05 少女たちの選択

「闇祓いの作法に従い――ウルカッ!」

「闇祓いの作法に従い――ユウリス!」


 二人の≪ゲイザー≫が蒼い軌跡を描き、力強く踏み出した。


 空気の層を断つように払われる、ウルカの剣。その切っ先に前髪を散らしながら、ユウリスが身を屈めて斬撃の下を掻い潜る。突進する勢いのまま短剣を翻し、肋骨へ叩きつけようと薙いだ刃の腹。しかし彼女は踊るように反転し、弟子の側面へと回りこむ。


「甘いぞ!」


「――――ッ!?」


 軌道も把握でないほどに、鮮烈なウルカの剣閃。真横から襲い掛かる一撃を、ユウリスは咄嗟に振り上げた短剣で弾いた。


 蒼白の光と、火花が散る。


 衝撃で身体を浮かせたユウリスが、奥歯を噛んで顔をしかめた。わかってはいたが、実力差が段違いだ。剣を振り抜いた勢いを、彼女は既に次の動作へと昇華している。浮いた身体が地へ戻る一瞬が、果てしなく遠い。空圧が示す死の気配。少年の腹を目掛けて、ロングソードの切っ先が迫る。


「うわああああああああッ!」


 ユウリスは恐怖を打ち破るように叫んだ。ブーツの底が岩盤を踏む。


 止まるな、動け!


 身を捻ったユウリスの腹部を、ウルカの剣が抜けていく。刃が脇腹を浅く裂き、飛沫を上げる鮮血。脳が痺れるほどの痛みが奔り、眼の奥が燃えたように熱い。それでも傷口から刺激と恐怖に耐えながら、踏ん張る。


 考えろ、いや、考えるな!

 思考と身体をひとつにしろ。

 一瞬の遅れも許されない。


 孤を描くように地を滑り、ユウリスの小さな身体が相手の懐へと飛び込む。


「お前の動きなど!」


 ウルカがすかさず膝蹴りを放つが、ユウリスは肘を突き出し、彼女の腿が上がりきる前に防いだ。そのまま斜めに振り上げた短剣の柄を、ウルカの胸部へと叩き込む。しかし、その軌道に血まみれの腕が差し込まれる。目論見は防がれるが、腕の骨を折る感触。


「――――くっ!」


 痛みに喘ぎ、後方へ跳躍するウルカ。


 間髪入れず、ユウリスが追随する。間合いは開かせない。しかしウルカは着地と同時、眼前に迫る弟子との隙間に剣を突き立て、柄を手離した。


「武器を!?」


 一直線に駆けるユウリスの進行が、剣に遮られる。


「お遊戯をしているつもりか!」


 彼女は負傷した片腕を払い、血飛沫でユウリスの目を潰した。そして生まれた一瞬の機に、ウルカの手が少年の頭を鷲掴む。


「私とお前のあいだに、どれだけの差があると思っている!」


 そのままユウリスは髪を引っ張られ、岩の壁に顔面を叩きつけられた。意識が真っ白に飛ぶほどの、痛烈な衝撃。


「がはっ!?」


 白目を剥いた弟子を投げ捨て、再び剣を取ったウルカが雄々しく吼えた。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 目をこすり、視界を取り戻したユウリスの眼前に迫る蒼白の刃。

 刹那、朗々と響き渡るカーミラの声。


「――火の蛇よ踊れ――!

 ――Live passionately――!

 ――       ――!」


 暗闇からウルカへと放たれる、火炎の螺旋。しかし彼女は冷静に見極め、剣を掲げたまま対峙する。そして唸りをあげる焔に向け、臆することなく刃を一閃した。魔術の熱波を、破邪の光が易々と斬り裂く。


「闇祓いに魔術が通用すると思うな!」


 刹那、闇から気配なく伸びる銀の軌跡――白狼の爪がきらめく。ウルカは剣を掲げて防ぐが、突然の強い衝撃に踏ん張りがきかず、弾かれるように吹き飛ばされた。


「チェルフェ、おねがい!」


 ウルカに体勢を立て直す間を与えず、サヤが怪物に助力を請う。


『キシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!』


 赤い竜種の口内から発せられたのは、灼熱の業火。ウルカは再び闇祓いの力で振り払おうとするが、それは魔力の混じらぬ純粋な炎。斬れないと察して、彼女は直撃の寸前で回避に切り替えた。子供たちの連携に、闇祓いの女傑が瞠目する。


「やるな!」


 さらに壁や天井を縦横無尽に駆け回る白狼が、死角から牙を剥いた。


 立て続けの攻勢に舌を巻くウルカは、防御に徹する他ない。


「ユウリス、こっちへ!」


「カーミラ! クラウにサヤも、どうして!?」


「いいから、わたしたちに考えがあるわ!」


 絶えることのないチェルフェの火と、四方八方から猛襲する白狼。怪物と魔獣の連携を掻い潜ろうとするウルカを、カーミラの魔術が牽制けんせいする。ユウリスは仲間たちに助けられながら、徐々に洞窟の奥へと進んだ。不意に肌が泡立つ、吐く息が白い。


「あれ、寒い……なに、これ?」


「少し前にあった渓流が、この先にもあるのよ。ほんと、こんな薄着で来るんじゃなかった」


 行く手の地面に灯る明かりは、夜光石の光だった。同時に、荒々しい水のうねりが鼓膜を震わせる。洞窟の先は断崖になっており、眼下には氷の粒を纏った巨大な地下水脈が轟々と激しい音を立て、飛沫を上げていた。渓流から立ち昇る凍えた冷気に、ユウリスが息を呑む。


「まさか、行き止まり!?」


「違うわ。あそこに小さな穴があって、先へ行ける。そこがチェルフェの棲み処に続いているみたい」


 カーミラが声を抑えて、夜光石の当たらない岩壁を示した。しかし暖色のあたらない闇は、黒い断層も相俟ってより暗く感じられる。目を凝らしても穴は見えない。


「ここで追い詰められた振りをして、あの女を崖から落とすのよ!」


「そんなことをしたらウルカが死んじゃうよ」


「あの女なら生き残るわよ。半端はんぱで勝てるとは思わないで。ユウリス、あなたの矜持きょうじを彼女に見せてやるんでしょう?」


「いつから聞いてたの?」


 ここまでの距離を考えても、彼女たちがすぐに引き返してたのは明らかだ。暗闇に潜んで、機を見計らっていたのだろう。カーミラは覚悟を決めた強い眼差しをユウリスに向けた。


「けっこう最初からね。他の犠牲者がでたことも聞いたわ。それでもわたしは納得できないし、サヤもチェルフェを帰したい気持ちに変わりはない。わたしもサヤも、ついでにクラウも、みんなでチェルフェの味方をすると決めた」


「カーミラ……」


「だいたいあの女、卑怯ひきょうなのよ。あんなに滅多打ちにして、ユウリスにああだこうだと文句ばっかり。落ち着いて考えられない状況で、自分の思い通りに答えを誘導しようとしたんだわ」


「それってなんだか、カーミラがいつもやっていることのような……」


「と・に・か・く、ユウリス、あの場ですぐに答えを出せなかったこと、気にしちゃだめよ。これが終わったら、いっしょに考えましょう。時間をかけて、いつかあの女をぎゃふんと言わせてやるような答えを見つけるの!」


「おにいちゃん!」


 チェルフェを抱えたサヤが、ユウリスとカーミラの元へ戻ってきた。白狼はウルカを牽制しているが、闇の向こうから徐々に近づいてくるのが見える。。ユウリスを囲んで、すぐに作戦会議がはじまった。段取りは既にカーミラが整えている。


「――ていう感じで、あの女を崖から叩き落そうってわけ。どう、ユウリス?」


「カーミラおねえちゃん、すごい!」


「……いい考えだけれど、ウルカを押し切れなかったときの保険が必要だ」


「なによ、他に名案があるっていうの?」


「ある。ただカーミラの魔術と、サヤとチェルフェの力が必要だ。そしてウルカを壁際まで追い詰めるのが絶対条件」


「がけ、とおくなるよ?」


「実際に戦って、作戦を決めよう。クラウと俺で、もしウルカを捉え切れないと判断したら――」


「ならその合図は――」


「あ、あたし……、あたしと、チェルフェが、やるの!?」


「――まで来たら、俺が合図を出す。カーミラとサヤは、その時が満ちるまで――」


 全員の役割を確認し終えたところで、白狼も合流した。金色の瞳が苦々しく、追跡者のウルカを睨み据えた。


 ――――!


「このクソ犬め、お前を拾ったのは私だぞ!」


 ユウリスが片腕を潰したことで、彼女の力は確実に削がれている。白狼の猛攻を捌き切れず、ウルカの肩や腕は裂けていた。服がすすにまみれているのは、チェルフェの功績だろう。


 カーミラが満足そうに頷いた。


「けっこう押しているわね。小細工なしでも、全員で掛かれば倒せるかしら?」


「頭、首、腹、腿、手首と足首――致命傷になりそうなところに、傷ひとつ負ってない。一撃も貰わずに全部、いなしているんだ。クラウの疲労を見て」


 白狼は、手加減などしていないぞ、と不機嫌そうにカーミラをねめつけた。むしろあわよくば自分だけで決着をつけようと、死力を尽くしたほどだ。牽制を兼ねた攻撃側のはずが、耳や毛並みに真新しい傷を刻むはめになった。


 ……、っ……。


 無音の狩人として、舌を出して呼吸を荒くするなど屈辱でしかない。


 カーミラとユウリスが同時に表情を強張らせる。


「さ、作戦通りにいきましょう!」


「俺も、崖から落とすくらいで心配するのが馬鹿らしくなってきた」


 気付けばユウリスは、軽口を叩けるくらいに気持ちが明るくなっていた。覚悟が鈍ったわけではない。ただ嬉しかった。


「大丈夫、なんだってやれる」


 自分の選択が、矛盾をはらんだつたないものだということは自覚している。それでもカーミラは背中を押してくれた。白狼が支え、サヤは信じてくれる。


 ユウリスは不敵に笑んで短剣を引くと、姿勢を低くして構えた。


「カーミラ、クラウ、サヤ、チェルフェ、頼んだ!」


『キシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ』


「ウルカおねえちゃん、ごめんなさい!」


 ――――!


「ええ、わたしがあなたの道を切り拓くわ!」


 謝りながらも覚悟を決めたサヤに抱かれ、チェルフェも威嚇の声をあげた。白狼の雄叫びは誰の鼓膜を震わせることもなく、しかし激流の濁音よりも力強く響き渡る。カーミラは女の意地を賭けて踏みだした。号令に応えてくれた仲間達に力強く頷きかけ、ユウリスは最後にウルカを見据える。


「勝負だ、ウルカ!」

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