断章

00 Over the white darkness

 私の身体を、銀の刃が貫いた。


 すぐに痛みは麻痺して、全身を高熱が巡る。

 目の前が真っ赤に染まり、そなたの顔をまともに映すこともできない。

 最後の一瞬まで、共に在りたいというのに。


 ままならぬ生は失われ、冬の厳しさよりも冷たい死が訪れる。

 いつかと同じ、終焉しゅうえんの足音――永遠の吹雪を、私は不意に思い出していた。




 あれは短い秋の終わり、雪に覆われた故郷での出来事。


 私は覚えたばかりの狩りに出ていた。獲物を取り逃すことも少なくなって、上達を感じる日々は、いちばん楽しかった頃かもしれない。


 真っ直ぐに帰らずに寄り道をしたのは、ほんの気まぐれだ。

 珍しく空が晴れていたから、ただひたすらに雪原を駆けていた。


 万年雪の積もる山の中腹に、誰も寄りつかない洞窟どうくつがある。散策の途中、そこに見慣れない黒装束くろしょうぞくの集団が入っていくのを見つけた。


 こんなところに、なんの用があるというのだろう?


 好奇心のままに覗き込むと、怪しい者たちは火をき、地に不思議な陣を敷いて、一心不乱に何事かを唱えていた。昼から日暮れまで盗み見ていたが、一向に変化は訪れない。


 次の日も、また次の日も、彼らは同じことを繰り返していた。


 この出来事を父と母に伝えなかったのは、言えば叱られると思ったからだ。不用意に外部の者と接触してはならないと、あの頃はきつくしつけけられていた。しかし変わらぬ日常に訪れた変化を、みすみす見逃す手もない。


 それから私は毎日の朝と晩、決まりごとのように洞窟を訪れるようになっていた。


 いつかきっと、面白いものが見られるに違いない。


 変化が起きたのは、七度の夜を越えた吹雪の朝。


 狩りの前に洞窟を覗いた私は、信じられない光景を目の当たりにした。黒ずくめの人間たちが自らの首に刃物をあてがい、躊躇ためらいいもなく切り裂いていたのだ。彼らの流した血は、地面に輝く不思議な陣に吸い込まれて潰えていった。


 これはきっと、よくないものだ。

 帰ろう、そして父と母に報せよう。


 私がきびすを返そうとした瞬間、輝く陣から怪物が這い出した。黒い甲冑かっちゅうに身を包んでおり、首がなく、生気もない、おぞましい存在だ。それは未だ不完全な顕現に過ぎないのか、身体のあちらこちらが陽炎かげろうのように揺らめいていた。


 逃げなければ、いますぐに!


 しかし脚が凍りついたように固まり、思うように動かない。やがてそれは、こちらに気づいた。手にした漆黒しっこくの大剣を掲げ、ゆっくりと私に近づいてくる。傷を負った獲物を追い詰め、死の恐怖を十分に味あわせるように、不気味で醜悪な気配が目の前に迫った。


 その後のことは、よく覚えていない。


 戦ったのか、すべもなく斬られたのか、ともかく私は深い傷を負って倒れた。全身を蝕む痛みと、流れる血すらも凍りつく恐怖。そんな瀕死の状態から一命を取り留めたのは、奇蹟としか言いようがない。


 洞窟から血の臭いが薄れる頃に目覚め、三つの夜を越えてようやく動けるようになった私は、家族の元へ戻ろうと重い身体を引きった。


 父と母に、早く会いたい。


 その願いは、半分だけ叶ったと言える。


 吹雪を越えて家に帰りつくと、父と母の亡骸が転がっていた。その無残に変わり果てた姿を、私は生涯忘れることはない。傷口は黒く変色しており、洞窟で遭遇した黒い甲冑の気配が色濃く残されていた。


 ああ、誰か、誰か、助けて!


 しかし懇願こんがんは届かない。


 死の連鎖は両親のみならず、他の同胞、山の仲間たちにすらも及んでいた。嘆きと苦しみすら、共有できる者はいない。そんな絶望のなかで、私は雪原に晒されたすべての亡骸を埋葬した。


 これから、どうすればいいのだろう?


 冬の足音が近づいていた。このまま座して過ごすならば、できるだけの食料を集めて家にもらなければならない。未だ黒い傷に悩まされ、私も体力の多くを奪われていた。


 いや、このまま孤独のおりで生涯を終えるつもりはない。

 あの黒い甲冑の首なし騎士に、必ず報いを受けさせてやる。


 私は、旅立ちを決意した。

 そうと決まれば善は急げ。


 闇の気配は、すでに山岳地帯を離れている。それは瘴気しょうきを隠そうともせずに撒き散らしており、幸いにも追跡に難はない。冬の訪れを待たず、私は故郷を後にした。


 それからの旅が順風満帆だった試しなど、いちどもない。


 異邦の風は白い山よりも冷たく、私はなんども危機に晒された。多くの怪物を屠り、時に縁もゆかりもないいさかいに巻き込まれながら、仇を追って南へ下る日々。


 語り尽せないほどの経験を重ねた先で、ひとつの出会いがあった。


 とある騒動に巻き込まれ、なし崩し的に背中を預けることになった年嵩としかさの男と若い女――闇祓やみばらいの師弟していを名乗る者たちと、私はしばらく行動を共にすることになる。


 彼らからは多くを学んだ。


 魔力の扱い方、文字、言葉、文化。二人のおかげで、私は数え切れない智恵と見識に恵まれた。師弟共に好きではなかったが、その点に関しては感謝している。


 だが、その道ずれも唐突に終わりを迎える。


 弟子が師を裏切り、出奔しゅっぽんした。諍いの原因は、二人が受けていた貴族からの依頼らしい。ある家族を巡り、意見が分かれた。こんな会話を覚えている。


「お師さん、アンタは甘いんだよォ。アタシは公爵夫人こうしゃくふじんの依頼通り、娘を殺す。妾腹しょうふくの子供なんて、連れ帰ろうが不幸になるだけだけじゃないか。なら、引導を渡してやるのが優しさってもんさねェ」


「俺たちの依頼主は、あくまで公爵様だよ。娘を無事に連れ帰るように言われたでしょう。勝手に背けば信を失うって、どうして言ってわからないかねぇ。我が弟子ながら、馬鹿すぎて呆れるよ」


「馬鹿はそっちさね。公爵閣下には死んでいたと伝え、夫人には殺したと報告すれば、両方から金が手に入る。十年は遊んで暮らせる額さ。こんな世の中、上手く渡らなきゃやっていけねェでしょう」


「上手な世渡りのために、罪もない一家を殺すなんてのは承服できんよ。ビーチェ、ここで師弟の縁を切るつもりかい?」


「やってみなァ、お師さん――いや、テムジン。言っとくけどねぇ、もうアタシのほうが強んだよォ?」


 弟子のビーチェは、なにも知らない一家を皆殺しにするという。はじめは放っておくつもりだった私も、その非道は許せずに師であるテムジンに加勢した。


 闇祓いの師弟は、共に鉄鎖てっさを操る。


 一進一退の攻防は、日暮れから夜にかけて続いた。結果だけを見れば、私とテムジンは負けたのだろう。戦いの最中にも関わらずビーチェは闇に紛れて一家を襲い、公爵の隠し子である女児と母親、再婚相手の夫を殺害した。


 怒りに震えたテムジンは深追いが過ぎ、片脚に致命的な傷を負ってしまう。ビーチェは逃亡し、私も去った。元より彼らの関係に、さほどの興味はない。


 私は旅を続けた。


 追い求める黒い甲冑の首なし騎士には、すでに四度も追いついている。


 荒れた風の吹く渓谷で、忘れられた墓地で、毒の噴き出す沼地で、邪悪な者たちの教会で、どれも返り討ちにされた。命からがら逃げ出しては傷をいやし、再び追いかける日々の繰り返しだ。


 そんな私に次の転機が訪れたのは、故郷の山を後にしてから二度目の秋に差しかかる頃だった。道中の森で、男に襲われている幼い姉妹を助けた。近くにある、村の子供らしい。二人は放浪中の私に、なにかと世話を焼いてくれた。


 出発の足が鈍ったのは、ビーチェから守りきれなかった女児を重ねてしまったせいかもしれない。姉のカリーヌと、妹のセリーヌ――二人は、私に穏やかで優しい時間を与えてくれた


 しかし悲劇も繰り返される。


 姉のカリーヌが、森にむ怪物に殺された。ひそかに復讐ふくしゅうを誓った私だが、森に潜む化生は姿を隠してなかなか尻尾を掴ませない。手がかりを得られないまま漫然と時を過ごしているうちに、怪物狩りの専門家を名乗る女が村人に雇われた。


 このウルカという闇祓いには、いまだに思うところがある。ともあれ彼女はカリーヌの仇を討ち、ようやく私は村を離れる決心をつけた。そこからは不本意ながら、この女と旅を続けることになる。


 私の敵は、おぞましい臭いを西へ伸ばしていた。それはウルカと旅をはじめた頃から冬を超え、春に差し掛かった日のこと――復讐は、五度目の機会を迎える。


 なにも言わずにウルカの元を離れた私は、運河の畔で黒騎士に対峙した。


 勝負は、わずかながらにこちらが有利。長く現世をさまよったせいで、奴は消耗していたのかもしれない。対して私は多くの経験を重ね、新たな力を手にいれていた。


 勝てる、これで終わりだ!

 その慢心が、敗北の要因だったのだろう。


 最後の最後で詰めを誤った私は、黒騎士にとどめを刺しきれず、自らも深手を負った。人里も近く、見つかれば殺されかねない。


 そんな状況下で、私に手を差し伸べる黒髪の少年がいた。


「こいつ、すごい怪我だ。カーミラ、どこかで手当てしないと!」


 同行していたカーミラという赤毛の少女は、最後まで私を助けることに反対していた。けれどけっきょくは黒髪の少年に押し切られ、手を貸すことになる。それから暗い倉庫に押し込まれ、美味いものも不味いものも食べた。生きたねずみを差し出されたときには、思いっきり蹴飛けとばしてやったものだ。


 正直に言えば、子供と馴れ合うのは気が進まなかった。カリーヌの件が、尾を引いていたのだと思う。しかし少年は邪険にされても世話をやめようとはせず、毎朝欠かさずに私の元を訪れた。食事を置き、包帯を替え、飽きもせずに話しかけてくる。その献身に心を打たれはしたが、他に友達はいないのかと、聞けるものなら聞いてみたかった。


 彼の名は、ユウリスという。

 私の憂いなど意味を成さず、過酷な運命に巻きこまれてしまった少年だ。


 友人の危急を聞いて立ち上がった彼は、期せずして黒騎士と対峙することになる。闇祓いとしての力に目覚めたユウリスは、両親の仇を取ってくれた。私も参戦したが、あれは彼の手柄で間違いない。


 そうして私の復讐は、終わりを告げた。


 このまま北原の故郷に帰っても、放浪を続けてもいい。

 けれど旅の行く末を決めたのは、私を枕にして寝そべる少年の言葉だった。


「帰ったら、オーモンの実を食べよう。お小遣いを全部はたいて、いっぱい買ってやるから」


 帰ったら?

 この少年は、いつまでも私がそばにいるとものと思い込んでいるらしい。


 不憫ふびんな子だ。

 友達もいないし。

 きっと私がいなくなったら悲しむ。

 仕方がないから、もう少しそばにいてやろうか。


 いいや、こんなのは嘘だ。

 白状しよう。

 もっといっしょにいたかったのは、私のほうだったのだ。


 思い返してみれば、なんていうことはない。

 あの瞬間から私は、この少年に恋をしていたのだと思う。


 そなたはいつ、私の想いに気づいてくれたのだろう?


 幾度となく、共に戦場を駆け抜けた。

 

 ただの危なっかしい子供かと思えば、その雄々しさで私を震わせたこともある。数え切れない挫折ざせつを経験し、同じ数だけの試練を乗り越えて、そなたは成長した。


 縁とは、不思議なものだ。


 私の世話をしてくれた少年は、やがて大人になり、種の垣根を越えて大切な伴侶はんりょに変わった。あるいは息子であり、弟であり、相棒であり、親友であり、永遠の恋人――そなたを想わなかった日は、いちどもない。


 だからユウリス、そんな顔をしないでほしい。

 そなたの握る剣に貫かれるのなら、私は本望だ。


 これに嘘はない。


 欲を言えば、もっとそばにいたかった。

 でも、これで私はえぬ傷となって、そなたの心に刻まれるのだろう?


 絶対に、私を忘れさせたりするものか。


 ああ、もう目も霞み、音が遠のく。

 最後に、私の名を呼んでくれないか?


「……クラウ!」


 ユウリス。

 愛しい伴侶よ。


 私の想いは、そなたと共にある。

 いつまでも、ここより永遠とわに。


 断章 『白い闇の彼方かなたに ――Over the white darkness――』 完

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