34bit 古匠温泉の看板娘


 古匠温泉はMANIACから歩いて十数分のところにあった。


 大きな通りから少し外れた場所に位置し、木々が周辺に生い茂っている。


 風が吹くと葉と葉の擦れる音がした。


 厳かな佇まいと清閑な雰囲気を纏った旅館は、年季こそ入っているものの、落ち着いた古風なイメージを抱かせた。


 旅館の中へ入ると、ヒノキの芳醇な香りが鼻の奥深くまで広がり、絢爛な内装を見て緊張した身体をそっとほぐしていく。


 こんな温泉が、近くにあったのに今まで行っていなかったなんて。


 糸は過去の自分を少しだけ悔いた。


 「あら、ハジメさんじゃないですか。 ようこそいらいらっしゃいました。 今日はお一人じゃないんですね」


 ハジメに対しある女性が声を掛けてきた。


 旅館だからだろうか、女性は着物姿で髪も美しく後ろでまとめている。


 花柄のかんざしを挿した女性は、まさに『女将』というべきだった。


 しかし、女将というには少し若い気もする。


 「よー、りっちゃん。 今日は私のパーティを連れてきた。 シズクは知っているだろうけど、他の四人は初めてだよね。 ほら、この前話したときの、セミナーの」


 「あぁ、なるほど」


 女性は得心顔になると、ハジメに向けられていた身体を少しずらし、糸ら四人の方を向いた。


 「初めまして。 私は古匠律こしょうりつと申します。 ハジメさんには、有難いことに昔から格別の御贔屓を賜っております。 本日はどうぞごゆっくりお寛ぎください」


 律はおっとりと流れるように話しながら、品のあるお辞儀をした。


 「ハジメさんとは違って、律さんは大人びている……」


 糸はいつの間にか声を漏らしていた。


 「いやいや糸っちの私に対する評価って……。 でも、りっちゃんこう見えて、糸っちたちと同じ高校一年生だよ。 古匠温泉の『看板娘』さ」


 「お、同い年だったんですか?!」


 「りっちゃんとは違って、糸っちは子供じみている……」


 「うぐぅ……」


 ハジメの仕返しに、糸は対抗することができなかった。

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