28bit だって私は


 あとはこの紙をハジメさんに提出して、すべて終わり。


 真衣は、シンプルな一枚の書類を眺めた。


 署名欄にはすでに『目黒 真衣』と書かれている。


 早いとこMANIACとおさらばしよう。


 真衣が、椅子から立ち上がったときだった。


 部屋の扉がゆっくりと開く。


 開いた扉から入ってきたのは、糸だった。


 糸は、ハッとした顔で真衣を見つめた。


 「今日は私、二番目……だったんだね。 英美里ちゃんと……雛乃ちゃんより……早かったんだ」


 糸は途切れ途切れになりながら言葉を発した。


 きっと、私に気を遣っているのだろう。


 「いいえ、あなたは一番目よ」


 そっけない態度をとる自分になんだか嫌気がさしてしまう。


 「え? だって、真衣さんが……」


 「私はもう辞めたの。 ハジメさんにも承諾してもらっている。 この紙を提出して帰るだけ。 だから、あなたは三人の中で一番早く着いた」


 「真衣さん……」


 真衣はかばんを肩に掛け、紙を手に持った。 


 そのまま、糸がいる方向へと向かう。


 もちろん、部屋を出るためだった。


 「昨日、シズクさんから真衣さんのことを聞いたの」


 昨日……。


 そうか、ハジメさんが私を呼び止めていたとき、一方のシズクさんは、部屋に残っていた三人と、私について話していたのか。


 「そう。 だったら、私がここにいちゃいけない理由、わかるよね」


 真衣は、部屋の扉に手をのばす。


 「わからない」


 糸は、小さくも力強い声で言い放った。


 「それは……あなたの脳の要領が悪いということ?」


 なぜか、ドアノブに掛けた手に力が入らない。


 「真衣さんは、あの事件と関わっているんだよね」


 あの事件とは、政治家たちの汚職情報流出事件のことだろう。


 もちろん、関わっている。


 だって、事件を起こしたハッカーとは、まぎれもなくこの私なのだから。


 「ええ」


 「でも、真衣さんのやろうとしたことは、本当に悪いことだったの?」


 「それは……」


 「私、ハッキングとかよくわからないし、真衣さんの事情もよく知らない。 けれど、真衣さんは悪いことを正しくしようとしたんじゃないの?」


 糸の口調はどんどんと強くなっていく。


 「悪いことを正そうとすることは悪いこと……だとは、私は思わない」


 糸の言葉に、真衣の心は大きく揺さぶられた。


 あのとき、私は正しいと信じながら……。


 「いいえ。 それは違うわ。 雛乃も言っていたでしょ。 理由はどうであれ、ハッキングは犯罪行為なの。 私は……犯罪者なのよ」


 真衣は冷静を装うつもりだったが、声は小刻みに震えてしまっていた。


 「真衣さん……」


 「そのことがバレた以上、私はここにいられない。 あなたたちに迷惑はかけられない」


 そうだ。 


 私がここを辞めようと思ったのは、私のあやまちにみんなを巻き込まないためだった。


 MANIACは、素敵なところだと思ったから。


 「それじゃ、さようなら」


 真衣はもう一度、扉を開けようと右手に力を込めた。


 「真衣さん、ひとつ聞いてもいい? 真衣さんは、あの事件以外でハッキングをしたことはあるの?」


 なぜこのタイミングで糸はそんなことを訊くのだろう。


 ただ、考えたところでもうどうでもいいこと。


 「いいえ。 色々と調べたことはあるけれど、実際にハッキングを起こしたのは、あのときが初めて」


 「だとしたら……」


 糸はまだ、真衣に何かを伝えようとしていた。

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