06 市長選挙
それからも二人の板ばさみにあいながら、ユウリスの収穫祭巡った。
路上では寸劇を披露する駆け出し演者に事欠かず、どこを歩いても琴や笛、太鼓の音色も途絶えはしない。歌姫が吟声を響かせれば誰彼構わず手を取り合い、その場で舞踏会が開かれる賑やかさだ。
「旦那様、あちらの古文研究会というのを見てきてもいい?」
「坊や、弓矢の的当てがあるわよ。男を見せない!」
矢の的当てに挑戦したユウリスは弾いた弦が手の甲を
「やったわ、旦那様。見て、ステファニー・ラルエルの詩集を頂いたの。これ、紙の本よ」
「すごいね。俺は包帯と薬草を銅貨二枚で買わされた」
「もう、だらしない坊やね。乗馬といっしょに弓も教えてもらいなさい。ねえ、向こうの人だかりはなにかしら。ラッパの音が聞こえるわ!」
公開処刑は大衆の娯楽だ。
凄惨な裁きを世間の目に晒せば、犯罪の抑止に繋がるとも考えられている。音色に惹かれて
リュネットが嫌そうに首を振り、うえ、と舌を垂らす。
「ちょっと坊や、これは趣味が悪いわ。こんな見世物だと知っていたら、無視したのに。ここにいる全員、同じ人間が殺されるのを楽しみにしているわけ?」
「確かに盛り上がっているね。でも毎年、これが東地区の目玉らしいよ。俺もあんまり好きじゃないから、見るのは初めてだけど。ロディーヌも怖がらせたら可哀想だし、他に行こうか」
「子供扱いしないで、旦那様。公開処刑は司法が正常に機能し、治安が保たれている証と聞きます。民の娯楽なら、私にも勉強が必要よ。ほら、は、はじまるみたい!」
しかし一人目の罪人が腕の肉を徐々に削られはじめると、ユウリスとロディーヌは顔を真っ青にして背を向けた。痛々しい姿に気分を害し、すぐに処刑場から退散する。
少年の肩で、リュネットが呆れたように嘆息した。
「人間は、つくづく度し難いわ。同族を殺して享楽に耽るなんて、ほんっと野蛮ね。ほら、冷たいものでも飲んで落ち着いたらどう?」
「わかった。じゃあ、馬上槍試合の受付も済ませたいし、どこかの休憩所に寄ろう。ロディーヌ、辛かったら肩を貸すよ」
「平気。ありがとう、旦那様。いえ、駄目。どうしよう、今夜は眠れそうにないわ。夢に見てしまいそうだもの!」
「二人とも、しょうがないわね。帰ったら、ブラムに特製の薬膳茶を作らせるわ。気が晴れて、ぐっすりと寝られるはずよ」
ほっと胸を撫で下ろしたユウリスたちは、休憩を挟んで馬上槍試合の受付に赴いた。会場は東地区の国営乗馬公園で、参加受付の締め切りは本日だ。
「けっきょく、旦那様が馬に乗れない問題はどうなさるの?」
「練習するしかないかな。とりあえず、受付だけは済ませておかないと」
しかしユウリスは、そこで若い男性の係員から衝撃の事実を知らされた。
「え、幼年部の試合は二人一組なんですか?」
「なんだ、ちゃんと募集概要を読んでいないのか。そう、幼年部は、馬を操る騎手と槍を振るう戦士の二人一組が参加条件だ。ちなみに試合は六日後、試合は勝ち抜きのトーナメント方式で行われる。ほら、ちょうどカロッソ兄弟が練習中だ」
係員が示した走路では、製粉所のカロッソ兄弟が二人で一頭の馬を駆る様子が見受けられる。甲冑に身を包んで槍を振るうのが大柄な兄で、色鮮やかな勝負服で手綱を握るのは細身の弟だ。
「参加費用は二人で銅貨四十枚。今年の優勝賞品は竜の牙の杖だ。あとは毎年、可能な範囲で公爵閣下が望みを叶えてくださる――ていうかさ、その髪色。お前、忌み子のユウリスだろう。なんで知らんのだ?」
「ちょっと貴方、祭りの最中は俗世のしがらみを忘れるはずでしょう。忌み子だかなんだか知らないけれど、楽しい収穫祭でまで旦那様を貶しめることないじゃない!」
横から首を伸ばしたロディーヌが、噛みつかんばかりの勢いで声を荒らげた。次いで白猫にまで威嚇され、係員が両手を上げて後じさる。慌ててユウリスに謝罪した彼は、面食らったまま少女と猫を交互に眺めた。
「わ、悪かったよ、本当にすまなかった。けど旦那様って君、カーミラお嬢さんじゃないよな。まさかユウリス・レイン、他の女と結婚するつもりか。そりゃ、荒れるぞ。それに、白猫も。白狼様はどうしたんだ?」
「父の命令で、白狼は屋敷から出せません。あいつも、人混みは好きじゃないし。例年より少ないとはいえ、収穫祭には観光客が来ますから。それと彼女のことは事情があって、詮索されたくありません。できれば噂にせず、黙っておいてくれると助かります」
「ああ、わかったよ。失言の
ああ、とユウリスはすぐに気がついた。義妹の迎えに訪れた教会で、手引きをしてくれた男性職員に似た面影がある。雑談を交わしていると、不意に大通りがざわめきだした。
見れば、人の流れが中央区へと一斉に動きだしている。
係員が、もうすぐセント・アメリア広場で市長選挙の立候補者が演説をはじめる時間だ、と教えてくれた。
「まさか市長選を収穫祭にぶつけるなんてな、公爵閣下は大胆だ。レイン家としては、やっぱり現職のキャロット市長を応援するのか?」
「父は政治を家に持ち込みません。俺も一市民として、自分の信じる人に票を入れます」
本来の投票日は前月だが、情勢不安からひと月の延期が決定した。
収穫祭と市長選挙の同時開催を決めたのは、ユウリスの父でもある豊穣国ブリギットの盟主セオドア・レイン公爵だ。エーディンとダグザの緊張が高まり、観光客の減少が見込まれた収穫祭を盛り上げる目的とも聞いている。
係員は呆れたように肩を竦めた。
「ダグザとエーディンのいざこざに、ブリギットが巻き込まれるのは勘弁だよな」
投票日は収穫祭の後半だ。収穫祭の前半は連日、候補者の演説や
「キルデアでは、こんなに賑やかな選挙はないの。ねえ、旦那様。私、演説を聞いてみたい!」
「わかった。じゃあ、次は選挙演説を観に、中央区へ向かおう。とりあえず、受付だけ済ませるから少し待っていて。あの、同行者はすぐに決めなくていけませんか?」
「いや、試合当日に連れてくれば問題ない。参加者の途中交代は認められないから、注意しろよ」
ユウリスはひとまず費用を支払い、参加者の証である
次に足を向けるのは選挙演説の舞台となるブリギット市中央区、建て替えられたばかりの市庁舎前だ。聖女アメリアの彫像を頂く噴水の広場で、候補者が日替わりで選挙活動を行う。収穫祭初日、設営された壇上に立つのは若い男性の市議員だ。
ロディーヌが問うまでもなく、会場の熱気が立候補者の名を教えてくれる。
キーリィ・ガブリフ!
ガブリフ議員!
キーリィ様!
熱い声援に応え、候補者が雄々しく片腕を突き上げた。歓声はひときわ激しく、地鳴りのように広場を
うなじで結われた癖のある赤い長髪を揺らし、彼は広場の端から端までを見回した。きりっとした太い眉、紅蓮の瞳に闘志を燃やす男。実年齢は三十の半ばほどだが、外見はひとまわり若い。議会の正装である臙脂色の外套を羽織り、乱れなく背広を着こなした美丈夫だ。
祭りの期間中だが、選挙候補者に仮面はない。
清廉な声が、伸び伸びと蒼穹に映える。
「諸君、ブリギットは変わらねばならない!
いいか、もう一度言おう――ブリギットは、変わらねばならない!
ブリギットに変革を!」
キーリィ・ガブリフ議員が拳を振るうと、観衆も同じ動作で喉を枯らす。ブリギットの変革を訴える声が、一糸乱れずに木霊した。彼の身振りが指揮者の役割を果たし、呼吸が揃う。
熱気と迫力に気圧されたロディーヌが、ユウリスの服の裾を握りしめて不安そうに房毛を揺らした。
白猫は肩の上で、うるさい、と前脚で耳を塞いでいる。
「ありがとう。選挙期間中、どうかこの言葉を忘れないでほしい。
では何を変えるのか。僕が掲げる改革は三つ。
一つ、税制の改革! 地元商店の減税、外資商会の増税、金融手数料の撤廃!
二つ、事業の改革! 公共事業の透明性確保、地元商店の優遇入札!
三つ、潔白の改革! 外資商会との癒着摘発、汚職職員の逮捕、そして因習からの解放!
いま、僕が挙げた三つの案は、本来はどれひとつとして改革とは呼べない。なぜならば、これらはすべて、当たり前のことであるからだ。誰もが声をあげてきた。だが市は聞き入れず、諸君らは
キーリィ・ガブリフの人気は本物だ。
ゴーレムの群れでさえ持て余したセント・アメリア広場には人が溢れ、中央区の大通りまで聴衆が押し寄せている。気がつくと人と人の間隔が狭まり、身動きすら不自由になっていた。
誰も彼もが話題の議員に熱い視線を注ぐばかりで、周りが見えていない。
これまで経験したことのない混雑に、ロディーヌは身を竦ませた。
「なんだか、怖い……」
怯えた少女の房毛が、しおれたように垂れる。それを見たユウリスは、彼女を背後から抱きしめた。
「ロディーヌ、離れないで!」
「だ、だだだ、旦那様、こ、こんな公衆の面前で!」
腕のなかの少女が戸惑いと抗議の声をあげるが、聞き入れる余裕はない。ひとまず群集から抜けるための隙間を探る。大人たちの壁に遮られ、もうキーリィ・ガブリフの顔も確認できない。
「どうにか抜けられないかな……って、あれ?」
周囲に視線を巡らせていたユウリスは、ここで思いがけない顔を目にした。
「ボイド?」
観衆に紛れる、中年の男。
彼はブリギット市の旧下水道に住む棄民だ。
粗末な仮面で素顔を隠しているが、彼が纏う礼装に見覚えがある。じっと壇上を見据える眼差しは、誰よりも厳しい。
「まずは中小零細商店の減税、
なかなか混雑を抜け出せない少年少女に、思わぬ助け舟が現れた。不意に伸びる細腕が容赦なく、ユウリスの耳を引っ張る。
「こっちよ」
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