02 ユウリスの災難

「はいはい、ウルカは大人だよ」


 ああいえばこういうウルカとのやりとりだが、実際は少しだけ楽しい。


 ユウリスはある出来事がきっかけで、忌み子として街中からうとまれていた。次期公爵である義弟おとうとのアルフレドとは特に折り合いが悪く、彼ににらまれることを恐れた級友からは、半ば無視されている。特別に仲が良いのは、幼馴染おさななじみの少女くらいだ。


 そんな自分が、こうして年上の女性と軽妙な会話をこなしているというのは、なんだか大人になれたような気がして、ようするに浮かれてしまう。それを自覚して踏み止まってしまう成熟せいじゅくさに、当人だけが気づいていない。


「もう一週間くらい俺の訓練に付き合ってくれているけど、もしかして甘えすぎてる?」


「自覚があったのか。そろそろ乳離れをしてもらいたいもんだ」


「ウルカがブリギットにいるうちに、力の使い方を会得しておきたいんだ。闇祓いなんて、物語にしかいないと思っていた。この機会を逃したくない」


 ウルカの目が、思慮深しりょぶかく細まる。


 ユウリスは彼女の双眸そうぼうを見つめ返して、緊張気味に背筋を伸した。


 闇祓いの能力をなぜ欲するのか、そう問われると思った。しかし予想に反して、追及はない。嘆息したウルカは、また毒を孕むように口角を上げた。


「冗談だ。そもそもこれが修行だと思っているなら、それは大きな間違いだぞ。これは私に必要な休養だ。代わりが勤まるお前を、こき使っているに過ぎない。この傷がえれば、本物の闇祓いを見せてやろう」


 ウルカの片腕は、肘から指先までが包帯で覆われている。布地には古代文字の連なる呪符じゅふが幾重にも貼られ、まるで封印されているかのような様相だ。これは闇祓い独自の、特殊な治療法ちりょうほうであるらしい。


「先の事件で影の国の侵食を押し返すのに、ずいぶんと無理を通した。その結果がこれだ。利き手でないのは不幸中の幸いだが、仕事には支障が出る」


「でも見てると、けっこう普通に動かせてるよね?」


「剣を握るくらいは問題ない。だが≪ゲイザー≫の真髄しんずいは、闇祓いの剣のみにあらず。秘儀と呼ばれる魔術のような――いや、お前にはまだ早い」


「教えてよ、気になるじゃん!」


「調子に乗るな。とにかく原因の一端であるお前は、私の分まで働け。私は楽をして報酬を得る。その為に必要な分だけ、お前を鍛えてやる。大人は子供が思うより、ずっとずる賢い。余計なことは、考えるだけ無駄だ」


「それでも感謝はしているんだ。ウルカのおかげで、俺の道は広がった気がする」


「子供の頃に描いた道なんて、ほんの数年で入れ替わるものだぞ」


「そうかもね。でも俺は、数年も待っているつもりはないんだ」


「ユウリス、それは――」


 案じるというよりは、とがめるような声色。


 ユウリスは思わず視線を逸らした。つい口が滑った。


 部外者であることをわきまえているウルカは、それ以上は追求もしてこない。ユウリスは、ぎこちなく話題を変えた。沈黙は嫌いではないが、師であるウルカとの関係は良好に保っておきたい。


「さっきの≪スペクター≫といい、ブリギットにあんな怪物は今までいなかった。二、三日おきに退治しているのに、減る気配もない。これからも増えていくなら、キリがないよ。もっと根本的に解決する方法はないの?」


「……前にも説明した通り、先の事件の爪痕は大きい。この辺りを浄化していたオリバー大森林の霊場が、均衡きんこうを失ったのが原因だ。大陸広しといえど、ここまで恵まれた浄化地帯は指折りほどしかない。それが崩れた反動がどこまで広がるか、私にも想像がつかないな。だが怪物どもからすれば、手付かずの肥沃ひよくな土地が急に現れたようなものだ。雪崩なだれ込んでくるのも仕方がないだろう」


「ウルカはオリバー大森林の加護を、元に戻せる?」


「お前の父上は、それを期待して私を雇ったようだが……どうだろうな。さっきも言ったが、完全な復元は不可能だろう。そもそもオリバー大森林が強力な浄化作用を発揮していた原理も、不明なままだ。正直、いまはお手上げ状態だな」


「栓をあけたワインは酸化する、だよね、覚えたよ。でも父上――レイン公爵ができると思ったのなら、ウルカにはきっとその力があるんだと思う」


 ユウリスの父、セオドア・レイン公爵。ブリギット公領の盟主。


 今夜は日中からの会議が紛糾ふんきゅうし、朝まで市庁舎に詰めていると聞いた。ひょっとしたら帰りは鉢合わせるかもしれない。ユウリスはウルカと≪スペクター≫退治に出発する直前、一時帰宅した父と顔を合わせている。南地区の再開発計画を巡って、議会との折り合いがつかないのだと、珍しく疲れた表情を見せていた。


「夜明けだ――」


 二つの月の狭間はざまから、宵の色がやわらいでいく。


 近隣の家ではカーテンが開けられ、にわとりが鳴きはじめた。


 支度したくを終え、野菜の収穫にくわを担いで歩きだす農夫たち。彼らが思い思いに口ずさみはじめる郷土きょうどの歌が、気づけば唱和しているのだから不思議なものだ。


 陽気な調べがいろどる朝焼けの田園でんえんを、魔獣である白狼の姿が少しだけ騒がせる。


「白狼、目立ってるね。通知には、大型の犬が同行って書いてあったはずなのに」


「実際、大型が過ぎる。寝台に寝かせてみろ、占有率せんゆうりつはお前より大きい」


「寝台か……ウルカは、このあと寝られるんだよね。ほんとねたましい」


「徹夜明けだ、好きなだけ惰眠だみんむさぼるさ。お前は学校だったな、ご苦労なことだ」


「ああ、そうだよ。しかも授業中に居眠りをしたら、午後は教会で奉仕活動をやらされるんだ。眠くならない霊薬とかない?」


「あるにはあるが、お勧めはしない。霊薬の重複は身体に負担が大きいからな。私も同時に服用できるのは、二つか三つまでだ。だいたい狂戦士状態で授業を受けたら、目が冴えるどころか暴れだすことになりかねないぞ」


「あー、それ、俺が欲しい霊薬じゃない」


 農場が広がる東地区を抜け、公爵邸のある中央区へと帰りついた頃には、収穫された作物が馬車で市場へと出荷される時刻になっていた。野菜が山盛りになった荷車が、大通りに列を成して走る姿は、ブリギットの風物詩だ。住宅街の朝はいつも、蹄のひづめ音と共にはじまる。


「ユウリス。どうやら今朝は、軍隊も野菜を運ぶ任務があるようだぞ」


「――え?」


 公爵邸付近の非常事態に気づいたのは、背の高いウルカが先だった。


 少し遅れて、ユウリスも異様な光景に目を見張る。


 金の菱形ひしがた黒鷲くろわしを描いた赤地の旗がいくつも掲げられ、大きく風にはためていた。それはレイン公爵家の紋章であり、旗手きしゅは公爵家の私兵たる領邦軍りょうほうぐんだ。


 公爵邸の建つ丘陵地へと繋がる道に、横四列、縦十数名の一団が二隊に分かれて列を成している。旧家の建ち並ぶ住宅街を埋め尽くし、整然と佇む様には圧巻だ。


「どうして父上の軍が……それにあの数、どれだけいるんだ?」


「ざっと二千弱くらいかな。戦争を始めるには心許こころもとないが、率いているのはお前の弟のようだ」


「――――は?」


 可笑おかしそうにウルカがあごをしゃくり、間の抜けた声でユウリスが凝視する先では、新品のよろいを纏った義弟おとうとのアルフレドが、ぎこちなく軍馬にまたがっている。


 左右に分かれた領邦軍の中央を往復して、軍を鼓舞するようになにかを叫んでいるようだ。遠目にも鎧に着られている不慣れさが丸わかりで、馬が踏み出すたびにかぶとが上下に揺れているのは、笑いを通り越して不憫ふびんでしかない。


「なかなか面白いものを見られたが、ユウリス――」


「わかってる、父上に何かあったんだ」


 レイン公爵直轄ちょっかつである領邦軍を、爵位も継いでいないアルフレドが取りまとめているのは、当代のセオドア・レインに不測の事態が起きたからだと容易に想像ができる。ユウリスとウルカは頷きあって、レイン公爵邸へ足を急がせた。


「アルフレドに見つかると面倒だから、俺は丘を登るよ」


 正路は丘陵地に円を描いており、頂上にある公爵の私邸へ続いている。ユウリスは仲の悪い義弟と顔を合わせるのが嫌で、舗装された道を迂回した。


 本道の外れは、雑草の茂る野路だ。それでも直線距離では近いという理由で、ウルカも文句なく追随する。


正路せいろを歩くよりも効率的だな、私もそうする」


 緑に包まれた丘の傾斜を、ひたすらに登っていく。普段は十分足らずで辿り着けるのだが、疲労困憊ひろうこんぱいのユウリスにはつらく困難だった。


「ウルカ、ちょっと、待って!」


「後から来い。どうせこの騒ぎだ、学校どころじゃないだろう。そこらで寝ていたらどうだ?」


 青々とした草原で寝転ぶのは、魅力的な提案だ。しかし父の危急ききゅうを見過ごせるはずもない。けっきょくウルカはひとり先行し、ユウリスは白狼の背中を借りながら少し遅れて帰宅する。


「ありがとう、白狼――って、あれは!?」


 息も絶え絶えに丘を登りきり、ようやく自宅の庭に足を踏み入れると――その目に飛び込んできたのは、唖然あぜんとするような光景だった。


 背中の剣に手をかけたウルカを、十数人の警官が遠巻きに取り囲んでいる。


 その様子に頭を抱えているのは、ユウリスの義母ははであるレイン公爵夫人だ。


「まったく、こんなときに……」


 苦悩する義母からは無意識に視線を外し、ユウリスが声を荒らげた。


「ウルカ、なにやってるんだよ!」


「こいつらに言え。私は歓迎されていないらしい」


 不遜ふそんに鼻を鳴らすウルカを、野太い声で罵倒ばとうする者がいる。


 若い警官たちを取り仕切る、恰幅かっぷくのよい中年男性だ。他の警官より制服の刺繍ししゅうが細かく、管理職だと一目で判別できる。帽子の下から覗く眼光は、親のかたきでも見るかのようにぎらついていた。


「ふん、誰が歓迎などするものか。手間をかけさせるなよ、流れの女め。さっさと手錠をかけさせんか!」


 流行はやりの樹脂液じゅしえきで固めた黒いひげを揺らし、怒鳴る警官。さらに男は勢いに任せ、猛然もうぜんと畳みかけた。


「貴様が公爵閣下に取り入り、怪しげな商売をしていることはわかっているのだ。この私が、それを見過ごすとでも思っているのか!」


 ユウリスは、彼を知っていた。


 街ですれ違うとき、いつも舌打ちをしてくる嫌な警部だ。そんな相手とは係わり合いになりたくないというのが正直な気持ちだが、ウルカを放っておくこともできない。


「あれは確か、えと、オス……オスロット警部?」


 白狼に、待て、と言い残し、ユウリスは若い警官たちの隙間すきまへ押し入った。包囲の内側へ抜けたところで、義母であるレイン公爵夫人――グレース・レインの怒声が響き渡る。


「いい加減になさい、オスロット警部。ウルカ殿はレイン公爵が賓客ひんきゃくとしてお招きした方です。公務記録、財務記録、双方に正式な記載があります」


「いいえ、奥様。公爵閣下と奥様はだまされておいでだ。それがこういった輩の手口なのです。たぶらかされて書かれた記録など当てにはなりません。なにが闇祓いだ。どうせ身体を使って、公爵家に取り入ろうとする不埒ふらち売女ばいたに決まっている。かまわん、ひっ捕らえろ!」


 オスロット警部が号令を出すが、警棒を構えた若い警官たちの動きは鈍い。いくら上司の命令とはいえ、公爵夫人の言葉を無視してよいものかと悩んでいる様子だ。


 そして踏み出す機会を逸したユウリスも、その光景を意外そうに眺めていた。


義母上ははうえが、ウルカを庇った? 彼女が屋敷でいっしょに暮らすことや、白狼が庭にみつくことにも反対したって聞いていたけど……」


 理由こそ判然としないが、義母はウルカをいとうような雰囲気があった。乞い招いた客人へ無礼が働かれたのなら、止めるのは公爵夫人として当然ではあるとはいえ、それでも本気でオスロット警部へ声を荒らげたのには驚きを禁じえない。


「ええい、なにをもたもたしているのか。貴様らがやらんのなら、私がやる!」


 部下を押しのけたオスロット警部が、腰に帯びた装飾過多なロングソードを引き抜く。ウルカの眼差しが冷たく研ぎ澄まされるのを、ユウリスは見逃さなかった。


 相手が警官であろうと、剣を抜いて向かってくる相手に、彼女はきっと容赦しない。


「ああ、もう、しょうがないな!」


 ユウリスは前へと踏み出した。そのままウルカを背に庇い、オスロット警部に対峙する。次の瞬間、首筋にゾワリと悪寒がはしった。苛だちを隠そうともしない彼女の声が背後から突き刺さる。


「退け、ユウリス」


 ユウリスは聞こえなかったふりをして、両手を広げた。グレースが苛立つように眉をひくつかせるのが視界に入り、憂鬱ゆうつな気分が増す。しかしいまは、誰に配慮はいりょする余裕もない。


「警部、やめてください。ウルカは本物の戦士です。これ以上は取り返しのつかないことになる」


「んん、おお、おお、おお、おお、はっ、忌み子のユウリスではないか! はん、詐欺師さぎしを庇おうというのだな。やっぱりお前は呪われた子だった。その女と共謀きょうぼうして、このブリギットへ災いをもたらそうとしている、そうであろう!?」


「そんなこと、考えてない! いや……考えて、いません。ウルカは正真正銘の闇祓いで、いまブリギットで起こっている怪事をいくつも……」


「ええい、黙れ、黙れ、ぜんぶ自作自演だ。だいたい、忌み子の言うことなど誰が信じる!? 赤子のお前がこの街に来た日、なにが起こったかを私はちゃーんと覚えてるぞ。神聖な教会をけがし、司祭ひとりを殺しておいて、よくものうのうと日の下を歩けたものだ、この疫病神やくびょうがみめ!」


 疫病神、教会を穢して、司祭を殺した――その言葉に、周囲の警官たちもざわめいた。忌み子のユウリス、ブリギットでは周知の通り名だ。しかしレイン家の庶子がなぜ不吉な存在のように扱われるのか、その真実を知る者は意外と少ない。警官たちが目を合わせて面白おかしく語り合う。


「聞いたか、司祭を殺したって?」「奴が生まれた日、悪魔が召喚されたって話だぜ」「じゃあ、その悪魔が司祭様を……」「やっぱり忌み子なんだ」「疫病神のせいで、最近のブリギットはおかしいんじゃないか?」「オリバー大森林の事件には、あいつが関わっていたらしいぞ」「レイン家の汚点か、完璧な公爵閣下にしては下手を打ったな」「ブリギットの恥辱ちじょくなんて、勘弁してほしいぜ」「忌み子のユウリス」


 好き勝手に話を膨らませる警官たちと同じく、ちまたでは噂に尾ひれがついて様々な憶測がささやかれている。オスロット警部が口にしたのは、その根幹に関わることだ。それはユウリスにとっても呪縛のようなもので、思わず口ごもってしまう。


 そこで声を上げたのは、またもやレイン公爵夫人だった。折り合いの悪い義母が庇ってくれたことに、今度こそユウリスは目を丸くする。


「いい加減になさい、オスロット警部。相手が誰であろうと、レイン家の敷地内でこれ以上その口を開くつもりなら、領邦軍に貴方を拘束させますよ!」


「なんと、公爵夫人! ああ、嘆かわしい。公爵閣下の件で貴女まで理性を失くしていらっしゃる。忌み子のユウリス、お前みたいな付け入りやすい奴がいるから、なんていうおかしな輩が、うるわしき我らのブリギットにたかってくるのだ。私はヌアザの神前試合で、銅の称号を得たことがある。怪物狩りが詐欺師であると、我が剣で証明してくれるわ!」


「そ、それはすごいですね。でもだったらなおさら、そんな実力をこんなことに使うのは……」


「ふっ――」


 必死でとりなそうとするユウリスの背後で、ウルカの失笑が漏れた。あきらかに、武道大会での実績をあざけるような態度だ。オスロット警部の首から上が、カッと熱を帯びる。


「貴様、ほまれある神前の武勲ぶくんを鼻で笑ったか!」


「オスロット警部、謝りますから、どうか」


「どけ、こわっぱ!」


 これはいよいよ流血沙汰になるかもしれないと、ユウリスが血相を変える。押しのけようとするオスロット警部の前に、踏み出そうとして――疲労の極まった少年を、悲運が襲う。


「あれ?」


 ふいに目がまわり、ふらついた。少年の体力はすでに限界を越えており、立っていることもままらない。しかし頭に血がのぼった警部に配慮などなく、目の前で乱暴に振るわれるロングソード。その柄が、偶然にもユウリスのこめかみを殴打した。


「――――っ!?」


 脳が揺れて、視界が回転する。


 胃液が込みあがる不快さに呑まれながら、自分の意思とは関係なく身体が傾いた。仰向けに倒れこんだ少年の身体を、ウルカが寸でのところで受け止める。二重、三重にぶれる景色のなかで、ユウリスは見た――飛び込んできた白狼がオスロット警部を四肢で組み敷き、恐ろしい形相で牙を剥いている。


「もう……、――」


 なにもかもめちゃくちゃだ、どうにでもなれ。


 そんな投げやりな思考すらも、意識と共に闇へ溶けていく。珍しく焦りをはらんで呼びかけてくるウルカの声が、最後に少しだけ小気味よく感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る