146 3本目の腕

「尊敬する王がその地位を異世界の男に奪われたことは、親衛隊として仕える貴方にとって屈辱だったはずです」


 メルーシュがメルとなり、彼女の親衛隊だったヒオルスがその役目を退いたのは、もう10年も前のことだ。クラウが魔王になって、親衛隊も世代交代。

 ヒオルスは現役を退いてしまったが、時を経て表舞台に戻ってしまった主を支えようと、再びメルの傍らで意気揚々としている。

 ヒオルスは目尻に皺を刻んで「馬鹿なこと言わんでください」と自嘲しながら足元の二人に目を細めた。


「貴方は孫たちを役立たずと笑いましたが、私にだってあの時メルーシュ様は殺せなかった。同じです。親衛隊なんて肩書、名誉でもなんでもありませんよ。メルーシュ様が魔王を望まぬのなら、私もただの老兵です」

「ヒオルス……」

「確かに、クラウ様が魔王になる時、反抗心が沸かなかったわけじゃない。けれど、それもメルーシュ様の意思だ。だから今の私はメルーシュ様の意思に添える3本目の腕でありたいんです」


 無表情で聞き入るワイズマンに、ヒオルスは今度こそ静かに自分の剣を抜いた。

 誰のものより大きな刃が、彼を威嚇いかくする。


「私にはこの国を守るような度量はありませんが、メル様だけは守り抜いて見せますよ」

「へぇ。けど貴方と戦っても私には何の得もありません。メルーシュ様を守るというその意思は上等だ。だって貴方は魔王親衛隊の一人なんですからね」


 ヒオルスの意思を聞いて、俺はまたメルとの距離を感じた。

 彼女が前王だと知った時から、住む世界が違うとは分かっていたつもりだ。

 知れば知るほど彼女が一歩ずつ離れていく。

 小さな討伐隊の隊長なんてのは、彼女の顔の一つでしかない。

 今はもう魔王ではないけれど、俺なんかが側にいても足手まといになるだけのような気がしてしまう。


「ユースケ」


 そんな気持ちを見透かして、チェリーが見かねた顔で俺を見下ろす。


「メルはメル、アンタはアンタなんだからね? 今の状況を考えなさい。世界も身分も、ルールを全部退けて自分を貫いたアンタの兄さんが、この国の魔王だってことを証明するために、私たちはここに居るのよ? アンタが小さいこと気にしててどうすんのよ」

「そう……ですよね」


 この国の魔王は、俺と同じ母親から生まれた、普通のサラリーマンの息子だ。


「分かってるはずなんですけどね。チェリーのお陰で思い出しました。アイツは凄ぇや」


 「やっぱり忘れてた」とチェリーは笑った。

 小声で交わした会話に耳を傾けるメルが、ヒオルスの腕を掴む。


「ありがとうヒオルス。けど、剣は一度しまいなさい」

「メルーシュ様。しかし……」


 ヒオルスは渋りつつも主に従う。

 メルは顔を上げると、ワイズマンとの距離を詰めた。


「さぁ、どうするつもりです? 貴女が首を縦に振らないのなら、まずこの男を消しましょうか。そうすれば、この国の魔王に貴女以外の選択肢はなくなる。今の私にはそれが容易いことだって分かりますよね?」

「それはダメっ!」


 取り込んだままクラウを始末しようとするワイズマンに、声を上げて反抗したのは美緒だった。


「瑛助さんが死んでしまったら、佑くんも戻れなくなるのよ?」


 繋いでいた俺の手を振り切って詰め寄ろうとする彼女に、俺は慌てて腕を伸ばす。

 それは俺が最も恐れていることだけれど、彼女をこのまま危険に晒すわけにはいかない。

 つんのめるように前に出て美緒の正面を立ち塞ぐと、


「させないからな!」


 ワイズマンの声がその場の空気を切り裂く。

 しかし挑発的なセリフとは逆に、彼は目を虚ろにして自分の胸ぐらを掴むと、苦しそうに身を縮めた。


「クラウ?」


 メルがそう呼び掛けると、魔王の姿をした青い髪の男は、苦痛に顔を歪ませながらさげすむような表情で唇の端を持ち上げたのだ。

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