06 イライザ・アタック


「勝負だ、ウルカ!」


「ふん、良い顔じゃないか。本気で腹立たしい。だが所詮しょせん烏合うごうの衆――私に挑むには、力が足りない!」


 間合いの外から、ウルカが悠然と剣を振り上げる。なにが起こるのかを予想できたわけではないが――ユウリスは咄嗟とっさに、避けろ、と声を張った。刹那、ウルカの手で虚空へと振り抜かる壮烈そうれつな刃の軌跡。刀身から放たれる、蒼い波動。その飛ぶ斬撃は岩の地面を削り、爆風をはらんでユウリス達へと襲い掛かる。


「ちょっとあんなのどうやって避けるのよ!? ≪ゲイザー≫って魔術も使えるわけ!?」


「俺の後ろに――!」


 ユウリスは少女二人を庇うように前へ出る。だが初見の技を防ぐ手立てはない。


「同じ力をぶつけて、相殺する!」


 意識を短剣に集中するが、それを解き放つ作法をユウリスは身につけていない。経験と実力の差を、一撃一撃で思い知らされる。やぶれかぶれで刃を振り上げたユウリスのかたわら――白狼が颯爽さっそうと抜ける。


「――クラウ!?」


 ――――――――!


 銀の牙が、闇祓いの波動に正面から喰らいついた。破邪の力すら噛み砕き、霊力の波が白狼の内部へと還元されていく。しかし初撃を食い止めた白狼の正面には、既にウルカが肉薄していた。前傾姿勢の疾駆で間合いを詰めた闇祓いの戦士が、群青の瞳に魔獣の心臓たる核を映しだす。容赦なく、正確な軌道を描いて突き出されるロングソード――その下に猛然と潜り込んだユウリスが、師の剣を力強く上方へ打ち上げた。


「カーミラ!」


「全力で行くわよ!」

『――鮮烈なる情熱は痛みすら悦びに変えて――!

 ――Real loves stab you in the front――!

 ――                 ――!』


 カーミラの指先が可憐な稜線を描き、その手に現出するのは炎のむち。ウルカの側面から、ほむらの線が乱軌道を描いて苛烈かれつに攻める。誰ひとり攻撃の手はゆるめない、ユウリスは短剣の間合いで張り付き、白狼は魔術の死角から牙をく。決定的な一撃こそ与えられないが、反撃の隙も与えない。


 一歩、また一歩と、踏み込んでいくユウリスに、ウルカが吼えた。


「私が万全の状態で、闇祓いの秘儀を使えるならば、お前たちなどすぐに一網打尽だと忘れるな!」


「いまできないことを言うなんて、ウルカらしくもない。焦っている証拠だ!」


「生意気だぞ!」


 ウルカは集中力の多くを白狼に割いていた。牙と爪から傷を受ける度、闇祓いの源である霊力が奪われるのは厄介だ。魔獣の猛攻を、ことごとく剣で弾く。そして少年と白狼の連携に生まれる一瞬の齟齬そごを突き、細かい傷を与えていくが、決定打となる一撃には程遠い。


「小賢しい手を使う!」


「それでウルカに勝てるなら、なんだってやってやる!」


「舐めるなと言ったぞ!」


 ユウリスの剣筋は完全に見切っていたつもりだが、ときおり混じる背筋の寒くなるような一手に、ウルカも舌を巻いていた。カーミラの魔術は、恐らく誘導狙いだと相手にしない。


「……だが、これは!」


 それでもウルカは少しずつ圧されていることを自覚した。背後に可燃性の黒い断層が迫り、ユウリスと白狼の猛攻が決死の様相を極める。チェルフェを抱えて息を潜めるサヤからも、彼女は意識を外さない。


「ユウリス、私を黒焔石で焼こうとしているな?」


「――っ!?」


 一帯の地層にはしる黒い断層――黒焔石。永続性の高い熱量と魔力を含んだ鉱石だ。火種を得れば、たちまち燃え上がる。ユウリスの表情に浮かぶ焦燥に、ウルカは鼻を鳴らした。


 白狼の抜きん出た実力はもとより、カーミラも含めた連携は見事だ。目標であるチェルフェを決め手として、サヤと共に危険から遠ざけたのも評価できる。実際にウルカは攻めあぐね、背後は既に黒い断層だ。


「なかなかやるが、どこまで持つかな?」


 ウルカの予言を裏づけるように、カーミラの手から焔の鞭が途絶えた。赤毛の少女が、力尽きたように膝をつく。


「あ……!」


「お前たちには、実戦の経験値が足りない!」


 魔術の援護を失ったユウリスと白狼に、防戦から転じたウルカが雄々しく剣を振るった。カーミラが胸を押さえ、苦しそうに喘ぐ。


「うっ、はぁ、ごめんなさい、ユウリス。わたし、もう……」


「カーミラ! 大丈夫だ、あと少し。白狼、もう一踏ん張りだ!」


「あと少し、か。ならば希望を蹂躙するまでだ!」


 ウルカの瞳孔が開く。彼女の刃を包む蒼い焔が、刀身へと収束した。蒼白の揺らぎは、純然たる静謐の閃光へと昇華する。その破邪の輝きが、白狼を怯ませた。


 敵を殲滅せんとするウルカの瞳は神々しく、群青の色が澄み渡る。


気脈きみゃくを通じようと、所詮は即席――舐めるなよ、ユウリス。それでこの私を、超えられるとでも思ったのか!」


「これが、ウルカの本気――」


 身を縛るような師の重圧に晒され、少年は戦慄した。かつて魔導王≪リッチ≫と相対したときを凌駕する、圧倒的な絶望感。この戦いではどう足掻いても、彼女に届くことはない。しかし絶対に敵わないという事実は、ユウリスに思い切りの良さも与えた。


「サヤ、ここでいい、やってくれ! 白狼、これが最後だ! 行くぞ!」


 ユウリスは腹の底から声を伸ばし、身を竦ませる威圧を打ち破った。


「はああああああああああああああああああああああああ!」


 小細工もなく袈裟斬りに払われたユウリスの刃に、白狼が追随して爪を振り抜く。


 ――――!


「気合だけでは、私という壁を越えられはしないぞ!」


 真っ直ぐに挑むユウリスへ、ウルカの刃が流麗に一閃した。師の凶刃に、少年と白狼が呼吸を合わせて拮抗した、その刹那――サヤに掲げられたチェルフェが、火炎を放出する。


「――無駄だ!」


 ウルカは勝ちを確信する。背後に放たれた火竜の炎が、黒焔石に引火した。瞬く間に灼熱の波が広がる。しかしウルカが押し切られることなく、猛炎はうなじをちりちりと焼くのみだ。


「押しきれなかったな、ユウリス。それが敗因であり、力の差ということだ!」


 一息に踏み込もうとするウルカの猛攻を、ユウリスと白狼が必死の形相で押し留める。


「まだだ、まだまだまだまだ!」


「剣を握る者が、戦場で奇跡などあてにするな!」


「そんなものはいらない、ただ仲間を信じてる!」


 そこでカーミラが顔を上げた。少女の口元を彩る、不敵な笑み。魔力を高め、唇を開く姿に、苦悶の色はない。謀られたと悟って、ウルカの顔色が変わる。小さな魔女の魔術詠唱が、朗々と響き渡った。


『――流転せし生命の奔流――巡りあえ幾度でも――!

 ――I'd like to reunite with you if I were born again――!

 ――                    ――!』


 内の理にて紡がれた力が、外の理を体現する、その合理こそ魔術。カーミラの意思に応え、渓流から伸び上がる水の竜。ユウリスが裂帛の気合を上げ、白狼が音無く吼えた。サヤとチェルフェが言葉にならない願いを叫びに変え、赤毛の魔女が水の竜へ突撃を命じる。


「油断したわね。あれくらいでわたしが力尽きるわけないじゃない。人の恋路を邪魔する女は、水底の泡と消えなさい――ここまでよ、お・ば・さ・んッ!」


 ウルカの雄叫びを呑み込むように、水の竜が燃焼する岩壁へ突進した。身を凍てつかせる零度の水が、灼熱の黒焔石に衝突する。魔鉱石に含まれる魔力が、凍える冷たさの水に反応した。そうして引き起こされる現象――ユウリスの義姉イライザは、こう言った。


 ――高温になるのは一瞬で、急速に熱を放出する性質があるの。

 ――そこに水をかけると、鉱物に含まれた魔力が反応する。

 ――放出熱に接触した水分の温度に応じて、爆発を起こすわ。

 ――水が低温であるほど、爆発の規模は大きくなる。

 ――氷が張るくらいの低温なら、大人が宙を舞うかしら。


 冷気が黒焔石の魔力に反応し、溜め込まれていた熱量の暴発を招く。簡易的な水蒸気爆発。聴覚を麻痺させる程の破裂音が響き渡り、遅れて気化熱の衝撃が波及する。


「――――なっ!?」


 背後から襲い掛かる高圧の波に成す術なく、ウルカの身体が弾け飛んだ。目が熱に霞み、視界は蒸気で白く覆われた。聴覚が一時的に麻痺したことで、いかに闇祓いの女傑といえども体感が失われる。そのまま岩の地面に肩から叩きつけられるが、彼女は経験だけを頼りにして体勢を立て直した。握り締めた剣を突きたて、なんとか立ち上がる――その瞬間。


 煙を切り裂いて、ユウリスと白狼が飛び込んできた。


「くそッ!?」


「これで、終わりだああああああああああああ!」


 ユウリスと白狼はただひたすらに、前へと身体を強く投げ出した。ウルカは避けきれないと判断し、後じさろうとする。しかしそこは既に、断崖の淵。


「しまった!?」


 力強く踏み込んだユウリスの肩と、突き出された白狼の頭。二つの衝撃がウルカの体躯を貫き、三つの影が白煙に躍る。カーミラが、サヤが、あらん限りの声で叫んだ。


「いっけえええええええええええええええええええええ!」

「やっちぇええええええええええええええええええええ!」


 ウルカが真っ先に、渓流の荒波へと落ちていく。白狼は踏み止まるが、勢い余ったユウリスに足場はない。無我夢中で、少年は岸へと手を伸ばした。その手を、カーミラとサヤが掴む。


「大……、ユ……ス。まったく、……するんだから」


「おにいちゃん、お……い!」


 爆発の直前に耳を塞いだつもりだが、それでも聴覚がやられ、二人の声は遠い。ただ助かった安堵に、ユウリスは表情を緩ませた。崖の断面に強くぶつけた鼻っ柱を摩りながら、眼下へ視線を投げる。そこに信じらない光景を見た。


「そんな……」


 渓流に呑み込まれたウルカが、破邪の力を駆使して対岸の岩壁から這い上がろうとしている。カーミラはぶるっと身を震わせ、ユウリスの肩に縋りついた。


「ねえ、≪ゲイザー≫って本当に人間なの!?」


「ウルカはそう言っていたけれど、俺もちょっと信じられなくなってきた」


 二人の少女に手を貸りて這い上がる頃には、聴覚も回復していた。仲間たちを見回しながら、ユウリスが沈痛そうに呟く。


「残念だけど、三つ目までの作戦じゃ決めきれなかった」


 作戦は四重に構えていた。一つ目はユウリスと白狼でウルカを追い詰め、カーミラの魔術で崖から落とす作戦。二つ目はユウリスの提案した、水蒸気爆発。ユウリスと白狼の追撃を加えた先ほどの行動が、三つ目。作戦はほぼ使い切った。四つ目はもはや逃げの一手だ。


「普通は凍えて、すぐには動けないわよね?」


 全身をずぶ濡れにしたウルカは、岩の壁に這い上がっていた。咳き込んで、水を吐いている。相手を消耗させるという意味では間違いなく、作戦は成功した。しかし彼女の鋭利な視線はかげることなく、頭上の少年たちを射抜く。


「ウルカはカーミラみたいに普通の女の子じゃないんだよ」


「ちょっと、わたしだって普通じゃないわよ。あなたにとって、特別な淑女でしょう!」


「あたしも、とくべつ?」


「ああ、みんな特別。ほら、行こう。目的地は近いはずだ!」


 ユウリスは投げやり気味に仲間たしを鼓舞し、迷わずに走り出した。夜光石を拾い上げ、先へ続く小さな穴を照らし出す。背後で再び膨れ上がる圧迫感。ウルカの気迫が見えない手のように伸びて、ユウリスの胸を抉る。


「来る、感じる!」


 ウルカに言わせれば、それはただの幻想だ。

 しかしユウリスには抗う気力など、もう残っていない。


「サヤ、急いで向こうへ行くのよ。クラウ、ユウリスも早く!」


 サヤとチェルフェ、白狼、カーミラ、ユウリスが屈んで狭い穴を潜った。いまにも背後から剣で貫かれるのではないかという、そんな恐怖心に襲われる。


「ユウリス、なんだか胸が苦しいわ!」


「気にしちゃ駄目だ、早く行って!」


 なんとか穴を抜けて振り返ったユウリスの瞳に、対岸から跳躍してきたウルカが映る。これまでは彼女の纏う蒼白い焔を頼もしく感じていたが、もはや悪夢だ。


「カーミラ、まだ間に合う。魔術を!」


「わかってる!」


 応えるカーミラの顔色は悪い。唇は乾燥し、裂けて血が滲んでいる。四重の策、最後の一手は抜け穴の崩落だ。崖から落としたウルカがそれでも追ってきたならば、通り穴を塞ぐしかない。そのために彼女が魔術を唱えるが、詠唱は完遂することなく途切れた。


 赤毛の魔女が、力無く膝をつく。ユウリスが慌てて肩を抱いて覗き込むと、彼女は胸を押さえて目に涙を滲ませていた。


「ごめんなさい、ユウリス。せっかくここまで来たのに……もう、ほんとうに、魔力が、ない」

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