9章 俺の居ないこの町で

86 俺たちは3兄弟

 目を覚ました俺は、公園のベンチに座っていた。左にメルがいて、右にはクラウ。

 まだ眠りから覚めない顔で、メルが「暑い」と額の汗を拭った。


 太陽に熱されたベンチがジリジリと全身に汗を滲ませる。

 俺たちは暑さに意識を覚醒させるが、疲労度をみるみる上昇させた。

 城にセルティオが放たれた時、夜の11時を過ぎていた。そこから戦闘モードに入った俺たちは、今睡眠不足真っただ中なのだ。


 日本の夏の湿度が身に染みる。たかだか一週間程度離れていただけで、向こうの快適な気候に慣れてしまったらしい。


「帰って来たんだよな」


 ぐったりと背もたれに身体を預け、額に手をかざしながら公園を見渡す俺に、クラウが「そのようだね」と答える。


「やっぱりヒルドは来れなかったのね」

 

 俺たち三人だけがこっちへ来たことに理由があるのだろうか。

 

 ここは、俺と美緒が毎朝会っていた公園だ。マーテルやクラウともここで会ったし、カーボにも襲われた。全てがここから始まったのだ。


「美緒……」


 彼女を残してきてしまったことを後悔するが、俺はどうすることもできず、ただ彼女の無事を祈った。


「あれ? でもどうして全部覚えてるんだ? 転生者は元の世界に戻ると、異世界での記憶がなくなるんじゃなかったっけ?」

「あぁ、確かに。ティオナがそうさせたんだろうけど」

「この世界の案内をしてほしいって話だったし、私たちも一緒だから消すわけにはいかなかったんじゃないかしら」


 確かにそうかもしれない。


「けど、記憶ってティオナ様がどうこうできるもんなのか?」

「全てがそうではないと思うけどね、僕にも詳しくは分からないよ」


 そこに彼女の意思が働いているかどうかは分からない。

 ここは俺の居た世界だけれど、【異世界への旅の途中】という設定なのかもしれない。


「けど、僕はこんな平和そうな場所に居てもいいのかな?」


 クラウは膝の上に手を組んで、うつむきがちに重いため息をついた。


「こうなった理由があるんだろ? ティオナ様が言ってたよな?」


 ――「クラウ様の胸に、心当たりはあるはずですよ」


「話す気になったら、教えろよ」


 それが言いにくい内容だろうという事は何となくわかった。

 クラウは「あぁ」と立ち上がると、黒いマントをひるがえして俺たちのほうを向いた。

 顔の前で上向きに返したてのひらに白い光を生み出すが、それはあっという間に消えてしまう。


「僕の魔法は使えるらしい。けど、あっちへの門は閉ざされているようだ」

「分かるのか?」

「一応、僕は魔王だからね」


 クラウが苦笑した。


「クラウ様は、こっちの世界に居る時間に制限がありますよね?」


 ベンチからぴょんと飛び降りたメルの頭を撫でて、クラウは頷く。


「こっちの世界で1日。24時間経つと、あっちには二度と戻れなくなるはずだ」


 俺の腕時計は異世界時間の2時を示している。俺たちが目を閉じていた時間はわからないけれど、そんなに長くはないはずだ。ここから短い針がほぼ二周でタイムリミット。

 長いようで短いその時間で、俺たちは何をしなければならないのだろうか。悠長に観光というわけではないだろう。


「けど、ティオナが言ってた通り、クラウ様は向こうの世界に絶対必要な人よ? だから、こっちの世界に追放なんてことはないと思うわ」

「僕もそう思うよ。けど、どうしようか」


 沈黙が起きると、暑さばかりが気になってしまった。

 俺が今朝クラウに貰ったコーラは、高校の終業式の為にこっちへ来たゼストが調達したものだ。だからきっと夏休みに入って間もないのだろう。

 梅雨の明けた、日本が一番暑い時期だ。

 睡眠不足でこんなところに居たら、あっという間に熱中症になってしまう。


「ここは砂漠のようね」


 暑さに汗をにじませるメルから、血液の匂いが漂った。

 俺はハッとして、ここが日本である事情を思い出す。

 自分たちの格好がいかに危険かを悟って、俺はベンチを飛び降りた。


 黒マントのクラウに、セルティオの返り血に塗れたメル。

 そして俺たち三人とも剣を提げている。


「ダメだ、剣なんか持ってたら捕まる! いやそれより、こんな血だらけだと捕まる! 捕まるぞ!」


 頭が混乱して「捕まる」を連発する。

 幸運にも、公園には誰もいなかった。道路を歩いているオジサンが、俺たちに気付かず通り過ぎたことに安堵あんどする。


 通報されたらそこで終了だ。俺たちの事情なんて、精神異常を疑われるだけだろう。

 俺は剣をさやごと抜いて、のほほんとする二人に早口で支持をした。


「クラウはマント外して。剣も。メルは……その服どうしよう」

「脱いでしまえばいいかしら?」

「いやいやいや」

「それはダメだよ、メル」


 ウエストに手を掛けるメルを、クラウが先に止めた。


「中に何も着てないんだろ?」

「下着なら着てるわよ?」

「ダメだ!」


 別の理由で捕まってしまう。

 俺はヤシムさんお手製の制服のジャケットを脱いで、彼女の肩に引っ掛けた。それでも怪しさは抜けないが、血みどろよりはましだ。

 クラウから奪ったマントに三本の剣をぐるぐる巻きにして、俺は脇に抱える。


 とりあえず自分の家に逃げ込もうと考えて、俺たちは数十メートル先まで歩道をダッシュした。けれどいざ目の前まで来たところで躊躇してしまう。


 家の様子が俺の記憶と少し違っていたからだ。

 表札は【速水】だから、俺の家に間違いはないんだろうけれど。


 庭に大きな木があったのだ。もしや柿の木だろうか。

 俺の知っている世界では、これは、もうないはずだった。

 小さい時に俺が木登りして落ちたから、家族会議の結果、無残にも切られてしまったのだ。


 嫌な予感がする。


「まさか俺の存在が消えてるのか?」

「あぁ、そうかもしれないね」


 危機感ゼロで、クラウが答える。

 俺に絶望感が沸いたところで、急に気配がしてバタリと玄関の扉が開いた。


「あ……」


 逃げ隠れする暇はなかった。

 見覚えのある垂れ目がちの目が、俺たちを捉えて「えっ」と表情を強張こわばらせる。


宗助そうすけ……」


 彼は速水宗助。

 俺たち三兄弟の、一番下の弟だった。

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