第75話 憑依

「貴様! 命令はどうした!」


「そんなものに耳を傾ける筋合いはない。某は既に自由の身なのだから」


 何が起きているんだ……?

 

 眼前ではサスケとギルバードが鍔迫り合いをしており、そのことから両者の実力はほぼ互角だとわかる。


「クッ! 一体どういうことだ!?」


 ギルバードは体勢を立て直すために一旦サスケから距離を取ると、細剣をこちらに向けて声を荒げた。


「旦那。こちらをどうぞ」


 しかし、サスケはそんなギルバードの言葉を無視して、腰巾着から木の実のようなものを取り出した。


「こ、これは……?」


「いいから、食べてみて下さい」


 俺は手のひらに置かれたそれに疑問を呈したが、食べるように促されたので口に放り込んだ。

 何が起こるかは分からないが、頭が回らなかったので、物は試しと言わんばかりに行動に移した。


「……なんだ、これは?」


 木の実のようなものを口にした途端、体の表面にできた細かい傷がみるみるうちに回復していくのがわかった。


「それはポーションを丸薬にしたものです」


 サスケは俺の体を起こして壁際に移動してくれた。


「どうりで……」


 だが、これは普通のポーションと同じ効果ではなさそうだ。

 回復力を促すというよりは、飲んだ瞬間から回復が始まっているような感じだった。


 効果は魔法に近いのだろう。

 それくらい優秀なものだとわかる。


「これは極東では——」


「——何をペラペラと話している! 俺たちを裏切る気か!」


 ギルバードはサスケの言葉を語気を荒げて遮った。


 どうやら相当効いているようで、額には血管が浮き出ており、細剣を握る手にも力が入っていることがわかる。


「おっと……話している場合ではありませんね。その外傷だと十分ほどで回復するでしょう。安静にしていて下さい」


「あ、ああ。悪いな」


「いえ」


 ギルバードと対峙したサスケは一度もこちらに振り向かなかった。


 油断をしていないという心の現れだろうか。


「——貴様ら! そこから一歩も動くな! 小娘たちがどうなっても知らんぞ!」


 ギルバードが未だ目を閉じて動きを見せない三人の首元に細剣を突きつけた。


 つくづく外道なやつだ。


「関係ないな」


「く、来るな! ほ、本当に殺すぞ!」


 しかし、サスケはゆっくりと、ただ自信満々に歩を進めた。


「お、おい。サスケ。大丈夫なのか……?」


「ええ。この男は彼女たちを殺すことはできません。三人の中には某の同胞がいますから」


 俺の問いにサスケは確信を持って答えた。

 同胞というのはレナのことだろうか。シャルムでも狙っていたのでおそらくはそうだろう。

 まだ真意は分からないが、ここで嘘をつく理由もないので信じるしかなさそうだ。


 三人のことは心配だが、俺がまだ万全ではない以上はサスケに任せるしかない。


「グッ!」


「大人しくしろ。それとも、某と戦うか?」


 ギルバードは完全に戦意を失ったのか、ジリジリと後退ることしかできなくなっていた。


「サスケ! 無闇に攻撃を加えたら何をするか分からないぞ!」


 当初のギルバードの自信からして、何をしでかすか分からないので、念のため俺は警戒を促しておく。


「平気です。こいつの魔法は人を洗脳して眠らすだけです。それ以上でもそれ以下でもありません」


 つまり、ギルバードが自ら魔法を解くか、ギルバードの意識を奪うか、そのどちらかで眠りから目を覚ますことが可能だということだろうか。


「そうだったのか……なら安心だ」


 俺はすっかりギルバードの自信ありげな演技に騙されたというわけか。


 俺がひたすら暴力を振るわれたことが無駄だとは思わないが、もう少し強気に出ていても良かったのかもしれないな。


 だが、これで一先ず安心。

 三人が意味不明な事象で殺される心配もなくなり、思う存分戦闘することができそうだ。


「ク、クソッ! 誰か力をくれ! こんなやつなんてコテンパンにするほどの力をよこせ!」


「無駄だ。あと数分で旦那の傷が癒える」


 ギルバードは指を組んで天に祈りを捧げたが、サスケは取り合わずに一蹴した。

 しかし、ギルバードはそんなサスケに目もくれず、地面に膝をついて叫び続ける。


「こんなところで終わるわけにはいかない。神があるなら力を! いなければ悪魔でもなんでもいい! 俺に恨めしい才能を持った奴らを蹂躙できるほどの力をくれ!」


 神に祈りを捧げたところで何も起きるはずがない。そう思ったその時。


 それは突然に起きた。

 地面に膝をついて叫びをあげていたギルバードは、いきなりスッと何かに取り憑かれたかのように意識を失った。

 ぱたりと力なくうつ伏せに倒れ、この場には静寂が訪れた。


「……っ! まさか!?」


 同時に今の今まですっかり失念していた気配を感知したが、気がついた時にはもう遅かった。

 ギルバードは操り人形のようにぎこちなく立ち上がる。


「……はい、はい。契約します。フェルイド様」


 ギルバードは目を虚にして口をポッカリと開きながら、その場にはいない何者かと会話を始めた。

 不気味な光景だった。

 先ほどまであったはずのギルバードの気配は消え去り、代わりにあったのは——フェルイドの気配だったのだ。

 そしてギルバードが口にした契約の二文字。

 

 これはもしかすると……。


「フェルイドの魂が憑依したのか……?」


 そうとしか考えられない。

 この部屋に入ってきてからフェルイドの気配を強く感じることはできていなかった。

 本当ならいくら微弱とはいえ接近すれば感じることができるはずなのに、だ。


 おそらくフェルイドはこの時を待っていた。

 俺は悪魔について詳しくはないが、憑依については聞いたことがある。

 契約の名の下に人間の体を乗っ取り、人格ごと完全に支配するのだ。


「旦那。フェルイドというのは?」


「悪魔だ。悪魔は意思の弱い者に憑依すると文献で見たことがある」


 先ほどからギルバードは強さに飢えていた。

 スラム街の生まれから今の地位まで成り上がったが、俺やサスケには敵わなかったことで、弱気な態度で口にしてしまうほど強さを欲した。


 そのせいで近くで気配を消して静かに様子を伺っていたフェルイドの標的になったのだ。

 フェルイドの魂だけであればなんのことはないのだが、憑依されると話は別だ。


「某に勝てますか?」


「……無理だ。だが、俺なら勝てる。本気を出せれば……だがな」


「何分必要ですか?」


「あと三分だ」


 丸薬を飲んでから細かい傷は治ったが、骨の損傷などの大きな怪我はまだ少しかかりそうだ。


 そんな話をしているうちに、ギルバードに憑依したフェルイドはカクカクと挙動を見せた。


 憑依される前よりも動きがぎこちなくなっており、フェルイドが新しい体に適応しようとしているのが伝わってくる。


「グッ……俺の体を——や、やめ——フハハ! 我は貴様の魂に用はない!」


 最初はギルバードの抗う声が聞こえてきたが、最終的にはそフェルイドの声のみになった。


 どうやら完全にギルバードの体を乗っ取ることに成功したらしい。

 契約とは何だったのかは不明だが、悪魔に強さを求めた罰だろう。


「——待たせたな! 我を楽しませてくれよ?」


 ギルバードの抜け殻である初老の顔は歪み、額からは二本のツノが生えており、ヒビの入った鎧の隙間からは体色の黒さが分かる。


 もはやギルバードではなく、完全に人外の見た目になっていた。


「貴様らを殺して、そこの女を拐えば、我は更なる高みへ到達できる! さあ、どこからでもかかってこい!」


 フェルイドは赤々とした瞳でこちらを見据えると、フワリと宙に浮いて手を広げた。

 体を覆うようにして纏う黒々しい魔力がこちらを威嚇するようにバチバチと音を鳴らす。

 風が吹き荒れ、古びた屋敷の天井は吹き飛ばされる。

 月明かりが部屋を照らしたことで、勝負の始まりを告げた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る