134 小さな背中
メルーシュは最後に俺を振り返って、ヒオルスとともに階段の奥へ姿を消した。
俺はひび割れた地面の端に立って、穴の開いた天井を仰いでから美緒に「俺たちも行こう」と声を掛ける。ヒルドとチェリーを上に残してきてしまったので、一度合流して無事を確かめたかった。
「あれ」と地面にしゃがみ込む美緒。足元に何かを見つけ、拾い上げたものを俺に差し出す。
「これ、メルちゃんの?」
「あぁ……」
俺がメルに渡したカーボの髪留めだった。メルーシュへと
「俺が持ってるよ」
髪留めをポケットに突っ込んで部屋を出ようとすると、ゼストに「お前たち」と呼ばれて足を止めた。
「無事でいろよ。俺たちもすぐに行く。爺さんたちに任せとくわけにはいかねぇからな」
祖父であるヒオルスの現役復帰ともいえる状況に、ゼストは少し焦っているようにも見える。
「分かってます。美緒もいるし」
「これは、あの竜とクラウ様の戦いだよ」
そう言ってきたのは、今まで静かだったティオナだ。ただでさえ
目のやり場に困って下を向くと、ティオナは「ふっ」と笑って話を続けた。
「聖剣を無理矢理に抜いたクラウ様への怒りが竜を目覚めさせた。魔王は竜の
「やっぱり、あれは竜……ドラゴンだったんですね」
「そうだよ」
前にここへ来た時、俺は自分の力で聖剣を抜くことができそうな気がしたが、クラウが本当に力ずくで引き抜いてしまうとは思わなかった。
巨大なドラゴンが地面の底に沈んでいるだなんて、ヤマタノオロチ伝説のような架空の話ではなかったのか。
「つまり、倒すってことですか? さっきの巨大なドラゴンを」
「分からない。前例がないからね。聖剣はずっと青い色を放っていたけど、抜けた時はちゃんと赤を示した。どうなるかは分からないよ。それに竜は神のようなものだけれど、この国の王があの竜ではないってことだけは明白だ」
聖剣の示す青色は拒絶だ。最終的に赤を放って地面を離れたことは、聖剣の意思だと受け取ってよいのだろうか。
この国では神よりも魔王の方が偉いなら、何色だって良いじゃないかと思ってしまうけれど。
「あのドラゴンとクラウはどこに行ったんですか?」
天井に開いた穴の向こうは驚くほどに静かだった。祭が行われている庭園や城が襲われている様子はない。
ティオナは「すぐわかると思うよ」と
「二人とも、無茶しちゃダメですよ」
クラウの受け売りだろうか。リトまでそんな事を言って、俺と美緒の
指先にぼおっと光が灯ったのは、額に触れたほんの一瞬だ。
少しだけ身体が軽くなった気がするのは、彼女が掛けた魔法のせいらしい。
「ありがとう」と礼を言うと、リトはズレた眼鏡を上げつつ笑顔を見せてくれた。
「さっき名前を言い間違えちゃったから」
確かに彼女はいつも通り俺のことを「ブースケ」と言っていたけれど、そんなの気付いていないと思っていた。
「そうか」と笑って、俺は元老院の二人を
大地震のような衝撃は、きっと
ドラゴンは主要の部屋をまっすぐに突き抜けていったらしい。地下二階の避難部屋や、その上にある
もし、セルティオが出た時のようにハーレムの女子たちが避難部屋に
地上に出ると、中央廟のエントランスが騒然としていた。
階段の上を護る兵が一人になっていて、もう一人は壁際に腰を下ろして右膝を両手で覆っている。どうやら怪我をしたらしい。重傷者はいないようだが、庭に居た一般人も建物の中に入り込んでいるようだ。
色とりどりの花が描かれた、ドーム型の天井がぽっかりと抜け落ちていて、ガラスの破片が石造りの硬い床に散乱している。
俺たちはパリパリとそれを踏みつけながら急いで外へ出た。
被害こそなかったが、庭はさっきまでのお祭りムードから一転していた。
晴れていたはずの空はどんよりと雲を広げている。軽快な音楽はやみ、皆が呆然と空を見上げていたのだ。
ドラゴンを探して皆の視線を追うが、俺にはすぐにその姿を捉えることができなかった。代わりに、すぐ目の前に立ち尽くしたメルーシュを見つける。
肩に掛けていたヒオルスの上着が、彼女の頭をすっぽりと覆っているお陰で、誰も彼女に気付くことはなかった。
メルーシュであった頃の姿に戻っている筈なのに、その背中が小さく見える。
絶望を浮かべる民衆を見たかつての魔王は、涙ではなく怒りをその瞳に浮かべて、彼らに背を向けたのだ。
こちらに向いて歩いてきたメルーシュは、もうメルを残していないのだろうか。
俺たちの頭上に、ぽつりぽつりと雨が落ち始める。
彼女はすれ違いざまに、「死なないで」とそんな言葉を呟いた。
えっと俺は振り返るが、その姿はヒオルスもろともそこから消えていた。
「メル……」
俺の声も、民衆の絶望も。
意図して雨の音がかき消しているようだった。
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