「お願い、助けて」

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