115 元老院・議事室

 ――「美緒様が苦しむ姿を見たくはないでしょう?」


 次元の間じげんのはざまでハイドに言われたその言葉が気になってしまう。

 この状況を引き起こしたのもハイドだろうと疑ってしまうのと同時に、彼に連れ去られる美緒の姿が何度も何度も頭に浮かぶ。俺は「一応、聞きに行ってみようよ」と言い出したヒルドを「ちょっと待って」と小声で呼び止めた。


 藍色の壁紙で覆われたこの先は、他の廊下とは異なっている。邪悪な空気でも漂っていると表現すればぴったりと当てはまるんだろうが、実際は壁紙の雰囲気にそう思わされているだけなのかもしれない。


「行ってもいいのか?」

「僕だって初めてだけど、別に悪いことしてるわけじゃないでしょ? 平気だよ」


 「けど」とヒルドは人差し指の甲を唇に押し当てて、ニヤリと笑みを浮かべる。


「ミオはクラウ様のおきさき候補としてこの世界に来てるんでしょ? 傷心のクラウ様を癒してるのかもしれないよ」

「お前、ちょっとやらしい事考えただろ」

「あはは。ちょっとだけだよ。けど、あるかも、ってはユースケだって思ったでしょ?」


 ヒルドは本当に裏表のないヤツだ。

 残念ながら、それもありそうだと思ってしまったのは事実で、俺は目を逸らしつつ「あぁ」と答えた。


「クラウ様の部屋にも行くとして、まずはここでも聞いてみようよ」

「そう……だな」


 恐らく俺が今一人なら、適当な理由をつけてこの先へ行くことをスルーしてしまったかもしれない。

 すくみそうになる足に力を込めて、俺は先に歩き出した。


 入口の一枚扉は、他の部屋とはまた雰囲気が違った。一面に彫られた模様と濃い色の木目が、高級感のある艶やかさを放っている。

 俺はヒルドと顔を見合わせ、トントンと扉をノックした。


「はぁい」


 すぐに返された返事は、想像よりも遥かに若い女の声だった。

 『元老院げんろういん』という名前のせいで、俺はハイドのような老人ばかりが居るものだと思っていたのだ。けれど、この世界にはティオナという例外も存在する。

 もう一度見合わせたヒルドの顔もどこか驚いた表情をしていて、俺は小首を傾げるジェスチャーをしてから、その返事に答えた。


「あのっ、ユースケといいます」


 俺が言い切ると同時に扉が向こうからゆっくりと押し開けられた。

 扉の奥は暗く、一瞬目の前には誰も居ないように見えた。けれどすぐに人の気配を感じて、相手が視界の外に居たことに気付く。


「こ、こんにちは」

 

 おどおどとした小さな声が俺の腹の辺りから聞こえた。開いた扉の端にしがみつくようにして現れたのは、黒髪の小さな少女だった。

 小さくて丸い目と視線が合うと、少女は「きゃあ」と短く悲鳴を上げて、再び扉を閉めてしまう。


「ええっ?」


 思わずヒルドと声を揃えた。今の少女は何だったのだろうか。

 

「ほ、本当にここは元老院なのか?」

「わからないよ。けど、この模様は……」

 

 急に自信なさげに眉をひそめるヒルド。壁紙の模様を確認して、「間違いないと思うよ」と唇をとがらせる。

 すると、扉の向こうから何か声らしきものが聞こえてきた。何やら怒っているようにも聞こえるが、何を言っているのかも男女どちらかかも聞き取ることはできなかった。


 けれどそれもすぐに止み、向こうから再び扉が開かれた。

 今度は別の人物が現れるが、また若い女だった。さっきの少女はメルよりもだいぶ幼かったが、今度は俺やリトと同じくらいの歳に見える。


 一本に束ねた太くて黒い三つ編みを肩の上に垂らした少女は、ハイドと同じ着物のような白装束を着ていた。彼女は入口を塞ぐように仁王立ちに構え、咳払いを一つした後、茶色の瞳で何故か俺をギロリと睨んだ。

 「ねぇさま」と彼女の後ろから小さな声が掛けられる。さっき俺たちを迎えた小さな少女だ。彼女もまた同じ白装束を身にまとい、姉だという少女のスラリとした細い足に両手を絡ませて、恐々こわごわと俺たちを見上げた。


 彼女たちが本当に見た目通りの年齢なら、やはり場所を間違えたのではないかと思ってしまうが、こういう時こそヒルドの出番だ。肩肘でドンと脇腹を突くと、ヒルドは二人の前に躍り出て笑顔全開で質問する。


「ねぇ、君たち。ここは元老院の議事室でいいのかな」


 ナンパでもするような軽いノリのヒルドとは対照的に、大きい方の少女は「えぇ」と涼し気な顔で答えたのだ。


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