04 竜の牙の杖

 宵の更けを、オリバー大森林の鐘が報せる。


 ブリギット市郊外から日替わりを告げる鈍い音が響くなか、ユウリスとロディーヌは改めて椅子に腰を下ろした。向かいにはテーブルの上に佇むリュネット。控えているブラムは、口許に両手の指でバツを形作っている。決して言葉を発しないという意思表示だ。


「まず、ケット・シーに関して説明が必要かしら?」


 リュネットの質問に、ロディーヌが頷いた。図鑑で読んだ知識だけでは不安で、ユウリスも続けて首肯する。


 説明ならば自分の出番とばかりに身を乗りだしたブラムの鼻先を、跳躍したケット・シーの尾が景気よくひっぱたいて黙らせた。


「あたしを見てわかる通り、ケット・シーは猫の姿をした妖精よ。棲み処は近くの森。こうして人の言葉も介せるし、魔術だってお手のもの。ああ、性別は女よ。だから坊や、結婚は問題ないわ」


「大有りよ!」


 椅子から腰を持ち上げたロディーヌが、憤然と卓を叩いた。


 最初の一睨みはユウリスに向けられ、なぜ何も言わないのか、と責め立てる。次にブラムに敵意が向いたのは、先ほど驚かされた恨みからだ。最後にリュネットへ視線を定めた貴族の令嬢は、語気と鼻息を荒らげて人差し指を突きつけた。


「さっき話したでしょう、ユウリス・レインはトリアス家の婿になるの。いきなり人の屋敷に踏み込んできて、伴侶はんりょまで奪おうなんて図々しいにもほどがあります。帰って、いますぐに!」


「落ち着きなさい、二号さん。決定権は、坊やにあるはずよ」


「二号さん⁉ 二号ってなによ、百歩譲って和解したとしても、二号は貴女のほうでしょう⁉」


 一号も二号もよくわからない、と溜め息をつくユウリスに、ブラムが片目を瞑って頬笑んだ。彼の真意も理解に及ばず、憂鬱ゆううつな気分は深まるばかりだ。しかしリュネットの話には気になる点がある。


 花嫁候補が言い争う隙を突いて、ユウリスは声を伸ばした。


「あの、リュネット。ブリギットの指環の在り処を教えてくれるって、本当なの?」


「ねえ、旦那様。さっきから、その、ブリギットの指環ってなに?」


 疑問を呈したのはロディーヌだった。ユウリスは少し迷いながら、掻い摘んで事情を明かした。春先以降、ブリギット市では怪物絡みの怪事が頻発している。


 原因、目的ともに不明の現在、唯一の手掛かりは市庁舎占拠事件を起こした死霊の王≪リッチ≫が求めた二つの至宝だ。


「女神ダヌが、聖女に授けたと伝わる剣と指環」


「伝説のお話でしょう?」


「剣は実在した。だからきっと、もう一つもあるはずだ」


 ブリギットの指環。


 ユウリスは闇祓いとして、女神の至宝が街から悪意を退けると信じて探し求め――いま、ケット・シーから手掛かりがもたらされた。


「ブリギットの指環は魅力的な報酬だ。でも、俺の探し物をケット・シーが知っているのはどうして?」


「坊やは妖精の丘じゃ有名人よ。運命の刻印を押されたってだけでも大騒ぎなのに、悠久幻影霊廟を破り、分岐点の有力な候補者にまでなれば、誰だって注目するわ」


「ごめん、いろいろなに?」


 妖精の丘。


 運命の刻印。


 悠久幻影霊廟。


 分岐点。


 候補者。


 身に覚えがない単語の羅列に、ユウリスは困惑した。リュネットは思わせぶりに笑うばかりで、疑問に答えを与えるつもりはない。人を惑わすのは妖精の性分だ。


「なんのことかわからないけど……」


 理解を諦めたユウリスは、ひとまず本題に軌道を修正した。


「そもそもリュネットは、どうして俺と結婚したいの?」


「はあ、バッカじゃないの。お子様と婚礼をあげたいなんて、本気で思うわけないじゃない。鏡見てから出直してらっしゃい」


「ロディーヌ、お客様を玄関まで見送って、聖水を撒いておこう」


 席を立とうとするユウリスの手に、待ちなさいよ、とケット・シーが飛び掛る。爪は立てず、肉球で引き止めるのは、リュネットなりの誠意だ。


 少年の腕にしがみつき、白猫はぐっと首を伸ばした。


「あたし、望まない結婚を強いられているの!」


「それ、俺と同じ――」


「旦那様、いまなんて?」


 思わず口走った本音に、ロディーヌが噛みつく。しかし彼女を無視して、リュネットは腕をよじ登り、ユウリスの肩にしがみついた。


 金色の瞳が、至近距離で少年を覗き込む。


「あたし、ペローって嫌な奴と結婚させられそうなの!」


 鬼気迫るケット・シーの様子に、少年と少女は思わず顔を見合わせた。二人とも、本気で困窮している相手を無下にはできない性分だ。


 仕方ないな、と嘆息して、ユウリスは先を促した。


「まずは事情を話して」


「いいわ、これはケット・シーの宴会で起きた話なんだけれど――」


 すべてはリュネットが、同族のペローから受けた数百回の求婚に端を発している。しかし彼を生理的に受け付けない彼女は、誘いをことごとく袖にし続けてきたという。


 それを聞いて感嘆の声を零したのはロディーヌだ。


 房毛をぴんと伸ばし、驚愕に目を丸くしている。


「数百回、すごい情熱ね!」


「断る身にもなって頂戴。そのたびにあいつの武勇伝を聞かされるんだから。ともかくあたしは、微塵みじんも心を動かされないわ。でも、あの宴席では少し酔っていたのよね」


 噂話や陰口が好きな彼には辟易としており、少し困らせてやろうと悪戯心が働いた。軽い気持ちだったのよ、とリュネットは言い訳がましく目尻を下げる。


「竜の牙を一ヶ月以内にくれたら結婚するわ、その代わり用意できなければ二度と目の前に現れないでちょうだい――そう、約束してしまったの。ちなみに七日後がちょうど一ヵ月後よ」


 妖精の婚礼に穢れは持ち込めず、盗品や模造品では成立しない。竜種は個体数も少なく、非力なケット・シーが竜の牙を手に入れるのは不可能だとリュネットは考えた。


 そこまで聞いたユウリスは口許を片手で覆い、ロディーヌも得心したように頷く。


「あ、俺、わかったかも。もしかして収穫祭の景品?」


「私も知っています。確か、馬上戦の優秀者に与えられる賞品でしょう。青年部がミスリル銀の槍と盾。幼年部は竜の牙の杖ね。セオドア様のお許しで、いまは貴族でなくても参加できると聞きました」


 収穫祭には様々な催しがあるが、最も盛り上がるのは馬上槍試合だ。騎乗した戦士が一対一で競技場を駆け、槍を振るい相手を倒すことを目的とする。毎年、貴族連盟の出資で用意される豪華な賞品も有名だ。


 街の大きな話題は当然、ユウリスにも届いている。


「そう、確か年少部の賞品が竜の牙の杖だ。でも、ペローもケット・シーなんだよね。馬上試合は人間の競技だ。妖精は参加できないし、盗むのも駄目なら、相手はどうやって手に入れるつもりなんだ?」


「ペローはずる賢いから、人間に力を貸りるつもりよ。竜の牙と引き換えに、優勝の名誉を与えようって魂胆ね。たぶん、参加者の誰かがペローの加護を受けているはずだわ。あいつ、あたしが逃げないように異界へ閉じ込めようとしたのよ。ほんっとに信じられない!」


「そんなことで異界を発生させないでほしいんだけど……」


 そんなこと、と口にした瞬間、ユウリスは腕を爪で引っかかれた。当人には大事だろうと、失言を謝罪する。


 追われている理由は理解したが、それでも腑に落ちないとユウリスは首を傾げた。


「それがどうして、俺と君が結婚する話になるの?」


「バカね、ちょっとは考えなさいよ。あたしと会話が可能で、ペローからも守れて、代わりに竜の牙を獲れる人間なんて、坊やの他にいないでしょう。速やかに結婚しないと、他の手段で竜の牙を用意されたときに面倒じゃない」


 つまり竜の牙の杖を入手させ、リュネットと結婚する相手として白羽の矢を立てられたのがユウリスだ。当人からすれば迷惑このうえない。しかしブリギットの指環という取引材料は魅力的だ。


「妖精も重婚は許されないんだね。俺が竜の牙を手に入れて、先に君と結婚する。そうすれば仮にペローが別の手段で竜の牙を手に入れても、君を花嫁にはできない?」


「そういうこと。形だけでも結婚すれば、ペローも諦めるはずよ。披露宴を終えたら元の生活に戻してあげるし、ついでにスク――じゃない、ブリギットの指環の在り処も教えてあげる。利害は一致しているんじゃないかしら」


 ロディーヌが眉をひそめ、とりあえず手近な誰かと結婚すれば、と代案を提示するが、白猫の尾がひらりと動いて却下された。


 竜の牙という条件を提示した時点で、婚姻の約束は魔術的な儀式だ。反故にすれば思いもよらない不幸に見舞われる。それはペローも同様だ。互いに妖精世界の理と、交わした誓約において挑まねばならない。


「とにかく、あたしの平穏と末来、そして坊やはブリギットの指環のため、運命共同体よ。二号さんも心配しなくていいわ、婚姻が成立しても一晩で返してあげるから。万事上手くいったら、べつにお礼も準備するつもりよ。竜の牙が手に入るまでは、ブラムを手足のようにこき使って構わない――って、あら、ブラム?」


 いつの間か、吸血鬼は姿を消していた。耳を澄ませば、鎚を振るう音が玄関から響き渡る。ブラムは、壊した扉の修理をはじめていた。我が手で修繕を、と口にした言葉を実践しているようだ。


 魔術を使うわけじゃないんだ、とユウリスが頬を引きつらせる。


「なんか、想像していたノスフェラトゥと印象がだいぶ違うんだけど、彼は本当に安全なの?」


「あたしの護衛よ。安心なさい、街の人間を襲って血を吸うような真似はしないわ」


 でも、とユウリスは顔をしかめた。


 図鑑によれば、吸血鬼の食事は人間の血液だ。例えば殺傷はしない、悪人の血を吸うという条件があったとしても、闇祓いが看過して良いのかは判断に迷う。


 そんな少年の憂いを、リュネットは一蹴した。


「ヴァンパイア・ロードともなれば、牙を突き立てて血なんか吸わなくても、人間の生命力をこっそり頂くなん易々と成し遂げるわ。もちろん、実害は出さずにね。それとも坊やかお嬢ちゃんが生贄いけにえになってくれる?」


 怯えるロディーヌを庇うように、ユウリスは腕を広げた。リュネットは、からかったのよ、と目元を笑わせながら前脚で頬を掻く。


「ブラムはあたしに絶対服従なの。そうね、これも取引のひとつよ。ヴァンパイア・ロードは何も面倒を起こさい。それどころか、むしろ坊やに貸しをつくるわ」


「それを素直に信じろって?」


「いま力ずくで事を成していないのを、証左と思いなさい」


「もし断ったら?」


「あたしとブラムに≪ゲイザー≫と対立するつもりはない。ええ、そうね、坊やの助力が得られないのなら、別の手立てを考えるしかないでしょう。だから、ちゃんとお願いをするわ。≪ゲイザー≫ユウリス・レイン。あたしを助けてちょうだい」


 大きく息を吐いて、ユウリスは唇を指で撫でた。かたわらのロディーヌが、まさか受け入れるつもりじゃないでしょうねと、いきり立つ。彼女の懸念はもっともだが、素直に協力を求める声を無碍にはできない。


 人と怪物、あるいは妖精、それらを種別で断じるのではなく、向き合うと決めたのだ。そう考えると、ブラムに対して剣を抜いた浅慮せんりょが悔やまれる。


「その話に乗るとしても、ひとつ問題がある」


 ひとつどころかたくさんあるわ、と不満げなロディーヌ。


 ブラムがなんとかするでしょう、と他人任せなリュネット。


 二人の花嫁を前に、ユウリスは目を泳がせて告白した。


「俺、馬に乗れないんだ」

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