05 義兄と義弟

「それではこれより馬上槍試合、幼年の部、決勝戦を開始する」


 最終戦も東側となったレイン家の義兄弟は、日差しを正面から受けて目を細めた。しかし位置取りもくじで決まるため、異議申し立ては通らない。例年は太陽が傾く前に雌雄が決するため、ここまで試合が長引くのは運営側も計算外だ。


 これも女神の試練と割り切り、ユウリスは槍をきつく握り締めた。


「一合目、始め!」


 ヤァ、と腹の底から声を張り上げ、アルフレドが手綱を引いた。


 軽快に土を蹴る馬の嘶きは雄々しく、振動に乱れはない。


 両者の距離は瞬く間に縮まり、騎手が同時に身を前に倒した。


 手首を返すメディッチの仕草は、リジィの調査によると大降りの合図だ。


 俊敏に肩を狙えば、相手を封殺して先手を叩きこめる――ユウリスが柄を握る腕を引き絞り、交差の直前に槍を撃ち放った。


「タァッ!」


 しかし瞬間、メディッチの表情を愉悦が彩る。


「やれ、ペロー!」


 刹那、ユウリスの腕を不可視の引力が襲い、槍を外側に弾く。


「なっ!?」


 矛の狙いは大きく外れ、逆にメディッチの槍がユウリスの鎧を殴打した。竹槍の威力とは思えない衝撃が、少年で胸部で爆発する。


 その反動はすさまじく、騎手のアルフレドまでもが大きく体を揺らした。


「なんだ、おい、どうした!?」


 ケットシーのペローは槍避けの加護に加えたばかりか、メディッチの槍に雷撃の魔術を仕込んでいた。まるで砲撃でも受けたかのようにユウリスの胸当ては変形しており、アルフレドの呼びかけに応える余裕すらない。


「ぐ、はっ、かは――」


「ユウリス⁉」


「雑魚が、とっとと落ちろよ!」


 すれ違い様に嘲笑したメディッチの肩に、猫の輪郭りんかくが現れた。でっぷりとしたケット・シーが醜悪の笑みを浮かべて、またすぐに消える。


 ユウリスは強烈な痛みで頭が真っ白になり、姿勢が保てない。落馬寸前の少年が意識を保てたのは、アルフレドの悲痛な呼びかけのおかげだ。


「おい! 馬鹿! 絶対に落ちるなよ! 落ちたら終わりだからな!」


 義弟の背に寄りかかったユウリスは、なんとか失格を免れた。しかし痛手は尋常ではなく、その姿ははた目にも限界に見える。


「しっかりしろ、ユウリス! なにやってんだ!? いまの、どうして外すんだよ! くそ、おい、返事しろ。生きてるんだろうな、ユウリス! ユウリス!」


 ユウリスは歪んだ甲冑に胸を圧迫され、呼吸も危うい状態だ。


 大きく振られた赤い旗に悪態をつきながら、アルフレドは馬首を返して仲間たちの下に帰還した。


「大会の槍で、こんなのありえないだろ……」


 東側の自陣で鎧を脱がされたユウリスは、咳込んみながら意識を取り戻した。


 新しい鎧を身に着ける猶予は与えられるが、休憩は認められない。


 ランドロフとミックが胸当ての装着にもたつくふりで時間を稼ぐ間、痛みに喘ぐ少年は頭から水を被って気を落ち着けた。


「悪い、アルフレド。しくじった」


「ああ、そうだな、この大馬鹿。でも、さっきのがおかしいっていうのは僕にもわかるぞ。お前の槍、急に逸れたよな。それに鉄の鎧が歪むなんて、どう考えても竹槍の威力じゃない!」


「坊や、ペローの仕業よね⁉」


 憤慨して声を発した白猫に、ユウリスとロディーヌを除く面々が目を丸くした。


 しかし、もはやリュネットは正体の露見など気にも留めない。


「だから言ったのに!!」


 メディッチがペローという妖精の加護を試合に悪用していることを一方的に捲し立てたリュネットは、怒りのまま全身の毛を逆立たせた。



「こうなったら四の五の言うのはなしよ。こっちもあたしの加護を与えるわ。連れて行きなさい!」


「おい、ユウリス、なんだ、どうなってるんだ、この猫、しゃべってるぞ⁉ ケット・シーなんて御伽噺の話じゃないのか?」


 敵が不正を働くなら、此方が正道に拘る理由はない。


 大口を上げて混乱するアルフレドを無視して、ユウリスはリュネットを抱き上げた。ケット・シーの姿はパッと消え失せるが、腕の重みは変わらない。ペローと同じく、魔術で姿を透明化したのだ。


「傍にいないと、坊やに魔術が使えないわ。このままあたしを馬に乗せるのよ。肩にしがみつくから、試合中は気にしなくていいわ」


「わかった、馬は揺れるから落ちないようにね」


「おい、ユウリス、なんだ、そいつを連れて行くつもりか、冗談だろう⁉」


 説明したいのは山々だが、時間がない。


 審判に急かされた二人は、慌てて騎乗した。


 透明なリュネットが、少年の腕から肩に移動する。


 ユウリスは受け取った槍の柄を振るい、不安がる義弟の脛を軽く打った。


「アルフレド、詳しい話は後だ。まずはメディッチに勝つ。大丈夫、次は負けない」


「さては、その猫も怪物だな!? 僕に変なものを近づけやがって!」


「あたしは怪物じゃなくてケット・シー。つべこべ言ってると、あんたの家に猫をけしかけるわよ。いいから坊やの弟は手綱に集中しなさい!」


「なんて言い草だ、僕はアルフレド・レインだぞ!」


「ご機嫌よう、坊やの弟。あたしはリュネットよ」


 挑発的なリュネットと苛立つアルフレドの応酬は、審判の合図で終止符が打たれた。メディッチが客席を煽るように槍を掲げると、観衆の昂ぶりは頂点に達する。


「馬上槍試合、決勝戦、二合目、始め!」


 軽快に脈打つ馬の躍動に、ユウリスの表情が歪んだ。


 右の胸部からわき腹にかけてはしる、強烈な鈍痛。血液が沸騰するように身体が熱く、吐き気を催す。先ほどまでは意識が朦朧もうろうとして気付けずにいたが、メディッチの一撃で肋骨ろっこつが折れていた。


 背中で乱れる呼吸を察したアルフレドが、肩越しに振り向く。


「おい、まさか怪我してるのか。いや、なんともないほうがおかしいか……お前、大丈夫なんだろうな⁉」


「前を見ろ、アルフレド!」


 強気に返したいが、喉を震わせるだけでも傷に響く。


 決戦は迫り、すでにメディッチの悪辣につりあがる口元が視認できる距離だ。


 身体の内側から突き破るような刺激を奥歯で噛み締め、ユウリスは槍を構えた。


 障害物を挟んで、二頭の馬が交差する――ペローが展開する槍避けの魔術を、リュネットの加護が中和する。


「あたしの坊やにこれ以上の手出しをしてみなさい、あんたを丸焼きにしてモルガンの宮殿に送りつけてやるわ!」


 ユウリスの腕が、しなやかに伸びた。


 鍛え抜かれた腕の繰る槍が、疾風の化身となって放たれる。


「タァッ!」


 ここで単純な技量では及ばないと悟ったメディッチが、防御に徹した。


 矛は柄で弾かれ、旗は上がらない。


 しかし渾身の一撃を決め損ねたユウリスは、そこで力尽きてしまう。


 一合目に受けた傷が、身体を蝕んでいた。


 白目を剥いて倒れそうになる少年の身体を、機転を利かせたリュネットが何とか押し支える。


「坊や、しっかりして、坊や!」


 闇祓いとして負ってきた数々の致命傷に比べても、今回は具合が悪い。折れた肋骨が肺を圧迫し、呼吸を困難にしている。


 拠点に戻ると同時にミックとランドロフの手で馬から下ろされたユウリスは、もはや自力で立てないほどに消耗していた。


 異常を察した審判が棄権を促すが、アルフレドが憤然と拒絶する。


「鎧がちゃんと着けられていなかったんだ。いまやり直すから、ちょっと待ってくれ!」


 時間稼ぎに甲冑を外されたユウリスのシャツを、ロディーヌが素早く捲りあげる。脇腹から腹部までが赤黒く腫れ上がり、内出血は確実だ。


 透明化を解除したリュネットも、思わず息を呑む。


「最初の一撃目が、相当ひどかったみたいね。お嬢ちゃん、どうなの?」


「こんな状態で試合なんて、考えられない」


 目に涙をたたえたロディーヌが、アルフレドに噛みついた。


「アルフレドさん、これ以上は無理だわ!」


「僕は棄権しないぞ」


「旦那様が死んでしまうわ!」


「何度も言わせるな、僕は棄権しない!」


「ひどい、家族が傷ついているのに、なんとも思わないの?」


「他人が知ったような口を利くな!」


「そう、なら、私に鎧を着せてちょうだい。そんなに勝負がお望みなら、私が旦那様の代わりを務めます!」


「そういう問題じゃない」


 アルフレドは吐き捨て、歯痒そうに唇を震わせた。


 顔を見合わせたミックとランドロフが、素直になれない親友の背中を叩く。


 気休めの薬草をユウリスの患部かんぶにあてがっていたリジィも、眉尻を下げて嘆息した。


「アルフレド、ちゃんと言わないと伝わらないこともあるわ」


「う、うるさいぞ、お前ら。いいか、ユウリスの婚約者。僕は棄権なんて御免だし、そもそも代役は認められていない。事情はよくわからないが、ユウリスが身体を張っているのは、そこにいる化け猫のためなんだろうが!?」


 全員の視線が集中する先で、リュネットは労わるようにユウリスの頬を舐めていた。ただじっと慈愛の眼差しを向け、か細い呼吸を繰り返す少年の身を案じている。


「もういいわよ。坊やはよくやってくれたわ。あたし、なんだかそれだけで満足しちゃった。ありがとう、坊や――」


「勝手に終わらせるな、化け猫!」


 アルフレドが額に青筋を立て、怒鳴りつける。


 あまりの剣幕に耳と尾をぴんと立たせたケット・シーに、彼は地団駄を踏んで思いの丈をぶつけた。


「いいか、僕はユウリスが大嫌いだ。僕より剣が上手いのが気に食わない。善人面でカーミラに好かれたのが腹立たしい。いじめても折れないのが生意気だ。僕のことを気にかけないばかりか、父上に特別扱いされるこいつが、心の底から憎い!」


 臨戦態勢で待機しているメディッチが、戦えないなら失格だ、と審判に抗議する。しかし客席の熱気は、最後の試合が呆気ない幕引きとなるのを許さない。最後まで戦えと、大衆が鞭を打つ。


 計らずとも勝利を目前に控えていた選手の発言を引き金にして巻き起こった野次と怒声が、審判の判定に猶予を与えた。


 アルフレドは場内の様子など気にも留めず、ユウリスの側面に大股で回り込んだ。


「これだけ僕をイラつかせる奴は他にいない。人当たりは良いくせに、変なところで頑固なのが癪に触る。自分がやられても我慢できるのに、他人のためには絶対に退かない偽善者ぶりには虫唾むしずがはしるんだよ!」


 アルフレドとユウリス。


「僕は、お前なんか大嫌いだ」


 義弟おとうと義兄あに


 腹違いとはいえ、レイン家に籍を置く二人には本来、義理の文字など必要はない。しかし公爵夫人の妄執や忌み子の噂、父であるセオドアの沈黙、ユウリスの卑屈さとアルフレドの劣等感が家族に深い溝を生みだしていた。


「僕が本気でぶつかっているのに、お前はこっちを正面から見ようともしない。自分は私生児だから、忌み子だからって言い訳ばっかりしやがって。負けるのが怖いんだろう、ユウリス。お前は卑怯者だ」


 傲慢に罵るアルフレドに、ロディーヌとリュネットが同時に抗議の声を上げた。


「旦那様はそんな恥知らずじゃありません、アルフレドさんこそなにもわかってないのよ!」


「あんた、さっきから聞いてれば言いたい放題――坊やはいつだって真剣よ。そりゃ、ちょっと自分に無頓着なところは否めないけれど、この子は誠意を忘れたりしないわ!」


 しかしアルフレドは揺らがず、ユウリスに寄り添う婚約者とケット・シーを憤然と見返す。


「だったら! 外野が簡単に辞めるなんて言うな! ここでお前らが諦めたら、この馬鹿が馬鹿なりに馬鹿をした意味がなくなるだろうが! 女と怪物に庇われて、自分が知らない間にぜんぶが終わっているなんて、僕なら絶対に冗談じゃないって思うね!」


 鼻息を荒くしたアルフレドは、勢い任せに義兄あにの脇腹を蹴り上げた。


 ロディーヌが悲鳴を上げ、リュネットが牙を剥いて威嚇する。


 塗られた薬草が飛び散ると、ユウリスが苦悶に喘ぎながらまぶたを開いた。


「アル、フレド……?」

「起きろ、ユウリス!」

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