13 水の橋を抜けて

「闇祓いの作法に従い――」


 強化された身体能力で、ユウリスは力強く跳躍した。≪オーク≫の顔面を踏みつけ、更に高く舞い上がる。上昇し、天井から降下する≪アラクネ≫とすれ違う一瞬――破邪の力を宿した蒼い刃が、蜘蛛女の首を刎ね飛ばした。落ちた首のない≪アラクネ≫の死骸に、≪オーク≫が群がり貪りはじめる。


 更に二体、ユウリスの頭上から新たな≪アラクネ≫の強襲。


「まだ来る! 空中戦をやるのか!?」


 ユウリスは重力に引かれてはじめた身体をひねり、突き放たれた怪物の脚を切り裂いた。姿勢を崩した≪アラクネ≫が≪オーク≫の放った槍に刺され、苦悶の声を上げる。


「次――!」


 眼前に迫るのは、二体目の≪アラクネ≫。他の固体に比べてひとまわり大きく、巨大な口を広げて牙を剥く。ユウリスは蜘蛛の下半身を足場にして体勢を立て直した。短剣を逆手に持ち変え、大きく腕を振るう。


「はあああああああああああああああ!」


 生臭い息を断ち、醜悪な顔面に奔る蒼白の軌跡。怪物の顎から額を破邪の短剣が斬り裂き、緑色の体液が飛沫を上げる。瀕死の≪アラクネ≫と共に、ユウリスはカーミラの眼前に着地した。


「すごいわ、ユウリス!」


「おにいちゃん、かっこいい!」


「混戦になったら走る、二人とも集中して!」


 ≪オーク≫たちの矛先は、落ちた蜘蛛の怪物に向けられた。牙を突きたて、血肉を喰らい湧く立つ豚の怪物。流れ出る体液に含まれた魔力を、≪スケルトン≫が吸収する。仲間が捕食される光景に、≪アラクネ≫が金切り声を上げた。無差別に吐かれた白い網が、戦場に降り注ぐ。粘着質な繊維に囚われ、怪物たちの動きが鈍った。


「カーミラ、今だ。頭を低くして走るんだ!」


「どっちへ!?」


「行ける方に! クラウ!」


 白帯の檻のなか、もがく≪オーク≫と≪スケルトン≫。


 頭上から次々と舞い降りる≪アラクネ≫。


 ユウリスはカーミラとサヤを率いて、怪物たちの隙間を無我夢中で抜けていく。離れている白狼も、進行方向を同じくして動きだした。そして無音の狩人が、真価を発揮する。


 ――――!


 糸に絡め取られて混乱する怪物に、次々と突き立てられる爪と牙。続けざまに上がる怪物たちの悲鳴に、カーミラが目を剥いた。


「ユウリス、クラウが一人で戦っているわ!」


「俺たちに注意が向かないように援護してくれているんだ。早く抜けた分だけ、クラウの負担が減る!」


「わんちゃん、おにいちゃんのおともだち?」


「相棒だよ」


 この程度の怪物に、白狼が遅れを取りはしない。そう信じて、ユウリスは足を動かした。≪オーク≫の獣臭い身体、邪悪な光が漂う≪スケルトン≫の骨、その合間をいくつも抜けていく。しかし、それでも立ちはだかる蜘蛛の異形。


『キィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイ!』


「邪魔だ!」


 行く手を遮るように振り下ろされる≪アラクネ≫の脚を、闇祓いの蒼炎を灯したユウリスの刃が何度も断ち切る。サヤへと伸びる≪オーク≫の腕には、チェルフェが反応した。


『しゃああああああああああああああああ!』


 吐き出された火炎が、数体の≪オーク≫を纏めて焼き尽くす。


「チェルフェも、かっこいい!」


 それでも迷宮の怪物が絶えることはない。


 ≪オーク≫の壮絶な猛り。


 骸骨の顎が揺れて響く哄笑。


 ≪アラクネ≫の金切り声――頭がおかしくなりそうな怪物達の饗宴。


「――――っ!」


 不意に視界が開けて、ユウリスは思わず前のめりになった。なんとか踏み止まって、≪オーク≫の巨体に挟まれているカーミラの手を引く。彼女に肩を抱かれたサヤも脱出し、最後に白狼も飛びだした。


 少年たちの脱出に気付いた≪オーク≫と≪スケルトン≫が数体、糸を引きながら追い縋る。そこでカーミラが振り返り、両手に魔力を集中した。彼女の両手に光る、赤い胎動。しかしユウリスが咄嗟に、彼女の手首を掴んで制止する。


「ダメだ、カーミラ!」


「どうして、あの数なら私の魔術で一網打尽よ!」


「戦えば、また他の奴らが押し寄せてくる。あの数なら巻ける、逃げるんだ!」


 自分達を狙う≪オーク≫と≪スケルトン≫は数体で、蜘蛛の糸に巻かれて動きも鈍い。しかしその背後には、≪アラクネ≫も含めた三つ巴で殺しあう怪物の群れがある。ユウリスの説得に、カーミラは歯痒そうに頷いた。


「わかったわ。でも、わたしだって活躍できると思ったのに!」


 篝火に照らされた通路の先では、サヤと白狼が立ち往生していた。耳に届く、水流の激しい濁音。冬の朝よりも冷たい空気が、肌に纏わりつく。


「おにいちゃん、いきどまり!」


「寒い――って、そんな、ここまで来て!?」


 サヤの傍らに辿り着いたユウリスは、思わず女神へ祈りを捧げた。


 行く手を阻む、通路の断絶。床が割れ、深い溝が生まれている。覗き込めば、地下水の激流が亀裂の端から端へと流れ込んでいた。飛沫が頬に触れるだけで、冷たさより痛みを感じるような低温だ。壁の火が、水流に混じる氷の粒を照らしていた。


 溝を越えた先には通路が続いているが、向こう岸までの距離がある。白狼なら壁伝いに飛び移れるだろうが、ユウリスたちには到底無理だ。


「クラウ。一人ずつくわえて、向こう岸へ渡れる?」


 白狼は任せろと頷いたので、ユウリスはサヤ、カーミラ、自分の順で、向こう岸へ運んでくれるように頼んだ。そこに、背後からけたまましい足音。我先にと競うように迫る≪オーク≫と≪スケルトン≫を見据え、ユウリスは短剣を構えた。


「ここで食い止める」


「ちょっと、ユウリス。さっきからクラウ、クラウ、クラウって、わたしを忘れているんじゃない。ここまで来たら、もう魔術を使っても平気なはずよ」


 傍らのカーミラが、不敵に頬笑んだ。その唇から高らかに紡がれる、魔術の詠唱。人の言葉、エルフの古語、そのどちらにも該当しない不可思議な発声。三つの言語が同時に紡がれ、唱和する。


『――流転せし生命の奔流――巡りあえ幾度でも――!

 ――I'd like to reunite with you if I were born again――!

 ――                   ――!』


 人の言葉が呼ぶ――現実世界に存在する物理法則、内の理。

 エルフの古語が覚ます――概念世界に渦巻く超常の法則、外の理。

 不可思議な発声は第三の言語――内の理に外の理を想起させる、魔術の理。


「稀代の魔女カーミラ様の腕前に震えなさい――水の蛇よ、踊れ!」


 魔術の発動と共に、奈落から水柱が突き上がる。激しい渓流が魔力によって命を与えられ――生まれるのは、巨大な水の蛇だ。カーミラの指先が宙に指揮を描き、魔術の大蛇が踊る。追ってくる怪物の群れを、極寒の水流が鞭打つように一掃した。


「おねえちゃん、すごい!」


「倒すには、まだ威力が足りないわ。みんな、いまのうちに向こう岸へ!」


 手応えが十分でないと察したカーミラが、水の大蛇を引く。断絶された通路の両端を、水の巨体が繋いだ。≪オーク≫と≪スケルトン≫が、よろめきながら立ち上がる。水圧の橋を制御するカーミラの表情は固く、唇は震えていた。


「この魔術、思ったよりも制御が難しいわ。サヤといっしょに早く渡って、ユウリス」


「え、ぶっつけ本番!?」


「こんな大技、どこで練習しろっていうのよ。そんなに集中が持たないから、とりあえず走って!」


 乗っても水に沈む心配はないのかという、当然の疑問を挟む余裕もない。ユウリスはサヤを抱き上げ、魔術の橋に踏み出した。体感したことのない、緩く不安定な足場。


「水の上って、こんな感じなんだ」


「ユウリス、急いで!」


「わかったよ!」


 ユウリスはサヤを抱えて、無我夢中で走った。カーミラもあとを追い、魔術の制御に苦心しながらも無事に橋を渡りきる。最後に怪物たちを牽制していた白狼が、壁伝いに走って溝を乗り越えた。そして赤毛の魔女が指を鳴らすと、水の柱は轟音を上げて渓流へと落ちていく。


「なんとか、乗り越えたわね。ふう、疲れた。どう、ユウリス。わたし、役に立つでしょう?」


「君がいなかったら、どうなっていたかわからないよ。さすが、カーミラ。見直した」


「おにいちゃん、まだくる!」


 それでも怪物たちは諦めない。≪オーク≫が助走をつけて跳躍し、しかし向こう岸へ届くことなく、奈落に呑みこまれていく。≪スケルトン≫は壁に張り付くが、半分も進まないうちに手足を滑らせた。


 渓流に幾つかの飛沫が上がったあと、怪物の群れは人間の子供たちをようやく諦めた。最後は、残った≪オーク≫と≪スケルトン≫同士で矛を交え始める。


「もう、怪物ってほんと、わからないわ。あれ、なにがしたいの?」


「向こうからしたら、こんなところへ人間がなにをしに来たのかって思っているのかも。他の≪オーク≫と≪スケルトン≫も、騒ぎを聞きつけて来たみたいだ。≪アラクネ≫は天井を移動できるから、見つかると厄介だ。ひとまず、ここを離れよう」


 ≪アラクネ≫は現れた通路でもあり、油断はできなかった。


 この辺りからは篝火も絶えてしまうが、もう引き返すことはできない。怪物たちの饗宴から目を背け、ユウリス達は迷宮の更に奥深くへと踏みだした。光で怪物の注意を引かないよう、夜光石はポケットにしまいこむ。


「クラウ、傷は?」


 軽く跳ねて無事を示す白狼に、ユウリスは表情を緩ませる。血で汚れた体毛に触れて確かめるが、確かに傷は深くなさそうだ。


「よかった。大活躍だったね」


 白狼は得意げにユウリスを追い抜き、自ら斥候の役目を担った。この先が安全だとは限らない。


「カーミラとサヤも、まだ油断しないで」


 二人を気遣いながら、ユウリスは闇のなかを進んだ。背中にこびりつくようだった怪物たちの喚声が、徐々に遠のいていく。やがて耳に静寂だけが残ると、カーミラが安堵の息を吐いて、床に腰を下ろした。


「カーミラ?」


「もう駄目、ちょっと休ませて」


「まだ安全とはいえない」


「サヤも限界よ。我慢して走っているけれど、もうしゃべる気力もないみたい」


 確かにサヤはいちばん体力がないばかりか、怪物の赤子を抱いている。耳を澄ませば、か細い幼女の息切れが届く。先を見ると、白狼の金色の瞳がユウリスに向けられていた。判断は任せるというのだろう。


 ユウリスはカーミラの傍らで、立ったまま壁に寄りかかった。


「ユウリスも少し座ったら?」


「いや、いつどんな怪物が襲ってくるかわからない。≪アラクネ≫みたいに、クラウが感づけないようなのが現れたら最悪だ」


 そんなことを口にすると、白狼がすり寄ってきた。目が細くなるのを見るに、敵に不意打ちを許したことを悔いているのかもしれない。そういうつもりじゃないと笑い、ユウリスは魔獣の頭を柔らかく撫でた。


「できないことがあるなら、補い合って切り抜けよう」


 小さく頷く白狼が、ユウリスの手をぺろっと舐める。そんな相棒同士のやり取りを、サヤが不思議そうに眺めていた。下水道暮らしで夜目が利くのか、仕草や目配せまで見えているようだ。


「おにいちゃん、まものとおともだち?」


「魔物じゃない……あ、いや、魔物か。白狼っていう魔獣なんだ。名前はクラウ。≪ゴーレム≫から街を守った、すごい狼なんだよ」


「しってる、すごいわんちゃん!」


「そう、このクラウが、すごいワンちゃん」


 ユウリスはわかりやすく説明したつもりだったが、白狼はわんちゃん呼ばわりが気に入らなかったようだ。尻尾でばちんと、少年の腰を叩く音が木霊する。


「もう二人こそ油断しないでよ?」


 カーミラが可笑しそうに囀り、つられてサヤも口元を綻ばせる。空気は和んだが、ユウリスは危機感を募らせていた。怪物たちから逃げるのに必死で、確実に帰路を見失っている。


「さて、これからどうしようか。さっきの場所へ戻っても、また怪物の群れが待っているだけだろうし」


「戻れないなら、進んでみましょうよ。案外、べつの出口があるかもしれないわ」


 カーミラの希望的観測に根拠は皆無だが、ユウリスにも代案はない。仕方ない、と頷いたところで、サヤが立ち上がった。


「あのね、おにいちゃん」


 ユウリスの眼前に佇んだ少女は、手の中のチェルフェを掲げた。


「あたし、このこを、かえしてあげたい!」

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