03 レイン家の攻防

「ハサンの一味か!」


 彼ら――ハサンの一味は否定も肯定もせず、誰からともわからない言葉を順々に紡ぐ。男と女、若くもあれば、老獪な声もある。


「息子はダーインスレイヴと交換だ」


「屋敷へ戻れ、セオドア・レイン」


「ブリギットの剣を渡してもらう」


「さもなくば息子の命はない」


「抵抗すれば見せしめに女児を殺す」


妖術師ようじゅつしどもよ、公爵以外を遠ざけよ」


 六人目から妖術師と呼びかけられたのは、残る二人。彼、あるいは彼女は一つのオイルランプを互いの手で支えていた。その稜線りょうせん褐色かっしょくの指がきゅっと擦り、共に唱えるのは古の呪文。すると点火口から大量の煙が吹きだし、たち昇る白いもやが赤く燃えた。


 二人の妖術師が、声を重ねる。


「≪イフリート≫よ」

「業火の精霊よ」


 気体は瞬く間に、炎の巨人≪イフリート≫と化した。背に白煙の翼をはためかせ、轟々と猛る焔の体躯。力強く腕を組んだ妖霊ようれいの雄叫びが、夜気を震わせる。


 同時、ハサンの一味が一斉に動いた。


「レインの屋敷へ来い!」


 妖霊を召喚した二人を場に残し、六人のハサンが丘の頂上を目指して駆ける。さらに領邦軍の包囲を抜けた複数の≪スペクター≫も、レイン公爵邸を目指すように斜面を登りはじめた。


 追いすがろうとするユウリスの前に、豪腕を振り下ろす≪イフリート≫。その軌道に割り込んだクラウが爪を一閃、ほむらこぶしを華麗に弾き返す。


「クラウ!」


 叫ぶ少年に、白狼が目線で頷く。行け、そう促す意思に相槌あいづちを返して、ユウリスは御者台の手綱を取った。セオドアとアーデン将軍が荷台に跳び乗り、馬車が大きく揺れる。


「ウィル、お前は残れ。領邦軍の指揮があろう!」


「なあにを水臭え、セオドアの旦那。二代目の危機に、俺がついていかなくてどうするってんですか。軍の心配は無用。天下無双の俺がいるんで霞んじゃいるが、副官二人も次代の猛者。戦場を預けられないほど、やわな育てかたはしてねぇんですわ――そういうわけだテメェら! 俺と旦那が帰ってくるまでに、亡霊どもを片付けておけ!」


 アーデン将軍の号令に、兵士たちも勇ましい気勢で応えた。幾人かはレイン家に同行しようと試みるが、その進路を≪スペクター≫が阻む。


 ユウリスはぎょっと息を呑み、低く呻いた。先ほどまで旧家通りを占拠していた≪アラクネ≫も含め、まるで怪物が人間に使役されているかのようだ。同時に覚える、不気味な違和感。


「それができるのに、この程度……?」


 この騒動を起こした黒幕が怪物を自在に操れるのだとしたら、もっと他にやりようがあるはずだ。未熟なユウリスですら気がつくことに、敵が思い至らないはずはない。あるいは、と脳裏を過ぎるのは友人である吸血鬼ブラムの言葉だ。


 ――都市ひとつを滅ぼすには力不足。

 ――さりとて特定の個人を狙うには粗暴が過ぎる。

 ――本気で進攻を目論むのならば、全戦力を傾けるのが道理。

 ――怪物たちが討伐されるのも計算の内ではないかと。

 ――侵略ではなく、個人の命でもない、未だ見えざる権謀術数けんぼうじゅっすう


 言い知れぬ不安に、ユウリスは思わず外套の上から胸元を鷲掴んだ。荷台ではセオドアが、馬車から降りる素振りのない双子にも気を揉んでいる。ドロシーとエドガーは縁に掴まり、どっしりと座り込んでいた。


「言っとくけど、あたしたちもここで降りたりしないから!」


「どこに居ても危険なら、せめて家族といっしょにいたい!」


 すぐ傍らでは、クラウと≪イフリート≫が熾烈しれつな攻防を繰り広げていた。雪原の出身である白狼は、灼熱の焔を纏う妖霊と相性が悪い。それでも銀の閃光と渾名あだなされる魔獣は一歩も引かず、馬車にはもちろん、領邦軍にすら敵を近づけさせない。


 セオドアは荷車の縁を叩いて、出発の合図を送った。


「ならば皆で行こう! ユウリス、一刻も早く屋敷へ!」


「わかった、みんな掴まって!」


 ヤァ、と掛け声を上げて、ユウリスは手綱をしならせた。未だ疑問は尽きないが、思考に割ける猶予もない。馬車が青草を踏み、丘を駆け登る。激しい揺れに双子が悲鳴を響かせるなか、セオドアが御者台に首を伸ばした。


「すまない、ユウリス。お前の警告に備えてはいたが、まさかここまでの事態になろうとは。だが、あれは本当にハサンの一味なのか?」


「どうだろう、俺も実際に対峙したのは一度きりだから……なにか気になるの?」


「暗殺というのは本来、防ぎがたい恐ろしいものだ。故にこそ、為政者いせいしゃたちは安易にハサンの一味になど頼らない。誰かを刺客を送れることはすなわち、次の標的に自分が選ばれるという危険を孕むからだ」


 六王戦役の最中ですら、政治家たちは暗殺を恐れて最低限の礼節を死守した。それでもハサンの一味は暗躍したが、多くの場合は矛を向けられた側と向けた側、最後は双方が凶刃に倒れている。権力者ほど、その虚しさを忌諱きいしているはずだ。


「だから市庁舎でエイジスが狙われた一件も、疑念はあった。暗殺者がしくじることなど、本来はありえない。しかし黒幕の正体がキーリィ・ガブリフだと判明したことで、あれは我々を油断させるための罠だったと結論づけたが……」


「そういえばブラムも同じことを言っていた」


「ブラム? いや、友人の紹介は、落ち着いてからしてもらうとしよう。それよりも敵の狙いが、未だに読み切れない。不気味なほどに、不合理だ」


 キーリィ・ガブリフは≪リッチ≫の呪詛から公爵を守り、あるいはハサンの一味が放った毒矢から市長を庇った。それが行政の長たちから信頼を得るための自作自演だったとしても、辻褄は合うかといわれれば微妙なところだろう。しかし実際に行政府の対応は後手にまわり、感謝祭で沸く街を怪物に蹂躙されるという最悪の展開に持ち込まれてしまった。


 だが、とセオドアは唸る。


「ハサンの一味は、まだ誰も殺していない。ブリギットの剣が狙いなら、あれを隠し持つ私を生かしている意味はわかる。だがエイジスは、あるいはウィル――アーデン将軍は? なぜハサンの一味は、誰も殺さないのだ?」


 槍において右に出る者無しというウィリアム・アーデン将軍にせよ、日常的に護衛をつけているエイジス・キャロット市長にせよ、ハサンの一味が得意とする毒を用いれば暗殺は容易だ。食事に混ぜるという典型的な方法は言うに及ばず、気体にして就寝中にがせてもいい。あるいは娼婦に扮して命を狙うか、現状のように家族を人質に取る方法もある。


 ユウリスは慣れない登り坂に苦戦しながら、首を左右に振り乱した。


「わからないよ、父上。俺だって帰ってきたら街が燃えていて、正確に状況が掴めていないんだ。それより、他のみんなは無事なの?」


「グレースとイライザは屋敷にいる。だが地震と怪物が街を襲ったとき、アルフレドとヘイゼルは外出していた。おそらくアルフレドは、遊びに出ていた途中でハサンの一味に拘束されたのだろう。ヘイゼルはジェシカと買い物に出掛けたまま、いまも行方がわからない」


「ジェシカ……また、ジェシカ・バーグ?」


 ユウリスが眉をしかめた刹那、頭上で赤い閃光が瞬いた。


 さらに、レイン公爵邸で爆発。

 屋敷の一階部分から炎の波が噴出し、半壊した壁の破片が宙を舞う。


 ハサンの一味がしかけたのかと思ったが、そうでもないらしい。丸焦げになった白装束の一人が丘を転がり落ちていく。さらに≪スペクター≫の邪悪な気配も、いくつか同時に霧散した。


 続けて二度、三度とレイン公爵邸の方角から放たれる業火の螺旋。


 御者台に身を乗りだしたアーデン将軍が、ひゅぅ、と口笛を吹いた。


「なんか派手にやってんなぁ。上に着いたら、敵は俺が始末するぜ。ユウリス坊ちゃんは、奥方とエド坊ちゃん、ドロシー嬢ちゃんを守ってくんな。セオドアの旦那は引っ込んでろと言っても前に出てくる御仁だから、しょうがねぇ、俺が面倒見らぁ!」


「イライザは?」


「イライザ嬢ちゃんの事情は、セオドアの旦那から聞いてるぜ。いまのも火もたぶん、そうなんだろう? 違ったとしても関係ねぇや。あの長女様なら、自分のケツは自分で拭くさ。ユウリス坊ちゃんと同じでな! 頼りにしてるぜ!」


 アーデン将軍が力任せに背中を叩くものだから、咳き込んだユウリスの手綱は大いに乱れた。その反動で馬車が左右に大きく揺れてしまい、こんなときにふざけている場合か、とセオドアに叱責される領邦軍の最高指揮官。


 しかし公爵邸が間近に迫れば、天下無双の槍遣いは獰猛どうもうに犬歯をいて豪快に笑い飛ばした。


「二代目をかどわかされてピリピリすんのもわかりやすがね、セオドアの旦那。戦いってのは余裕がなくなったらいけねぇ。敵を屠った先には、美味い酒と美女が待っている。それを楽しみに戦うのが武人のたしなみってやつでしょうが。俺ァ笑って槍を振るうのが、絶好調の証なんでさァ!」


 屋敷を囲う植え込みを突破して、馬車が庭に侵入する。


 壁が崩れた屋敷の一階では、グレースと数名の使用人を背に庇ったイライザが、ハサンの一味を相手に奮戦していた。自慢の緩く波打つ金髪はすすに汚れ、見慣れない黒い外套と竜の牙の杖を掲げている。彼女は苛立ちを隠そうともせず、憤激ふんげきき散らした。


「私の家に押し入るなんて、いい度胸だわ。イライザ・レインを怒らせたらどうなるか、身をもって味わいなさい!」


 床には護衛の兵士たちが倒れており、すでに息はないようだ。


 ハサンの一味が人質を盾にしても、レイン家の長姉は容赦がない。膨大な魔力を縦横無じゅうおうむじん尽に振るい、高熱の鞭で敵に襲いかかる。


 暗殺者の一人が、思わずたじろいだ。


「貴様、自分の弟が巻き添えになってもいいのか!?」


「そう思うなら、あんたが死ぬ気で守りなさい! 私にアルフレドを殺させたが最期、ゴヴニュ砂漠の砦が滅びるまで復讐してやるわ!」


 イライザは実際、アルフレドを全く意に介していない。むしろ人質が死ぬことを恐れたハサンの一味は、アルフレドとリジィを庇いながら防戦に徹している有様だ。


 すでに一名が脱落し、屋敷を襲撃したハサンの一味は残り五名。内二人は人質を守るのに精一杯で身動きが取れず、残り三人はイライザが放つ強力無比な魔術の攻勢に手も足もでない。


「この女、本気で人質ごとるつもりだ! イカれているぞ!?」


「≪シャイターン≫を召喚しろ! このままではジリ貧だ!」


 妖霊の使用を進言した暗殺者は、それが末期の一言となった。馬車から飛び降りたアーデン将軍が電光石火の勢いで背後から肉薄し、その脳天を槍で貫く。拘束されていたアルフレドが床に崩れ落ちるが、彼は止まらない。


「ユウリス坊ちゃん、二代目を頼まァ!」


 ぎょっとして動きを鈍らせたのは、傍らのハサン。しなやかに身体を伸ばしたアーデン将軍が、その首を鋭い肘打ひじうちでへし折った。やはり意識の朦朧もうろうとしたリジィが開放され、床に座り込む。遅れて駆けつけたユウリスとセオドアが、人質になっていた二人を背に庇った。双子は馬車に身を潜め、動かない。


 刹那、白装束の一人が叫んだ。


「我が血肉を喰らえ、≪シャイターン≫! ――――!」


 唱えられたのは、新たなる妖霊の名。続くいにしえの言葉を理解できる者は、ハサンの一味をおいて他にいない。声を上げた女の暗殺者は、袖口から取り出した小瓶の中身を一息に喉へ流し込んだ。


 ユウリスの第六感が邪悪な胎動を感じ取る。

 同じく不穏な気配を覚えたイライザが、鋭い警句を発した。


「全員、逃げなさい!」


 暗殺者が四肢を広げ、宙に浮き上がった。刹那、屋敷を暴風が蹂躙じゅうりんする。フードがめくれ、あらわになるのは年若い褐色肌の少女だ。白目を剥き、大きく開かれた口からは黒いもやが湧き上がる。闇の気体が彼女の身体をよろいのように包み込むと、新たなる怪物が産声を上げた。


 人間の身体をしろとして現出する妖霊――≪シャイターン≫の起こす穢れた風は、触れた者の精神力を削り取る。果敢の立ち向かおうとしたアーデン将軍が、顔を真っ青にして膝をついた。


「な、なんだこりゃあ、クソ、あああああ、頭が、痛ェ!」


 しかし苦悶に喘ぎながらも、アーデン将軍は槍を離さない。なおも立ち上がろうとする姿勢は、残る二人の暗殺者が思わず息を呑むほどに苛烈だ。


 イライザは母と使用人を守るために防御の魔術を張り巡らせており、とっさに闇祓いの作法を発現させたユウリスも人質にされていたアルフレドとリジィを背に庇っているため、共に身動きが取れない。


 その隣では黒い風に苛まれたセオドアがなんとか意識を保とうと、唇を噛んで耐えている。


「父上、俺の後ろに! それで少しは楽になるはず!」


「私はいい。それよりアルフレドを連れて――ユウリス、横だ!」


 ≪シャイターン≫に気を取られすぎていたユウリスは、死角から接近する≪スペクター≫に気がつけなかった。亡霊の黒い触手が破邪の力を蝕み、闇祓いの光が消え失せる。少年もまた黒い風に呑まれ、皮膚の下を針で刺されるような激痛に晒された。


 その好機を見逃さず、暗殺者の一人が動く。


 白装束はアルフレドとリジィの背後に立ち、耳元で何事かをささやいた。セオドアが歯を食い縛って振るうレイピアを、もう一人のハサンが弾き飛ばす。


「さあ、ダーインスレイヴの元へ!」

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