06 妖精の啓示
≪ゲイザー≫。
ユウリスも、その名を知っている。異形の存在から人の世を守るために、女神ダヌが遣わした戦士たちの呼び名だ。彼らの瞳は虚構を見破り、特別な術を用いて怪物を退治する。
自分がそんな伝説の存在だとは思えないが、もしほんの少しでもその
「勝負だ!」
ユウリスは雄々しく声を張り上げ、黒騎士≪ジェイド≫の刃を弾き返した。大剣を自在に操るミックの腕力も信じられるものではないが、それに打ち克つユウリスも自身の身体能力に
――――ッ!
声なき獣が、無音の雄叫びで大気を震わせる。よろけた≪ジェイド≫の側面から、白狼が突進をしかけた。身体を旋回させた渾身の体当たりを受け、宙に弾き飛ばされる黒騎士。墓石に落下するミックの姿に、ユウリスは呆然と目を瞬かせた。
「噛みつかずに、体当たり?」
容赦なく喉笛を噛み切りそうな白狼が、牙を突き立てなかった意味を考える。
「……お前も、ミックを助けるのに協力してくれるのか?」
そう汲み取るが、魔獣は無視して墓地の先に注意を促した。痛みにふらつきながら立ち上がる≪ジェイド≫の姿を認め、ユウリスも妖精に視線を移す。
「プーク、頼んだ。ミックを助けてくれ!」
妖精が空高く舞い上がる。
≪ゲイザー≫の剣が突き破った天上の亀裂は、すでに黒騎士の
『なんだ、なにを、なにをするつもりだ! このビチグソの
妖精の邪魔をしようと、黒い大剣に収束する怪物の魔力。
しかしユウリスは、その行為を見過ごしはしない。
「こっちだ、≪ジェイド≫!」
いまなら背中に翼だって生やせる――そう信じて、力強く踏み込む。闇祓いの力で強化された身体が、墓標を悠々と越えて高く舞い上がった。≪ジェイド≫の頭上を捉え、落下しながら渾身の力で刃を引き絞る。
「師範代、兄弟子、姉弟子、どうか力を!」
街の道場で習った剣術に空中殺法はなくとも、理想の描き方は身体に叩き込まれている。全身全霊をかけろ。夢想のなかにある最高の一撃を体現する――いま!
「ここだッ!」
『
――――!
間髪いれずに動いた白狼が、怪物に頭突きを繰りだした。空気の断層を突き破る強い衝撃が、ミックの巨体を貫いて吹き飛ばす。その威力はすさまじく、弾かれた勢いは止まらない。黒騎士の身体がいくつもの墓石を破壊し、ユウリスたちから遠ざかる。
「プーク!」
ユウリスが、頭上の妖精を仰いだ。
プークがひときわ大きく指を振ると、凍りついた世界が歪みはじめる。それがなにを意味しているのか、少年の理解が及ぶ
そんな妖精の小さな身体を、一条の黒い閃光が貫いた。
「――――っ!?」
地面にのめりこんだ≪ジェイド≫が、妖精に向けて剣を掲げていた。切っ先から放たれた安易な一撃が、少年に絶望を与える。影の騎士が高らかに哄笑した。
『はは、ははははは! なにをしたいのかは知らないが、チンケな小細工だ! この私に爪先も届かぬ児戯のような
ユウリスは無意識に胸元を握り締め、唇を震わせた。黒騎士が立ち上がり、嘲りを続ける。
『勇者のつもりだったか? 英雄になれるとでも思ったか? 貴様の心が崩れる音は心地良い。ほら、地面に頭をこすりつけて、無様に土を舐めて、命を惜しめ、助けてくれと
破壊の
「嫌だ、消えるな、いくな、プーク! 俺がなんとかするから!」
悲嘆に表情を歪めるユウリスに、プークは頬笑んだ。きゃっきゃ、と届く、遊ぶようなさえずり。同時にもう一度だけ、くるり、と指をまわした。ユウリスの手に、ほのかな光の
≪ジェイド≫が嗤う、世界の終焉を歓喜するように。
『
妖精の消失と共に、影の国を阻む結界も霧散した。
オリバー大森林の途中で止まっていた凍れる空間が、侵食を再開する。市街地に拡散をはじめる、寒々しい死の空。ユウリスは絶望的に表情をこわばらせ、何度も首を左右に振った。
「……そんな、こんなの」
心が折れる。膝が震えて、目頭が熱くなる。そんなユウリスをからかうように、小さな指が頬をつついた。振り向いて、ユウリスは驚愕に目を見開く。プークが楽しげに肩を揺らし、ユウリスのほっぺたを指先で押していた。
「……え?」
今度は首に吐息がかかる。思わず首をすぼめて振り返ると、そこにもプークがいる。手に触れる柔らかなぬくもりに視線を下ろせば、指に戯れるプーク。脚にまとわりつくプーク。頭上を旋回するプーク。ひらり、またひらりと、オリバー大森林の墓地に、どこからともなく妖精が現れ、増え続けていく。
「プークの、群れ?」
呆然とするユウリスとは裏腹に、黒騎士はあからさまにうろたえていた。殺したはずの妖精が、群れをなして大挙している。ありえないことだ、なぜ、どうして、狂ったようにプークを
『なんだ、これは? どういうことだ! なぜこんなに、羽虫どもが? 殺したはずだ、あっけなく、ちっぽけな、クソ、クソ、チビグソどもが――は、ああ、ああ、ああ、そうか、そうか、そうか、この霊場の力を利用したな? 結界を解く代わりに、自らのちっぽけな命と引き換えて、なんの役にも立たない、この害虫の群れを呼んだのか! だが、それが、なんになるという!』
混乱しているのは≪ジェイド≫も同じようだが、同時に答えも教えてくれた。手当たり次第に、剣先から黒い閃光を放つ黒騎士。しかし妖精たちは遊戯のように舞い踊り、破壊の光芒を
そして数え切れないほどのプークが凍りついた空に集結し、いっせいに指をまわした。
刹那、影の国の空が割れる。
うららかな春の日差し、
『あ、あああああ、やめろ、やめろ、よせよせよせ、あああああああああ、この、ぬるま湯の、ような、感触は、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、痒い、痛い、苦しい、おっ、おおおおおおおおお、やめ、やめ、あっ、ああ、あああああああ――!』
ミックの体がふわりと宙に浮かび上がる。脚をじたばたとさせているのは、憑依した黒騎士≪ジェイド≫だけだ。ミックの顔は、安らかに和らいでいく。
『やあああああああああ、めええええええええええええええええええええ!?』
依り代となった少年だけが空に吸い上げられ、重なっていた首なし騎士の陰影がゆっくりと引き剥がされてはじめた。やがてミックは、空で妖精たちの庇護に包まれる。邪悪な意思の介在を許さない、柔らかな光だ。
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?』
「やった!」
だが影の国の侵食は止まない。
ウルカの声が、ユウリスの脳裏に届く。
≪何が起こっている、ユウリス・レイン? 結界が消えたぞ。いまは神官達と私で阻んではいるが、長くはもたない。この異界化は、すぐに手に終えなくなる――≫
「プークがミックと≪ジェイド≫を切り離した。これからどうなるのか、俺にもわからない!」
再び聞こえたウルカに応えて、ユウリスは剣を構えた。
とうとう本体として現界を果たした首なしの黒騎士≪ジェイド≫も、ゆらりと立ち上がる。
目にするだけで、胸が押しつぶされそうな威圧感。
片手に握られた黒い大剣は
その気配を、遠く離れた場所でウルカも感じ取っていた。
≪悪しき鼓動を感じる。≪ジェイド≫が現界したな。プークはどうなった。ダメだ、こちらも、もう抑えられない――≫
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