07 ユウリスの戦い
空に二つの月が昇り、国営乗馬公園は
ただ試合の結果を口にするだけか、あるいは別の何かに触れるのか、期待と不安が入り混じる空気のなかでも、公爵の声に淀みはない。
「馬上槍試合、優勝者のアルフレドとユウリス――共にレインの名を継ぐ子が手を取り合い、
一部から漏れた失望と困惑の息は、大勢の拍手喝采が掻き消した。
競技場の中心では、収穫祭の仮装に着替えたユウリスとアルフレドに加え、ロディーヌ、ランドロフ、ミックも
目立つのが苦手だというリジィは、控え室で居残りだ。
ユウリスの足元に佇むリュネットは、係員が手にしている杖に目を輝かせていた。
「念願の、竜の牙の杖――ああ、とうとうやったわね、坊や!」
「落ち着いて、リュネット。アルフレド、あの杖だけど……」
「わかってる、くれてやるよ。それにしても馬鹿犬の次は、化け猫にとり
決勝戦の直後、傷の手当てを受けたユウリスは、アルフレドをはじめとした面々にケット・シーの事情を話した。春先に奇妙な怪物騒ぎに巻き込まれた経緯もあり、彼らが受け入れてくれたのは不幸中の幸いだ。
その場にはメディッチも現れ、床に頭を擦り付けてアルフレドに無礼を謝罪している。いつの間にか、ペローは姿を消してしまったらしい。
レイン公爵から優勝商品の授与が言い渡されると、係員がレイン家の二人に杖を差し出した。
「ではお二方、この杖を受け取られたら、仮面を外して祭壇にどうぞ。次は副賞の授与です。壇上から公爵にそれぞれ一つずつ、願いを口にしてください。わかっているとは思いますが、公共良俗に反する内容や、度が過ぎた金品の要求は通りません。貴賓席までは距離がありますから、大きな声でお願いします」
手に取った竜の牙の杖を、ユウリスが大きく掲げる。
客席からレイン家の子供たちを称える賛美が繰り返されるなか、ときには忌み子に対する謗りも混じるが、この小さな波紋は広がらない。
が大きく腕を振るったレイン公爵が、大衆を鎮めた。
「では優勝の
父の言葉を聞いたアルフレドは、不機嫌そうに腕を組んだ。
「ユウリス。お前、自分の願いを婚約者に譲るのを承知しろって言ったな?」
「ああ、そうだ。俺の番になったら、父上にそう申し出を――」
その言葉を最後まで聞かず、アルフレドは深く息を吸い込んだ。組んでいた腕を解いたレイン家の嫡男が、真っ直ぐにレイン公爵を見据えながら声を張り上げる。
「僕の願いを叶える権利は、キルデアのロディーヌ姫に譲る! 試合に至るまで槍持ちのユウリスを支え、影ながら戦い抜いた令嬢だ! 僕の栄誉は、すでに勝利によって満たされている! もう一人の勇者ロディーヌ・トリアスに盛大な拍手を!」
思わぬ展開に、面食らったのはユウリスだ。
「アルフレド!?」
事態についていけないロディーヌも、戸惑うように房毛を揺らしている。
当のアルフレドは気にした様子もなくユウリスの手から竜の牙の杖を奪い取ると、それを係員に預けた。
「下で待たされるのは我慢してやるが、荷物持ちなんて御免だ。景品は係員に預けるから、帰りに自分で受け取れよ。ほら、父上を待たせるな。さっさと女を連れて行け、ユウリス」
「待て、アルフレド。こんなのは駄目だ!」
「うるさい、黙れ、馬鹿。お前は最初から、僕の願う権利を奪えば良かったんだ。気を遣いやがって、侮辱された気分だ。ユウリスは甘いんだよ、いつもいつも。逆の立場なら、僕は躊躇わない。でも今日は婚約祝いだ、花を持たせてやる」
公爵に深々と礼をとったアルフレドは、そのままミックとランドロフのいる位置まで下がった。友人二人が、誇らしげに彼を出迎える。
もはやユウリスが呼びかけても、聞く耳は持たない。
さらにアルフレドは、唖然としているロディーヌから仮面を奪い去った。
「馬鹿が待ってるぞ、早く行け」
「アルフレドさん、私は願いなんて――」
「ユウリスは、自分の代わりにお前を立たせるつもりだったんだ。なにかあるんだろ、叶えたい夢みたいなのが。ほら、さっさとしろよ。ここでもたつかれたら、僕が馬鹿みたいじゃないか」
息を呑んだロディーヌは、両手を胸に添えた。
過去の追想は、もう終わりにしよう。
数日前の夜、ユウリスの前で踏みだした一歩を、嘘にはしたくない。
「アルフレドさん……ありがとう!」
決意を固めたロディーヌが、ユウリスと肩を並べて歩き出す。
リュネットは二人の旅立ちを見送りながら、傍らのアルフレドに生暖かい目を向けた。
「いいとこあるじゃない、さすが坊やの弟ね」
「僕をユウリスのオマケみたいに言うな、化け猫め。あいつは本当に、世話が焼けるんだよ。なんで僕が、ユウリスなんかのために!」
ぼやくアルフレドの両肩を、ランドロフとミックが軽快に叩く。
「やるじゃねぇか、アル」
「アルフレド、かっこよかったよ!」
二人に褒められても、アルフレドの胸は躍らない。淑女に栄光を譲るような男らしさを見せたい相手は、どうせ此処にはいないのだ――と、陰気に首をまわした少年の視線が、客席の一点で留まった。
「あれは……!」
想い人のナダが、最前列で大きく手を振っていた。傍らにはユウリスの友人である女児もいるが、それはどうでもいい。
ふやけた顔で両手を振り返すアルフレドに、友人二人は苦笑した。
「アル、台無しだ」
「リジィには見せられないね」
楽しそうにはしゃいでいるアルフレドに目を瞬かせながら、ユウリスはロディーヌを迎えた。突然の交代劇に非難の声はなく、むしろ盛り上がりは増す一方となっている。
同時に足を踏み出した二人は、ゆっくりと長い階段を登りはじめた。
「旦那様、私は少し怒っているのよ。願いを代わりになんて、聞いていませんでした。前から決めていらしたの?」
「ごめん、謝るよ。ロディーヌが医者になる夢を話してくれた日から、ずっと考えてた。リュネットの前じゃ言えないけど、優勝できるかどうかもわからないのに、大口は叩けないよ」
「もう、呆れた人。でも、ありがとう。でも、嬉しいわ。旦那様のお願いはやっぱり、婚約の破棄よね?」
頷きかけたユウリスは、返答に窮した。
祭壇と貴賓席は距離こそ開いているが、同じ高さにある。
頂上に達すれば、いよいよレイン公爵と対面だ。
父と子の、相容れない思想が胸を締め付ける。
「俺は――」
優勝の権利をロディーヌに譲ると決める前は、婚約の破談を申し出るつもりでいた。しかしいざ問われると、踏ん切りがつかない。
本当にそれでいいのだろうか?
そんな疑問が胸の内に渦巻く。
この瞬間を凌いでも、きっと父の方針は変わらない。
同じ明日を迎え、変わらない日常に回帰するのが関の山だ。
不意に、ロディーヌの言葉が脳裏を過ぎる。
――貴方は自分の境遇に酔っているだけよ!
いま思い返しても、目の覚めるような一撃だ。
変わらない居場所は心地良い。多少は不自由には、慣れてしまえる。繰り返す営みを、ぬるま湯とは呼ばない。幼馴染や友人、家族、絆を結んだ人たちは、確かに
それでもユウリスが望んだのは、いつだって理不尽からの脱却だった。
「ロディーヌの言う通りだ」
「旦那様?」
ユウリスは大きく息を吸い込んで、心の内に思いを馳せた。
闇祓いの力に覚醒したとき、胸に抱いた懐かしい気持ち。
市庁舎の戦いで受けた教えが、将来の展望を示した。
火竜を巡る騒動で得た矜持は、いまも深く刻まれている。
友人の遺志を、引き継ぐと決めた。
これまで経験した数々の出会いと別れが、ユウリスの背中を押す。
「俺の、本当の望み」
最期の階段を踏んだ二人は、とうとう頂上の祭壇に辿り着いた。
風は穏やかに流れるが、地上よりも空気が冷たい。
空には二つの月と、瞬く星々。
正面の貴賓席には、レイン公爵が佇んでいる。
視線を父に定めたユウリスは、腹を決めた。
考えは纏まらないが、思うままを口にしようと。
「ごめん、ロディーヌ。これから迷惑をかけるかもしれない」
「え、もう、なによ。よくわからないけれど、そんなの構いません。ここまで二人――いえ、リュネットも含めて、三人で来たのよ。いまさら遠慮なんかしたら、花嫁二人で叱り付けてやりますから」
「ありがとう。キルデアの女性は強いね」
レイン家の忌み子と、キルデアの姫。
二人がどんな願いを口にするのか、観衆が
レイン公爵は口を開かない。
じっと押し黙る父に、ユウリスが呼びかけた。
「父上」
胸が、切なさで締め付けられる。
親子の関係に亀裂が生まれたのは、意見の対立が原因だ。
トリアス家との婚姻を強引に進めた父と、家からの解放を求めた息子。
すれ違いの末路が、ここに決する。
揺るぎないユウリスの眼差しに唸りながら、レイン公爵は覚悟を決めた。
「では改めて、優勝の褒美を与えよう。願え、ブリギットのユウリス・レイン。そしてキルデアのロディーヌ・トリアス!」
望みを、叶える。
「俺は……俺の、願いは」
吐息が震える。
決心とは裏腹に、
緊張で鼓動は早鐘を打ち、唇が乾く。
焦燥に駆られた少年の手を、ロディーヌがそっと包んだ。
ぎこちない指先から伝わる少女の熱に、不安が溶けていく。
「ひとりじゃないわ、旦那様」
ユウリスは胸を張り、二人分の勇気で叫んだ。
「自由を――!」
積年の思いが、弾ける。瞠目するレイン公爵に、ユウリスは声の限り訴えた。
「自由が欲しい。俺は忌み子として、この街に迎えられた」
外した心の枷は、もう戻らない。
「呪われた子供、レイン家の恥辱、いろんな名前で呼ばれて、誰からも疎まれて、嫌われて、それを、ずっと我慢してきた。みんなは、この街は、俺のことが嫌いだ」
胸が潰れそうな、重い感情に襲われる。
決壊した感情が、
慣れていたなんて、嘘だ。
誤魔化していた自分への憤りが、語気を荒げる。
「そんなブリギットが、俺は大嫌いだッ!」
叫ぶ。
心臓が痛い。
「優しさがなかったわけじゃない。歩み寄ろうとしてくれた人もいる。友達もできた。ブリギットは憎いけれど、それでも故郷だ。本当は好きでいたいよ。笑って暮らしていける末来もあるって、信じたかった!」
幼馴染のカーミラ。下水道のサヤとナダ。同級生のミック。
脳裏を過ぎる大切な人たちと築く明日を、夢見ていた。
それでも、声を枯らさずにはいられない。
「けれど、過去は消えない。良いと思える一瞬よりも、苦しいと感じる時間が長過ぎた。好きになれるかもしれないと前向きになって、やっぱり無理だと俯く自分が惨めなんだ。ブリギットの全てが悪いわけじゃない。でも、それでも……ここに、俺の居場所はないと思う」
レイン公爵は眉間を指で押さえ、沈痛な面持ちで口を引き結んでいる。
女神の威光を恐れない者が、忌み子を罵る声を飛ばした。中傷は連鎖的に続くが、やがて尻すぼみになる。咎める声もなければ、呼応する者もいない。
目頭が熱くなるのを自覚しながら、ユウリスは更に踏み込んだ。
引き返す道はない。
願いはひとつだ。
「だから、旅立つ。どうか、俺の意思を尊重してほしい。忌み子は望まれずにブリギットの土を踏んだ。今度は、自分の足で出て行く」
婚姻による追放を、拒絶する。
未来は、自分の手で切り拓く。
その意思表示は、言外の非難を孕んでいた。
なぜ十四年前、私生児の自分をブリギットに連れ帰ったのか。ブリギットでない街に捨て置かれたならば、凶事とは縁なく生きられたかもしれない。裕福な生活はなくとも、心の豊かな日々を過ごせたはずだ。
もしもの世界すら羨む息子の姿に、レイン公爵は唇を噛んで悔恨に暮れた。
「ユウリス――」
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