12 審問会

 諸外国からの要人を迎えるにあたり、ブリギット市には三棟の迎賓館が存在する。そのなかでも西区の玲瓏館は、最も歴史が古い。細部の意匠が全体の調和を形作る、芸術性の高いグレスミアン建築様式の建造物だ。


 修繕中の市庁舎に代わり、市の行政機関は玲瓏館へ移されている。病院まで迎えに来た馬車に乗り、ユウリスへ西区へと揺られた。


「地震、やっぱり凄かったんだな」


 途中、車窓から覗いた景色に溜め息が漏れる。ボイドの説明通り、大地震でもブリギットの建造物に大きな被害は見受けられなかった。しかし街路樹は倒れ、石畳には亀裂が走っている。母屋の軒先には、割れた食器が積みあがっていた。夜光石の街灯も折れ曲がり、闇は深い。


 ユウリスはブリギットの夜にはじめて、恐れを抱いた。


「こんなに暗い街は見たことがない」


 やがて迎賓館に到着したユウリスは、最上階の貴賓室へ通された。


「ユウリス・レイン、入ります」


 壁面に設置された大きな暖炉、街を一望する広い窓硝子、足が沈むほどに厚く柔らかい赤の絨毯、オリバー大森林と聖女アメリアを描いた絵画――細やかな違いはあるが、市庁舎の貴賓室を想起させる一室だ。柱時計がちょうど六時の鐘を鳴らす。


 召集された面々のなかで、ユウリスの到着が最後だった。


「怪我はもういいのか、ユウリス」


 正面からの落ち着いた声。年季の入った執務机に両手を組み、ユウリスを案じたのは壮年の男性――ユウリスの父でありブリギット国の盟主、セオドア・レイン公爵だった。整った口髭と金髪、思慮深い眼差し。正装の上に羽織る、赤いマント。滑らかな生地に金の刺繍が施すのは、レインの家紋である大鷲と、ブリギットの国章である火の女神の横顔だ。


「おにいちゃん!」


 父と繋いでいた手を離し、サヤがユウリスの腰に飛び込んできた。親子共に身奇麗な姿で、染みひとつない服を纏っている。市の召喚に際し、後援のブレイク商会が手配したものだ。


「心配かけてごめんね、サヤ。お見舞いに来てくれたって聞いたよ。ありがとう」


「うん、でもね、たいへんなの!」


「大変?」


「アルフレドが、ナダにふられたの!」


 ユウリスは思わず言葉を失った。ボイドはどういうことだと顔をしかめ、レイン公爵も実子の失恋に片眉を動かしている。


「そ、その話は今度ね」


 そう諭して、ユウリスはサヤの手を引いた。少し離れたところには、ウルカも佇んでいる。しかし弟子へ視線を向ける気配はない。そこでレイン公爵の傍らで佇む市長が、咳払いをして注目を集めた。


「こほん、そろそろいいかね?」


 恰幅の良い中年の男性だ。前にユウリスが見たときより、少し痩せている気がする。


「まずは≪ゲイザー≫のウルカ。チェルフェに関連する一連の出来事に関し、口頭での報告を求める」


 市長の求めに応じて、ウルカが事の顛末を事務的に紡いだ。ブリギット市の地下に棲息するチェルフェの生態。逃げ出した幼体を密猟者が捕まえ、火災に到った経緯。そしてユウリス、カーミラ、サヤの三名が、チェルフェを親元へ帰す為に起こした逃亡劇の全容。つぶさに語られた過程には、師弟の対決も含まれた。


「ちなみに私は負けていない」


「まだ言ってる……」


 あくまで敗北を認めない師に、ユウリスは嘆息した。それでもカーミラの魔術のみ伏せてくれたのは、ウルカの配慮だろうか。市長が信じられないと言わんばかりに、頬を両手で挟んだ。


「ではなにか、ユウリス君の怪我は怪物のせいじゃなく、君がやったのか。≪ゲイザー≫のウルカが、本気で?」


「その通りだ。業務の遂行を、ユウリス・レインが邪魔立てした。結果として私は彼に阻まれ、チェルフェの討伐に失敗した。専門家として、失態を謝罪する。申し訳ない」


 ウルカの口調は刺々しく、言葉とは裏腹に謝罪の色はない。邪魔をしたのは依頼主の息子だと責める態度だ。市長と公爵は、事前にある程度の報告を受けていた。しかしユウリスが怪我を負った原因に関しては、共に初耳だ。


「市庁舎占領事件で、私は君ら師弟に命を救われた。未だ悪夢にうなされて、こんなに痩せたっていうのに。その二人が今度は、怪物を巡って争ったというのか。ああ、なんてことだ。公爵閣下、ユウリス君の怪我については如何される?」


 それでもまだ主張の強い腹を押さえて、市長が重い息を吐く。レイン公爵は動じず、片手を掲げて彼を制した。


「ウルカ殿に問題はない、彼女は市の依頼を遂行するために行動してくれた。そしてユウリス達についても、結果的には怪物を市外から遠ざけたものと判断する」


「甘い采配だな、レイン公爵」


 刺々しく口にしたのは師だが、ユウリスも同じ疑念を抱いた。公明正大なレイン公爵らしからぬ言葉だ。チェルフェの起こした火災を重くみた市は、闇祓いのウルカに討伐を命じた。一方の子供たちは、私情で火竜の逃亡を幇助ほうじょしている。


 それは結果として、市の判断に泥を塗る行為となった。


 図らずともユウリスとウルカの双方が、政府の要人へ懐疑的な視線を向ける。レイン公爵は悩ましげに、こめかみを指で叩いた。公爵と市長が視線を交わし、それぞれが事前に打ち合わせていた通りの結論を口にする。


「我が子だからと、甘やかすつもりはない。ユウリスだけなら、問答無用で裁判にかけていた。だがブレイク商会のカーミラと、地下の住人であるサヤは立場が特殊だ。今回の判断は、その辺りを考慮している」


「私も市長として、公爵の采配を支持する。知っての通り、ブレイク商会はブリギット市で知らぬ者はいない豪商だ。カーミラを訴えれば、市はブレイク商会と法廷戦争に突入する。あのご夫妻は子煩悩だからな。南地区の再開発にあたって、地域住民の立ち退きや保証を纏めたのはまさにブレイク商会で――」


「市長、その話はいいだろう」


「おっと、そうでしたな、公爵。と、とにかく今回の件を深堀りするのは、まさに百害あって一利なし。加えてサヤ、彼女は旧下水道――失礼、地下の集落に住む少女だ。今はまだ、市民に地下の存在を公表する時期でもない。これは政治的な判断だ。ウルカ殿には、口止め料も含めて正規の成功報酬を支払う。これで納得してほしい」


 ウルカとボイドが、同時に鼻を鳴らす。どちらも気に食わないといった様子だが、異論が上がることもない。ユウリスは密かに安堵の息を吐いた。懸念のひとつ、カーミラとサヤへの追及を免れたのだ。


 しかしレイン公爵の眼差しが、厳しさを増す。


「だがチェルフェの処遇に関しては、このまま終わらせるつもりはない」


 サヤが息を呑んで、繋いだユウリスの手に力を込める。このままチェルフェも見逃してもらえれば――そんな甘い期待は、見事に打ち砕かれた。


「おにいちゃん、チェルフェ……」


「大丈夫、ちょっと待ってね」


 サヤをユウリスをちらりと一瞥だけして、ウルカはレイン公爵を見据えた。


「レイン公爵。≪ゲイザー≫として意見を述べる。チェルフェの幼体を討伐することになれば、間違いなく≪マザー・チェルフェ≫とも戦闘になる。その上、他の個体については事前の把握が難しい。チェルフェが棲息しているのは、地底深くの溶岩地帯だ。生態に関する資料も不足している。仮に親子を倒せても、他のチェルフェが復讐にくる可能性は十分に有り得る」


「では仮にこのまま放置すると仮定しよう。我々が手出しをしない、その前提で、チェルフェは二度と人間に危害を加えないと断言できるか?」


「難しいところだ。チェルフェの幼体は人に傷つけられている。母親も、子の傷を見た瞬間の怒りは凄まじいものだった。私が見る限り、いまは安定している。サヤとユウリスは特に、該当の怪物から信頼も得ているだろう――だが、それがこれからも続くという保証は無い。いつか何かの拍子で、報復行動に出る危険性はある」


「チェルフェはもう、わるいことしないもん!」


 怪しい雲行きを察して、サヤが勇んで叫ぶ。ボイドが複雑そうに唇を引き結び、娘の肩に手を置いて宥めた。健気な少女の訴えに、レイン公爵は沈痛な面持ちで応える。


「火災で亡くなった犠牲者は、密猟者を除いても八名にのぼった。例外なく、煙を吸ったことによる中毒死だ。誰一人として身寄りはない。弔いは市が引き受けることになるだろう。残念だがここまでの被害になった以上、国と市は対応せねばならない」


 八名――その数は、ユウリスの胸にも重く圧し掛かった。サヤもチェルフェの火が無用な犠牲を生んだことは承知している。それでも少女は、火竜の子供を助けたいと願った。だが奪われた命について言及されると、唇を震わせて俯いてしまう。


 レイン公爵は再び、闇祓いへと視線を移した。


「領邦軍に加え、ヌアザの円卓へも出動を要請する。≪ゲイザー≫のウルカよ。セオドア・レインの名に於いて問う。チェルフェと、その群れの討伐は可能か?」


「円卓か、大きく出たな。あの連中を担ぎ出せるのなら、不可能などないだろう。私も依頼には応じよう。ただし成体のチェルフェは、一体の討伐に金貨五十。払えるか?」


 ウルカの要求に、顎が外れそうな勢いで口を開けたのは市長だ。金貨五十枚もあれば、ブリギットの宅地に小さな家が建つ。あたふたとする行政の長とは対照的に、レイン公爵は返答を先延ばしにした。


「即決できる金額ではない。予算委員会への根回しもいる。正式な対応が決まり次第、交渉の場を設けさせてほしい」


「好きにしろ。だがあらかじめ言っておく、交渉で金額を下げることはないぞ」


 チェルフェ討伐の話題に、サヤの表情は暗く沈んだ。ユウリスは小さな手を握り直すと、少女が上を向いてくれるのを待って頬笑みかけた。大丈夫。唇の動きだけで、そう伝える。


「おにいちゃん……?」


「ボイドさん、サヤをお願い」


 ユウリスはつないでいた手を離すと、サヤの背中をそっと押した。そしてレイン公爵とウルカの会話が途切れるのを待って、一歩前に踏みだす。


 公爵の視線が、そんな息子を複雑そうな眼差しで捉えた。


「ユウリス。チェルフェの件は残念だが、ここから先は行政に委ねてもらう。温泉については、可能な限り地下の住人達に配慮して――」


「レイン公爵。チェルフェの処遇について、異議を申し立てます。もうひとつの解決策を用意しました。お願いします、どうか聞いてください」

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