82 甲冑姿の青い魔法師

 へいに沿って城の方向へと逃げる。


「城壁の外にまでセルティオが居るなんて。このレベルのモンスターは、もっと山奥じゃなきゃ遭遇しないはずよ?」


 メルが追い掛けてくるセルティオの位置を確認して、人差し指の甲を下唇に押し当てた。


「この時間はモンスターが徘徊はいかいするんだろ? セルティオ以外にも出てくる可能性はあるのか?」


 外出許可のいる、夜の11時はとうに過ぎている。夜行性のモンスター達が闇をうろつく時間だ。


「ないとは言い切れないけれど、稀なことよ。それにセルティオは、カーボやシーモスやジーマとは違うの」

「まぁ、仕向けられたってことだよね。ユースケはハイドと消えて何されてたの? このセルティオもあの人の仕業でしょ? まだどっかで見られてるのかもしれないよ」

 

 チェリーを抱えながら走るヒルド。少々息が切れ気味だが、まだスタミナは持ちそうだ。

 気になるのは、チェリーに貼りついた黒い粘着液だ。セルティオが死の間際に吐き出したもので、ヒルドは顔に触れそうになる度にしかめ顔をしながら、俺とメルとの間隔をキープして走った。


「私のことは置いて行ってもいいのよ?」


 チェリーが細い呼吸を繰り返しながら、申し訳なさそうに言う。しかし、そんな陰鬱いんうつな空気も受け入れず、ヒルドは「いいんだよ」と苦笑する。


「僕が連れて行こうと思っただけだから」


 俺だってそうは思った。けど、実行したヒルドはすごいと思う。

 気持ちでどう思っても、それに見合った力が俺にはなかった。


「僕だってちゃんと兵学校は出てるんだからね」

「ありがとう」


 チェリーは礼を言い、ぐったりと目を閉じた。

 背後から迫る荒々しい足音に、俺は何度も振り返る。

 セルティオとの距離が少しずつ縮まっているのが分かった。

 あの舌のリーチはどれだけだろうか。まだ平気そうに見えても、ちゃんと計ったわけじゃないから、とっくに届く距離なのかもしれない。


 50メートル程走ったところで、甲冑かっちゅう姿の一人の兵が白い杖のような長い棒を手に立っていた。彼の後ろの壁に、人一人が入れるほどの小さな扉が埋め込まれている。


「お願い入れて! 中央廟ちゅうおうびょうに行きたいの。お願い!」

「は?」


 矢継やつばやにメルが叫んで城内への避難を試みるが、髭面ひげづらの兵は不審げに眉をひそめ、俺たちを警戒した。


「なんだ、お前ら」

「セルティオに追われてるんだよ」


 緊迫した声を上げるヒルドに抱えられたチェリーを見て、男は「厄介事かよ」とぼやく。

 門番らしいのに、彼は酒の匂いをプンと漂わせていた。甲冑をカチャカチャと鳴らしながら手にした棒をぐるりと回すと、セルティオの正面を立ち塞ぐ。


「お前ら、誰も魔法師じゃねぇのか」


 男は棒の末端でドンと地面を鳴らした。衝撃に生まれた白い光が先端まで駆け上がり、全体を強い光で覆う。


 三体のセルティオが彼を敵だと判断して、走りながら同時に舌を発射させてきた。

 まっすぐと一直線に迫りくる攻撃に、男は余裕の表情で光の先を闇にかざした。


「貴方……アース?」


 メルがふと男にそう呼び掛ける。


「何だ嬢ちゃん、俺のこと知ってんのか」

「この子は全魔王のメルーシュ様なんだからね? それにこっちはクラウ様の弟君。どうすべきかはわかるよね?」


 ヒルドが半ば脅迫気味に言うと、アースは「げぇええ」と驚愕した。


「本当かよ。お、お嬢……様が?」

「ごめんなさい。詳しくは覚えていないけれど」


 アースが振り向くと、メルは気まずそうに頷いて「お願い」と頭を下げた。俺まで巻き込まれて、「です」とだけ答える。


 この城に来て、メルが少しずつ過去の記憶を取り戻している。

 ハイドはメルが元の姿に戻ることを懸念けねんしている。だから、記憶が戻るのは彼女にとって良くないことのように思えた。


「何てぇ夜だ。じゃあ、ちょっとばかし離れてて下さいね。ゲル液三体分飛びますよ」

「ひぃ」


 ヒルドが肩を震わせ、気を失ったチェリーを抱え直して一番遠くへと下がる。

 アースは「いくぜ」とセルティオ相手に構えた。みるみると白い光が増幅し、大きくなった球体の中に青い波が生まれる。


「へぇ、水なんだ」


 眉を上げるヒルド。

 水流が透明な球から溢れ出し、セルティオ目掛けて放たれた様は、まるで水龍を操っているかのようだった。

 一筋の太い水の塊が、三体の白い巨体に絡んで、あと10メートルほどに迫ったところで奴らの足を止めた。


「すげぇえ」


 セルティオの勢いが削がれているのが見ていてよく分かった。

 俺たちはあんなに苦労したのに、こんな小さな裏口にポツリといる兵士にとっては大した労力もいらないらしい。

 水色の光がセルティオを覆っていく様子を目の当たりにしながら、メルが「そう」と呟いた。


「この感じ、懐かしい気がする」


 こうやってメルは一つずつ過去を思い出していくのだろうか。


「魔法師は自分で属性を決めることができるの。クラウ様みたいに幾つも使いこなせる人はいるけど、大体1つや2つよ。そして、炎や雷みたいに威力を重視する人が多いから、水を選ぶ人は少ないのよ」

「セルティオは水が苦手だったよね。属性を選べるなんて僕にとっては高望みだよ。兵学校も魔法専攻の奴らは一年長いんだ。一緒に入学しても、僕みたいなただの剣師は先にお払い箱さ」


 ヒルドも離れた位置から話に乗ってくる。

 水流に飲まれた三体のセルティオが今どんな状況か俺には分からなかったが、


「すぐ飛び出るぞ」


 アースのそんな合図で水ごと砕け散った。

 どれが水で、どれが身体で、どれが毒液なのか俺には全く判別できず、慌ててメルの前に両手を広げた。

 けれど、そんなアナログの防御は無用だった。

 頭上に薄ら青い透明の膜が広がって、雨のように降り注ぐ3匹分の毒液から俺たちを救ったのだ。


 アースの圧勝だった。

 弱点を突かれるということのもろさを知らされた気分だ。


 バラバラに飛び散ったセルティオの肉塊が、びちゃりびちゃりと地面を鳴らす。そのグロさに背を向けて、俺は「ありがとうございます」とアースに頭を下げた。

 アースは「仕事だ」と笑んで払うように手を叩くと、改めてメルの前に立った。


「本当にメルーシュ様なんですか?」


 「えぇ」と頷くメル。


「今は魔法を使えないんですよね? 俺はここを離れることはできませんから。どうか無事に中央廟まで向かって下さい」

「ありがとう」


 メルに続いて、俺たちもアースに礼を言った。

 アースはチェリーの様子をうかがって「ひでぇな」と顔を上げる。


「リト様に診てもらえるといいんだが」


 「そのつもりだよ」とヒルドが扉の前へ移動した。


「では、御武運を」


 アースの激励とともに開かれた小さな扉は、俺たちが中に入ると同時にあっけなく閉められてしまう。

 再び広がった庭の風景に、突然メルの瞳に紅の光が灯ったのだ。

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