step14.リグレット(3)
「まだ一部の人しか知らないけど、年度末で退職するんだ」
「……誰が?」
「私」
驚きで声が出ない由基を見て、三咲はにやりと笑い、両手でジョッキを持ち上げてこくこくビールを飲んでから淡々と話を続けた。
「最初からその予定だったのにね。入社したのは、企業の内部を少し勉強しておくかってつもりで、一通りのことがわかるようになったら、契約オーナーになるつもりでいたんだもの」
そういえば、そんな話を聞いた気もする。複数店舗を持っているフランチャイズオーナーの父親の地盤を彼女が引き継ぐことは、本社の人間も周知していたことで。
「それが意外と役職に就けてさ、本部の仕事が面白くなって辞めるのが惜しくなって、それなら代わりにオレが店長やるよって言ってくれる人が現れて、甘えちゃったんだよね」
「…………」
「自分では必死にやってきたつもりだけど、会社では今がめいっぱいでもう上には行けない。気がつけば何もかも中途半端でさ。ヤになっちゃった」
「そうか」
「ドロップアウトじゃないよ。ただ少し、軌道修正しないとなって」
「そうだな」
「まだまだ、もう一花も二花も咲かせられるし」
「そうだよ」
「あんたもさ、一度転んでみれば怖くないよ」
頬杖をついて三咲は三杯目のジョッキを引き寄せた。
「顔面から思い切りいってみたら?」
「んなもん怖いに決まってるだろ」
「じゃあ、背中から」
「ムリ」
「根性ナシ」
はあっと息をついて体を起こし、三咲はまた勢いよくビールを飲んだ。由基は由基でちびちび塩辛を舐めつつお湯割りを飲む。
「……ことちゃんは納得してたの?」
「わからん」
「子どもに言い聞かせるのはタイヘンだからね」
つぶやいて、三咲は自分の口に軟骨を放り込む。以前「子ども」と表していたのは琴美のことだったのかと由基はぼんやり思った。
「前と違って店では普通にしてくれてるぞ」
「そっか」
ふと下を向いたかと思うと、三咲は肩を震わせはじめた。笑っているのか失礼な、と気を悪くして顔を覗き込んでみると、逆に目に涙を滲ませていて、しまったと由基は思った。
「ぐす。かわいそうなことちゃん。こんな男に振られるなんて屈辱だよね。それでもちゃんとお仕事来るなんてエライ。オトナだね」
ついさっきは子どもと言ったくせに。
「失恋休暇があればいいのに」
振った方だって痛手を負ってるんだぞ、と主張しても同情してはもらえないだろうから由基は黙って二杯目のお湯割りを飲んだ。
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